世界最大級の金融都市中華人民共和国香港特別行政区。香港。
1997年のイギリスから中国への返還後も、一国二制度によって、中国本土と別個の制度の下にある。独自の通貨である香港ドル。
関税制度、法制度を持っている。今日では、イギリスロンドンや米国ニューヨークと並ぶ世界三大金融センターのひとつと評価されていて、世界経済における重要な位置づけを確立している。
香港ドルは、中国本土の行政ではなく、香港金融管理局によって運営されていて、為替管理上では中国から見た外国と同様の扱いになっている。
香港の香港ドルと、中国本土の人民元は、まったく異なる通貨制度。香港ドルは、国際的に兌換可能かつ流通可能な「ハードカレンシー」であるのに対して、中国元は基本的に、中国国内での流通に限られるソフトカレンシーである。
1983年以降、アメリカ合衆国ドル(米ドル)に対するベッグ制として、1USD対7.8HKDが施行さた。
僕がサラリーマンとして勤務していた会社の転勤で香港に移動した2003年の2年後。2005年5月18日より、目標相場圏制度というものが導入されたことにより、1USD=7.75〜7.85HKDでの変動が発生した。
香港の米ドルペック制は、カレンシーボード制というものを採用していて、1香港ドルの発行毎に相当する米ドルが裏付けられるように、香港ドルを発行している民間の商業銀行である
- 香港上海銀行(HSBC)
- スタンダードチャータード銀行
- 中国銀行(香港)
の3行が、香港ドルを発券する際に相当額の米ドルを預託する形で成り立っている。
外貨準備高2007年5月時点で世界第9位の1,360億USドル。金利は基本的に、アメリカ合衆国の金利動向に追従している。
僕が香港で、営業&マーケティングの業務を行っていた時、社内の営業管理シートは、1USD=7.78HKDになっていたのを、覚えている。
ちなみに、アジア最大級の金融都市香港・・・と僕がよく香港するが、2017年3月時点の発表では、2016年の外国為替市場の1日あたりの取引額は、4,370億ドルであり、日本よりも上である。
イギリス、アメリカ、シンガポールに次ぐ、世界第4位の取引量を誇る。つまり、アジアにおいては、金融を語る場合は、現状日本よりも、シンガポールや香港の方が、上ということになる。
通貨の香港ドル自体も、世界第8位の取引高。日本の人口の約18分の1、約730万人しかいないにも関わらず、こういう数字的な結果が出てくるのは、香港って本当に凄いことだと思う。
香港は世界有数の一人あたりの所得を誇っていて、富裕層人口がとても多く、金融資産100万ドル以上持つ富裕層世帯は約21万世帯もある。
11世帯に1世帯が金融資産100万ドル以上を保有していて、世界有数の富裕層密度を誇る。
さらに、個人資産10億ドル以上を保有する大富豪が、2016年時点で68名いて、ニューヨークに続いて世界で2番めに多い都市なのだ。
僕もサラリーマン時代、お客様の中に、大富豪がいたこともあり、その桁外れのリッチ具合に、とても驚かされた。
ランチタイムの中でも、ローカルスタッフと一緒に食事をしても、株や不動産など、お金の話が頻繁に飛び交うし。
お客様である、大富豪とランチをした時にも、直前に株で10億円勝ったり、毎月の保険の積み立てが、数千万円レベルとかいう画面をパソコンで見せてもらったり、サラリーマンと地方公務員の両親の下に生まれ育ち、サラリーマン属性だった当時20代の僕が。本格的に、お金に目覚め始めたキッカケとなった都市である。
アジア最大級の金融都市香港を活用
約12年間勤務した会社を退社後、マレーシアジョホールバルを生活拠点に定めた後も。 今でも僕は毎月一度の間隔で、香港入りしている。
