ファーザー:「運が8割、実力1割、勘と根が1割」
この「運」の意味を、僕たちは取り違えているのではないか?長兄のお話によって、S氏と僕が、改めて気づかされてしまった部分である。
確かに・・・
22年間、ファーザーを間近で見続けて来られ、前線で実践しながらも、研究し続けて来られた長兄のご指摘は、的を射抜いていらっしゃった。
もしも本当に、ファーザーが「運が8割」この「運」というものが。僕たちの考えるところの「運」。「楽して棚ぼたラッキー」的なものだとしたら。ファーザーは、ギャンブラーになっていても良いはず。
けれども、ファーザーは、パチンコ、パチスロ、賭博、カジノ・・・賭け事をされない。
例えば、長兄の証言によれば、経営者の仲間たちと一緒に、韓国のカジノで有名な、ウォーカーヒルに旅行に行ったとしても、
他の仲間達が全員ギャンブルで熱くなっている間、ファーザーだけは一人、賭け事には一切手を出すこと無く、ただの一円も使うこと無く、
カジノの中に併設されている、BARのカウンターに座って、無料で飲めるお酒をチビチビ舐めながら、喜ばれていらっしゃる。
つまり「ファーザー」は、偶然的な要素があり、勝つかどうか分からないことには、一切手を出されることは無い。
ビジネスも、株も、不動産も、いかなることにおいても、必然的に勝つことにしか手を出されないのである。
ゴゴゴゴゴゴ
新しいビジネスを手がける時、新しい投資を手がける時、徹底的に人をつかって調べ、徹底的に考え抜かれていらっしゃる。
陽修門特級の長兄は、一つのことを行うのにでも、徹底的に調査をして、考え抜いてから実行される。
その力を持って、長兄が徹底的に調べ上げ、10の叡智にして自信を持ってファーザーとの対話に臨む。
長兄:「このビジネスを手がけるのは、これこれこういう理由からですか?」
しかし、ファーザーは軽く20の叡智で返されると言う。
妥協を知らない長兄は、常にファーザーに勝つつもりで全力を持ってファーザーとの対話に臨まれているが。なんと、22年間、ただの一度もファーザーに勝ったことが無いと言う。
伝記『西遊記』の中に次のような物語がある。
孫悟空:「オレサマは、72?化の術全てを会得した。筋斗雲もあり、乗れば一瞬にして10万里飛べる怖いものはない。」
釈迦:「ならば悟空、ここでひとつ賭けをしよう。私の右の手のひらからあなたが飛び出すことができれば、天界をそなたに譲り渡そう。いかがか?」
孫悟空:「そんな簡単なことか?たやすいことだ。」
孫悟空は筋斗雲に飛び乗り、世界の最果てに向けて飛んでいく。雲の間に5本の柱が立っていた、近くに寄ってみると・・・。
孫悟空:「ほらみたことか。ココまで来た証拠に、名前でも描いていくか。」
孫悟空は、毛を一品抜いて筆に変える、真ん中の柱に「斉天大聖」と記し、小便もひっかけておいた。
ところが・・・世界の最果てまで飛んできたと思っていた孫悟空はまだ釈迦の手のひらの中にいた。
釈迦の手のひらの中指には「斉天大聖」と描いてあり、根本には孫悟空の小便の後が、まだ乾かず湯気が立っていた・・・。
というエピソードがあるが、長兄がファーザーとお話をしていると、まさにそのような完膚なき敗北感を覚えるという。
つまり、ファーザーの勝利というものは、全て「必然的」なものである。
「運が8割、実力1割、勘と根が1割」というお言葉は「文学」であり。「手のひらの表と裏」をくるりとヒックリ返すと、
裏付けのある「運」
偶然的な要素を全て排除した必然的な「運」。
必ず勝てる「運」。
ということになる。
ファーザー:「運が8割、実力1割、勘と根が1割」
この意味を、理解していた気になっていたが、まだまだだった。
長兄のお話のお陰で、今までファーザーのお話を、片面側からしか見ていなかったことに、気付かされてしまったS氏と僕だった。
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