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【帝】孔明祖父が18万人死亡「ビルマ戦線」から生き残れた理由は「敵前逃亡」

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【帝】孔明祖父が18万人死亡「ビルマ戦線」から生き残れた理由は「敵前逃亡」

あの時祖父の上官が「逃げよう。」という決断をしなければ、部隊は確実に全滅し、祖父は帰らぬ人となり、今の僕も存在しなかったことになる。

ビルマ戦線から「敵前逃亡」した祖父の部隊

「ビルマ戦線」に配属されていた、僕の母方の祖父。

歴史を紐解くと。ビルマは19世紀以来イギリスが植民地支配。第二次世界大戦開栓後、日本軍は援護ルートの遮断などを目的にビルマに進行。勢いに乗じて全土を制圧。

しかし、連合国軍は一旦退却したものの、意義留守、アメリカ、中国が、日本軍に対して本格的に反攻に転じる。

日本軍は「インパール作戦」を実施して、機先を制しようと試みたものの、作戦は失敗。連合軍は1945年の終戦までに、ビルマのほぼ全土を奪回。

日本軍の撤退までに、「ビルマ戦線」での日本人の戦没者は18万名に達す。進路は日本兵の遺体が続き、「白骨街道」と呼ばれていた。

祖父はこの戦争から生き残り、無事祖国日本に帰国することができた。

どうやって生き残ることができたのか?

答えはなんと、祖父の上官が、戦時中では、最もやってはいけないとされている「敵前逃亡」を決断してしまったからだ。

今の時代のように、逃げる選択肢が無い時代。「敵前逃亡」として、兵士などが軍事遂行命令を受けているにも関わらず、敵前で闘わず、死なずに逃亡すること、この行為は重大な軍事違反である。

戦闘放棄して逃亡した部下を、上官がその場で射殺できる、「即決銃殺刑」を、部隊の規律と秩序を維持するために認めている程。

今日の平和な時代の「自衛隊」でさえ、敵前逃亡は自衛隊法第122条により、7年以下の懲役または禁錮となっている程。

軍の中では非常に重い罪が問われることだ。

けれども、当時の祖父の上官は、「敵前逃亡」というありえない選択肢を戦場にて決断。祖父の属していた部隊は、敵を目の前にしながら、逃げたわけだ。

しかし、「敵前逃亡」した部隊の兵士全員が生き残れたわけではなかったと言う。

豪雨の中、撤退中も、壮絶な日々。多くの仲間たちが、敵の銃弾や爆撃に倒れたり、傷つき疲れ果てて倒れたり、祖国日本を見ること無く、ビルマの地に眠りについた。

中でも撤退時の死因に多かったのが、飢えだったと言う。

都会育ちの日本兵たちは、まともな食べるものが無い状態で、次から次へと飢えで倒れて死んでいった。

祖父のように、山の中で育った人は、昆虫だろうが蛇だろうが、なんでも食べられたことで、生き残ることができた。

その後、奇跡的に生き残り、日本に帰ることができた祖父。運良く、第二次世界大戦の終戦が重なり、「敵前逃亡」を罪として問われることは無かった。

戦後に、自動車の整備士になり、とある大学病院の院長夫人のお抱え運転手をしながら。祖父の実家があった、今の港北ニュータウンの方で、日本人ではなく、日本で働く東南アジアの方々を対象にした、アパート経営を行って来た。

祖父が経営するアパート、僕が生まれる遥か前からあり、僕が幼い頃から祖父に連れられて何度も足を運んだことがあるが、驚くべきことに未だに続いている。

祖父は骨折を機に突然痴呆症に、老人ホームに入ることになり、今に至る。

年初に日本に一時帰国した際も、家族全員で会いに行ったが、痴呆症になったこと自体を、自らの口から悔しがって話すところ。さらには、僕たちが立ち去った後、「孫はマレーシアに住んでる!」と大きな声で老人ホームのスタッフの方々に自慢している声が聞こえたこと。