僕にとって香港と言えば、平城さんと、「命運の成幸フォト撮影会」を開催している地であるが。もともと、平城さんと僕が、「命運の成幸フォト撮影会」を開催する場所を、香港に定めたのも、会社法人とお金の運用を、香港で行うようになったからだ。
香港に個人名義の銀行口座を持ち、
- 香港ドル
- USドル
を中心としたお金での運用を行っている。香港に会社法人と法人名義の銀行口座を持ち、ビジネスの運用を行っている。
勤務していた会社の転勤によって知ってしまったこと。香港という世界有数の金融都市に存在する数々のしくみを利用することで。個人名義のお金、会社法人名義のお金、これらを効率的に運用することができないかを考え実行に移していく中で。いつしか香港は 僕にとって、生活拠点はマレーシアジョホールバルであるが、お金にまつわることの活動拠点は香港になったというわけだ。
今回香港に入った際も、まずは香港のCITIBANKへ。この後、フィリピンと、米国に行くこともあり、米ドルを現金で引き出した。
さらに、会社法人の管理と会計をしてもらっている会計事務所へ。会社法人の会計にまつわる事務作業に関して、確認を行った。
香港の銀行に行くことと、会計事務所に行くことが、ほぼ毎月一度の定例業務的なことになっている。僕は事務的な作業がとてもとても苦手で、香港会社法人の会計業務は、とてもストレスを感じてしまう。
途中で、香港金融の達人、玉利将彦氏からメッセージが入った。もともと玉利将彦氏は、僕と同じ会社に勤務していたが、僕が香港に転勤して、2年後に独立起業された。
香港で金融免許を取得。個人向けの銀行口座と、会社法人向けの銀行口座の、開設とサポートの業務を請け負っている会社を経営されている。
僕が2003年に香港に転勤して以来、公私共にお付き合いがある。僕も香港には毎日いるわけではないので、何かあったときには、サポートをお願いしている。
玉利:「今日は飲みにいける?」
孔明:「何時に終わりそうか決まったら連絡します!」
玉利:「了解です!いずれにしてもオレは行くので連絡ちょうだい!あまり遅いと帰るかもしれんが。笑」
孔明:「了解しました!何時からどこに行きますか?」
玉利:「今垂石の店で飲んでいる。」
・・・とのことで、玉利将彦氏と飲みに行くことになった。飲みに行くのは、香港に長くいらっしゃる垂石さんが経営されている、カウンター小料理屋。行ってみると、玉利将彦氏とママさん2人だけの状態だった。
『タバコ部屋のつづき』が開催された。
『タバコ部屋の続き』
香港金融とビジネスや社会情勢について語る会『タバコ部屋のつづき』。ビジネス・投資について熱く語りながらバーボンをチビチビと舐めていた。
ディナーを中心とした会『タバコ部屋のつづき』は、玉利将彦氏と僕、真田孔明が集まる時に開催される、プライベートな食事会。
当時僕たちは共に、同じメーカーに働くサラリーマンという立場の人間だったが。かつてスモーカーだった僕が、当時は香港は建物の中でもタバコが吸えたこともあり、「タバコ部屋」兼「倉庫」のようなものがあり、僕が「タバコ部屋」に入ると、一人、また一人と人が集まって来た。
そして、いつも、「タバコ部屋」メンバーが揃うと、会社のしごとのこととは違うお話に話題がトリップしたりしてしまうのである。
その発端を作ったのは、月財門の僕だったのかもしれないが。。その中に、唯一スモーカーではないのに、「タバコ部屋」に入って来られる方がいた。それが僕の上司・先輩でもあった玉利将彦氏だった。
陽立門の玉利将彦氏にとっては、会社の中は非常に息苦しかったようで、煙いタバコ部屋の中での語りの方が、居心地が良いのだと当時を振り返りおっしゃっていた。
「タバコ部屋」の中で語られることは、決してオフィスの外では語ることのできないお話。たとえば、グループ会社の中でどこが、給料とボーナス水準が高い上に、リストラされる確率が低いかの分析?
対象グループ会社や部署に異動するにはどうしたらよいかのシミュレーション?
