「会社人間」以外の人生があっても良いとは思いませんか?だからと言って、単に収入が無い状態で、自宅にこもってうろつかれても。奥様の殺意レベルが高まるだけだと思います。
そこで、一家の「大黒柱」としての「義務」とも言える、高い「年収」をもらいつつも、自分の時間・場所を含めた、「就労からの自由」による人間らしい暮らしをする「権利」も主張できるようにする。
できる限り、早期のタイミングで、この状態を作れるかどうかが、僕個人的な主観的意見として重要だと思うわけです。
「会社人間」以外の「ライフスタイル」
勘違いしてほしくないことは、まるで会社の社畜のように拘束され続ける人生にサヨナラを告げて「自由になりなさい!」と「強要」しているわけではないです。人によって人生の価値観は、それぞれですからね。好きで、
「会社のことだけ考える仕事人間を貫き通したい!」
とおっしゃるのであれば、それはそれで、その人の価値観なので、
「頑張ってくださいね!」
と陰ながら応援させていただきますが。もしも、本来「仕事人間」として生きるだけの人生を送ろうとしていたわけではないのに。結果的に、四六時中会社に拘束されて労働を強いられ続ける「仕事人間」であり続けてしまっている現実がある。
その状態から抜け出したい!けど、抜け出す方法が分からないというのだとしたら、その場合にそっと、手を差し伸べたいわけです。約12年間、上場企業に勤めるサラリーマンも経験した上で、「独立」して今に到る僕の、個人的な主観的な意見になってしまいますが。
男にとっての人生って「会社人間」以外の人生があっても良いのではと改めて思うわけなのです。せっかく、戦争も無い、帝国制でもない、「自由民主主義」な時代に生まれ、生きることができているのですから。
この時代ならではの、楽しみ方っていうのも、思う存分楽しめれば良いなと。決して、会社勤務の仕事を否定しているわけでは全然無いですし。夢中になって、オフィスにこもって働き続けることをダメ出ししているわけでもない。
でも、「仕事だけ」の人生になってしまうと、もったいないなと思うのです。今の時代は本来「強制労働」を強いられてるわけではないのですから。思考を止めて奴隷のように働く必要もないし。働くためだけに人生を送る必要も無いわけです。
昭和の時代のような男性にとって人生全てが「仕事中心」というようなのはどうなのか?もっと僕たちの人生にとって、家族と過ごす時間だったり、仲間たちと過ごす時間だったり、自分自身と向き合う時間だったり。
そういう時間を送ることも、大切なことなのではないかなと。「仕事との距離感」というのも今一度見直してみてはいかがかなと。僕がサラリーマン時代に、見てきた光景。家庭を犠牲にしてでも「会社に尽くす」先輩・上司たちの姿。
最初は、「戦場で闘い続ける戦士」的に「格好いいな!」とは憧れの気持ちを抱いたりもした頃もあったのですが。結局、尽くして、尽くして。会社の上司から、「認めてもらって」とか言うことになると思うのですが。
実際会社は、切る時になったらズバッと切るし。アッサリと首をすげ替えることなんか普通にやってくる。でもそれは考えれば、会社にとっては当然のことで。会社のミライにとって、必要が無くなった人は、経費を食うだけの不用品以外でもなんでもなくて。
中途半端な使えない中堅を1人切れば、数名の優秀な新人を雇うことができるのですし。僕の場合、元都銀銀行マンの社長によってたったの1年で社内の3分の1が消えてしまう「大リストラ」を目の当たりにして。
「会社人間」として、深夜遅くまで働いていた、僕よりも10歳〜15歳以上年上の上司・先輩たちが。私物的な荷物をまとめる後ろ姿。決して、今まで「私を雇い続けてくれてありがとう!」という表情ではなく。
「オレが去った後、会社もみんなダメになればいいのに!」
と言わんばかりの、まるで大好きだった恋人に突然捨てられたような、何とも表現し難い恐ろしい顔をしていたのです。それを見送る側の同僚たちも、
「先輩がいなくなったら、残されたボクたちはどうするんでしょうか?(涙)」
という感じではなく。「ボクはリストラ対象から外れてセーフ」という感じになるわけなのです。それをリアルに体感し続けた僕は、どこか会社との距離感を置くようにしたわけなのです。
家族を犠牲にして、自分のプライベートも犠牲にして、会社だけに全てを捧げて来たとしても、最後には一体何が残るのだろうか?と考えると、副業として「起業」せざるを得なくなったわけです。
「会社人間」からの脱出と大幅な年収UP
