~会員27万人ビジネスマッチングサイト@SOHOを1人で立ち上げた不器用な男の過去を正直に告白~
【錬金術04】「一度も雇われなかった男」の称号
東京のS社長の会社の訪問後。男は再び、毎月『アントレ』に読みふける日々が続いた。
当時(1999年)は、日本は『ネットバブル』と呼ばれ、就職戦線は氷河期だったものの、東京の都心部ではインターネット関連ビジネスが盛り上がり、渋谷に『ビットバレー』と呼ばれるエリアが出現した。
これはアメリカのカリフォルニアの『シリコンバレー』というエリアにちなんだもので、当時の渋谷にはインターネット関連企業が多く集まっていたため、そのように呼ばれるようになった。
ビットバレーでは定期的に交流会が開かれており、ソフトバンクの孫正義氏も、プライベートジェットをレンタルして海外からわざわざその集まりにかけつけるほどの熱狂ぶりだった。
その中でも目立っていたのはやはり、ホリエモンこと堀江貴文氏(当時は株式会社オン・ザ・エッジ代表取締役であり、後にマザーズに上場後、ライブドアを買収し代表に就任する。)サイバーエージェントの藤田普氏の2名だった。
どちらも、大学時代に会社を立ち上げていたため、『学生起業家』と呼ばれ、アントレ上では『一度も雇われなかった男』と評されていた。
一度も雇われなかった男ー。
この言葉に、男はシビレた。
なぜなら、当時の男は、一度は企業に就職して社会人としての経験と実績を積み、それから独立起業しようと考えていたからだ。
本で読む限りは、成功した経営者の経歴は、有名大学を卒業し、一度は大手企業に就職し、満を持して独立、というパターンが多かったので、男もそのように考えていたのだった。
当時はまだまだ20代で社長になる人は少なく、40代の社長でも若いと言われていたのだ。
(実は、堀江氏が最初に藤田氏に会った時、藤田氏が株式上場を目指しているのを知り、「凄い考えをもっているな」と影響を受け、自身も上場を意識するようになったという。
その後、藤田氏のサイバーエージェントは2000年3月にマザーズに上場。堀江氏のオン・ザ・エッジは2000年4月にマザーズに上場。)
男は内定を2社獲得していたが、会社に雇われようとしていた自分が恥ずかしいと思うようになった。
(成功したい。)
という気持ちは人一倍あったものの、何をビジネスにすれば良いのか、は全く検討もつかなかった。
男が住んでいた福岡では、東京との温度差は非常に大きく、インターネット関係の話題が盛り上がっているとはとてもいえなかった。
(これからはインターネットの時代だ。)
という気持ちはあるものの、日常的に接する大人は自分の親か友達の親か学校の先生ぐらい、という超ド田舎宮崎で育った男は、社会の構造を全く理解していなかったので、何をどのようにすればビジネスになるのか、ということすらわかっていなかった。
2社からもらっていた内定も断ったものの、結果的に男は学生時代には起業できず、『学生起業家』という称号を得ることはできなかった。
男は最後のあがきとして、『一度も雇われなかった男』の称号は得たいと、暗中模索への道へと入っていく・・・。
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