さらには、「将来的に自分たちの道は自分たちで切り開かなくてはならない!」と、ビジネス・投資・・・金(カネ)の話。
本業のサラリーマンとしての、売上・利益計画の大幅達成は、早い段階から見えていて、後は「いかに売上の達成が困難かの演技」をし続けるだけなので、ムダな時間はタップリあった。その時間を利用して、僕たちは「タバコ部屋」の中で熱く語り合っていた。
今振り返れば、あの「タバコ部屋」で語り合っていた、4人中3人(1人不明)が、
- 玉利将彦氏=香港金融の達人
- G氏=不動産投資で夫婦合計数十億円
- 僕=真田孔明
ビジネス、投資の道で自力で稼げるようになってしまったのだが・・・。熱く話が盛り上がった後は・・・。
孔明:「それでは、今日の『タバコ部屋のつづき』は、◯◯の◯◯で。。。」
会社業務時間の終了を待ってから、『タバコ部屋のつづき』として夜の街に繰り出して再集合。夜遅くまで、熱く語り合っていた。
『タバコ部屋のつづき』・・・では、香港銅鑼灣、九龍近辺に繰り出し、行きつけのレストランで再集合することもあったが。時として、深セン、東莞、マカオなどまだ見ぬ世界へ、ショートトリップしてしまうこともあった。
場所を変え、環境を変え脳を普段とは別の場所にシフトした状態でザックバランに語りある。すると、様々なアイディアが浮かんで来るのである。
こうして僕たちは、せっかく世界最大級の金融とし香港にいるのだから・・・。香港にいたままできるビジネス・投資の発想を次から次へと妄想していたのである。
しかし、しばらくすると、玉利将彦氏が、一抜けする形で、独立起業。中国本土に行ってしまった・・・。そこからしばらくして、『タバコ部屋のつづき』は非常に寂しいことになってしまった。
香港の法改正によって、建物の中での喫煙も禁止になってしまったし。。
しかし、玉利将彦氏と僕の縁は、それだけで終わらなかった。僕的には、永住権が取れるまで、ずっと香港拠点にして働き続けたかったのだが。中国本土では、会社の営業成績で、異常値を叩きだしてしまっていたのが、悪かったようだ。。。
20年間億の赤字続きの中国で、鬼の黒字を出し続けてしまい、儲かることが分かってしまったので。なんと突然、担当だった僕が、中国本土に飛ばされてしまった・・・。
広州に新しい支社を立ち上げて、中国本土のビジネスを拡大させるとのこと・・・。結果として僕は、再び玉利将彦氏のいる場所に行くことになった。。
そして、毎週土曜日になると、玉利将彦氏と僕は、僕が住んでいた高級サービスアパートメントの遊び場のようなところに集まったり。カフェで集まったりして、語り合っていた。
その様子をmixiなどを通して、発信していたところ・・・。なんと、現地在住の日本人が、10名近く入れ替わり立ち替わり集まり。玉利将彦氏と僕の語り合いの会『タバコ部屋のつづき』に集まって来た。
そして・・・ここでも奇跡が起こった。僕たちと一緒にだべっていた人たち、その殆どが現役サラリーマンやあ、現地留学中の学生さんんもいた。。
彼らが片っ端から、稼げるようになってしまったのだ。。別名『札束の会』とかの名前がついたりしたが。。。
その後、僕は今度は中国広州に転勤となり。マレーシアジョホールバルに引っ越し、玉利将彦氏と真田孔明の語り合いの会『タバコ部屋のつづき』の開催頻度が極端に減ってしまったが。。今もこうして、顔を合わせるタイミングで、玉利将彦氏&真田孔明の『タバコ部屋のつづき』をチビチビと開催しているのである。
玉利将彦氏&真田孔明の『タバコ部屋のつづき』十か条
一、気持よく楽しいと感じる環境で
一、困っている仲間や悩んでいる仲間は放おっておかない。
一、悩みある場合は愚痴は聴いてあげる(金銭的なサポートはしない)
一、酷したり戒めたりのことばは一つもいらない
一、自分の好きなことにはトコトンのめりこんでよし。
一、心は中国大陸のように広く大らかなに
一、シュガーズ(砂糖・甘味料・はちみつ・フルーツ・チョコレート・ケーキ・缶コーヒー・ジュース他)は禁止
一、上下左右の人間関係を気にすること無く好きな時間に帰って良い
一、既存の常識にとらわれず、古きを学ぶよりも、新しきを知る
『タバコ部屋のつづき』・・・と言うが、玉利将彦氏は当然のこと、今は僕もノンスモーカー。なので『タバコの会』ではない。玉利将彦氏と僕が一緒に飲む時、機会あれば『タバコ部屋のつづき』にどうぞ。
ただし、玉利将彦氏がどんな考えを持ち、何をやっているのかは、事前に確認必須。
香港金融の達人玉利将彦氏のメール講座「国境なき投資戦略」
http://www.borderless-investment.com/mailkouza100.html
追伸
毎月香港で平城寿と共に開催している、『命運の成幸フォト撮影会』。
6月と7月は香港ではなく、日本の東京で開催する。
『命運の成幸フォト撮影会2017』今後の日程
2017年6月10日(土)〜11日(日)in 東京 ※残り1名
2017年7月1日(土)〜2日(日)in 東京
2017年8月12日(土)〜13日(日)in 香港
2017年10月14日(土)〜15日(日)in 香港
2017年11月11日(土)〜12日(日)in 香港
『命運の成幸フォト撮影会』資料請求
http://hirajoshiki.com/seikouphoto_shiryo
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…