戦争から生き残ってきた人間の、生命力のようなものを感じた。

祖父には、孔明母を入れて娘が3人。僕を入れて孫が6人。ひ孫が4人いる。

それにしても、今となっては、当時の祖父の上官の決断は、本当に素晴らしいことだと思う。

第二次世界大戦時の、日本軍の状況であれば、変死、平病死、特攻などの不審死として処理されてしまう恐れもある。

この場合、死んだとしても、国賊扱いの白い目で見られ、隣組の発達していた時代には、その遺族でさえ、住んでいた場所の戸籍を外される形で生活基盤を失い、戦後も遺族年金を1970年の法改正まで受け取れなかった恐れもある。

そういう、逃げることが絶対に許されない状況下で、「逃げる」という決断をできたこと。戦時中であれば「弱虫」「臆病者」とされていたであろうが、僕はそうではないと思う。

祖父の上官は「勇気・行動・実行力」のある人間だと思う。進めば絶対に部隊が全滅することを理解し、部隊の部下たちと共に、生き残る選択をすることができたのだから。

どんなに強く勇ましい人間だろうが、死んでしまったら何も無いのと同じ。

日本に妻や子供たちを残してきた状態、夫を戦地に送り出す時には、「あなた、ずっと待ってるわ!」と涙ながらに言っていたとしても。戦場で夫が死んだ知らせを受け、数ヶ月間は泣きくれるだろが、死後は過去の人間、キラ星の如く、綺麗な思い出と共に、胸の中にしまわれるだけ。

妻は別の男性との再婚先の確保のことを考える。生き残り続けてこそ、周りの人間に存在感を主張することができるのだ。

そのまま進めば確実に死に至っただろう、ビルマ戦線から、生き残るチャンスを、祖父にくれた上官。

どなただったのか?今となっては、確認する術は無いが、祖父の孫としては、非常に感謝をしている。

「命があったら死にはせぬ♪」

祖父の戦争からの生き残り体験を幼い頃から聞いてきた僕。しかし、平和ボケした世の中で、大人になるに連れて、その話を忘れてしまっていたようだ。

2011年1月、約12年間勤務したサラリーマンを退職後。独立起業をして、経営者の道を歩みはじめることになったのだが、2011年、2012年、2013年・・・と、ビジネス・投資の世界で、自ら、進めば必ず死ぬ戦場に突っ込んでいくようなことばかりをしてしまっていた。

今、冷静になって考えてみると、「ビルマ戦線」の如く、勝てる勝負では無かったにも関わらず、「◯◯さんに誘われているから。」・・・という感じで、甘い言葉に耳を傾け、引くに引けない状況にあると錯覚し、そのまま突き進んでしまっていた。

結果、惨敗である。

それでもまだ、前に前に必死になって突き進もうとしていた時、あの御方が、僕が拠点としていたジョホールバルに降臨され、そして僕に向けていったのである。

「絶対に死なん方法あるが。「命があったら死にはせぬ♪」命があったら絶対に死なんがやから!わかった?この一言だけを覚えとってくれりゃ、俺と酒を飲んだ価値はある。命があったら死ぬが?死なんがやから。」

あの御方とは、北野物販大富豪こと、北野会長である。僕の言動が、ビジネス・投資の世界で、「必ず死ぬ人」特有のものだと指摘。

そして、死なずに生き残り続ける秘訣を授けて下さった。死なずに、生き残り続けた結果、大きな財を成せる方法を。もしあのままの思考と言動で、前に進んでしまっていたとしたらゾッとする。

恐らく今この場に僕は、いなかっただろう。祖父に命を紡ぐ好機をくれた「ビルマ戦線」の上官の如く、僕に命を紡ぐ好機をくれた、北野会長。

しかし実際は、北野会長のお話を理解するまでに、かなりの年数を用してしまった。

丁度のタイミングで、母と家族と共に祖父と会いに言った時、痴呆症になりながらも、僕に向けて言葉を発した。

祖父:「危ない橋は渡るな!」

勘が鋭い。そして、帰りの車の中で、母が祖父から聴いた「ビルマ戦線」から生き残った話を改めて聴いたことで。全ての話が頭の中で繋がった。

闘って勝とうとして必ず死ぬ戦地に飛び込もうとする人よりも、「敵前逃亡」をしてでも、生き残る選択ができる人間が、勝とうとしなくても、結果的に勝つ。

自ら死地に赴く経営者と投資家たち

2004年から今日まで、十二支が一周りする間、インターネットを中心に、真田孔明としての活動をして来た僕。

お金をテーマに語っていたこともあり、その間沢山の経営者・投資家と巡り合うことができた。

およそ、サラリーマンとして働く会社の中では巡り合うことができなかったであろう、どこか枠を超えた面を持つ、凄い人達ばかりだった。

しかし、凄い人たちでさえ、今日の時点で大富豪の領域に到達できていない。

たちは、調子が良い時は、ビジネス・投資で大儲けできる時もあるのだが、その凄さが仇となり、過信につながり、判断基準を誤るのか?

なぜか皆、自ら「飛んでイスタンブール」する方向に進んでしまうのである。

「ビルマ戦線」に例えると、本来なら死刑のリスクを取ったとしても、「敵前逃亡」で一目散に逃げ帰らなければならない状況なのに、そのまま、進めば必ず死ぬ敵の方向に突っ込んで行ってしまうのだ。

傍から蚊帳の外で冷静に見ていると、「あんなに凄い人がなぜ?」自らの意思で100階から飛び降りて自殺しようとしているにしか見えないのだが。凄い人たちが、次から次へとドンドン自爆してしまうのだ。

結果、まともな状態で生き残っている人たちはほとんどいない。

ビジネス・投資の世界では、本当に命を落として死なない限り、何度も再起が効くので。その後も、何度か復活劇を遂げることができる凄い人たちもごく少数いるのだが。奇跡の復活劇で、再び財を成すことができたとしても、その後全く同じように、戦地に赴き自爆する行動パターンに走る。

結果として、いつまでも財を貯めることなく、再び一発大逆転を狙い続けるのである。僕も危ないところだった。

マレーシアジョホールバルでの、北野会長の訓えがなければ、確実に「飛んでイスタンブール」になっていた。

しかし僕は幸運だった。

死のスレスレのところで、そういう必ず死ぬ戦地から、逃げ帰ることができたのだから。祖父同様運が良かった。だから僕は決めたのだ。

幸運にも生き延びたことができたのだから、北野会長から教わった、「死なずに生き残る哲学」の数々。僕と関わってくれた仲間たちに、伝えて行こうと。

北野会長のように、「命があったら死にはせぬ♪」を鼻歌で歌いながら。

それにしても、1945年の第二次世界大戦終戦からたったの71年しか経過してないのか・・・。僕たちはこんな平和な時代に生きていること自体、そして生死のことではなく、ビジネス・投資のことを悠長に考えられるなどとは、本当に幸せだ。

追伸

本当に強い人間は、プライドや惰性で、必ず死ぬと分かっている戦地に飛び込んでいく人間ではなく。状況を的確に判断して、敵前であろうが逃亡する「勇気・行動・実行力」のある人間だ。

だから、攻める方法よりも先に、逃げる方法をトコトン学ぼう。

『門学「24時間」合宿3月29日(火)〜31日(木)』
「門」毎の「死なずに生き残る秘訣」もお話する予定。
 
・3月29日(火):
 8時半開場9時〜13時:門とは 
 14時半開場15時〜19時:立門 
 
・3月30日(水):
 8時半開場9時〜13時:創門 
 14時半開場15時〜19時:財門
 
・3月31日(木):
 8時半開場9時〜13時:官門 
 14時半開場15時〜19時:修門
 
「門学「24時間」合宿申込方法(単日でも参加可能)
https://sanadakoumei.com/mon-seminor2.html
※「陽創門」孔明長女も門の学びを深めるため出席予定
※当日参加は既に締め切り、収録した動画・音声入手可能
『「北のセオリー」創業融資獲得セミナー』
北野流「死なずに生き残る」ビジネス・投資の兵法が凝縮されている。

・4月2日(土):「北のセオリー」4時間セミナー
 13時半受付開始、14時~18時
https://sanadakoumei.com/lp/kita-theory-160402/
※「陽創門」孔明長女も学びを深めるため出席予定
※当日参加は既に締め切り、収録した動画・音声入手可能


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