もしも「私も会社人間から脱したい!」となったとしても、それは仕事も全て放り出してプータローになりましょう!と言っているのではないことも同時にご理解頂きたいのです。僕たち一家の大黒柱が「会社人間卒業!」と言って、お仕事を全て辞めて、ニート的な状態に陥り。家の中で寝間着でフラフラしながら、
「ねえ、飯まだ〜!お腹へった!」
などという状態に陥ってしまったとしたら。奥様含めた家族から見たら、恐怖以外のナニモノでもありませんよね。「いっそのこと・・・」毒を盛ろうとよぎるか。現実的には「実家に帰らせてもらいます!」という流れになると思うんです。
女性の生存本能的には、沈みそうな船からは直ちに脱出!というのが、正しい判断とも言えるわけで。いくらその状態で、
「いや〜、せっかく家族と一緒に住んでいるのだから、家族のためにもっと時間を裂こうと思って。。」
なんて笑顔で言われても、「コイツ頭おかしくなった・・・」としか思われません。すると、「会社人間から脱出する」ことと、「ニート」的な存在になることは、別物であることが分かります。
何の準備も無しにただ「会社人間」から脱してしまったら、家族が露頭に迷う未来しか脳裏に描けなくなってしまいます。「会社人間」時代よりも、遥かに高い安心感を家族に提供し続けることが、自ずと大黒柱の「義務」として求められるわけです。
どうやったら、家族は「安心感」を得られるのか?その基準は、「年収基準」で高みに昇ること一択です。つまり、
- 「会社人間」からの脱出
- 大幅な年収UP
これは、常に表裏一体的な、「セット物」であることが自ずと導き出されます。それまで、会社の就労だけに従事し続けていた自分の時間と労力を、「自分で稼ぎ出す力」へとシフトさせながら。
家族が納得に到る程のサラリーマン時代の給与収入以上の「結果」を出すこと。最初の段階としては、この「年収基準」の部分が重要になってくるわけです。
けれども、サラリーマン時代の給与所得以上の高い年収を取るため・・・と言っても、「会社人間」時代よりも、お仕事に沢山の時間と労力を費やし続けていたのでは、これまた本末転倒になります。
具体的に言えば、10時間以上の労働をしなければ、給与収入以上の年収が維持継続出来ないのだとしたら。「会社人間」のままでも良かったのでは?と家族から思われてしまうわけです。
だから、「大黒柱」としては、「会社人間」時代と比較して圧倒的に少ない時間と労力で、「会社人間」時代の給与収入を遥かに超える「年収」を叩き出す。という「結果」を、家族に示すことが、宿命的に求められてしまうわけなのです。
ここまで実現できて、家族はようやく「安心」して、自分が大黒柱として支える家の中に住むことができるわけなのです。「会社人間」時代よりも、圧倒的に少ない時間・労力で、圧倒的に高い「年収」を出すためにはどうすれば・・・。
そんな自分にとって都合の良い方法があるのだろうか?この疑問に対する答えが、「DXオートメーション」の中に凝縮されているのです。
お仕事のあり方を変革し、競争上の優位性を確立
「DX(デジタルトランスフォーメーション)」という言葉は元々。スウェーデンの、Dr.エリック・ストルターマンという大学教授が考えた言葉だそうです。
Dr.ストルターマン:「IT(情報技術)の浸透が、人々のあらゆる面で良い方向に変化させる」
Dr.ストルターマンは、「生活を変化」させる。と言ってますが、この「変化」という言葉が重要です。「DX(デジタルトランスフォーメーション)」の「トランスフォーメーション」とは、英語で「変化・変形・変容」を表しますが、
「デジタル化により生活の形、ライフスタイルが変わること」というのが「DX」の辞書的な意味になるわけです。ただし、「変化」という言葉は、「悪い方に転落」する意味に使うのではなく。
「今よりもより良くなる」という向上の方に使うことも見落としてはならないことです。「DX」は、僕たちの生活を、悪化させるためではなく、良い方向に変化させるための「戦略」とも言えます。僕たち個人に「DX」を当てはめて見ると。
僕たち個人がビジネス環境の激しい変化に対応し、データと、デジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを元に、ビジネスモデルを変革すると共に、お仕事のあり方を変革し、競争上の優位性を確立させること。
つまり、「僕たちのお仕事に費やす時間と労力を減らしながらも他者よりも儲かる仕組みをつくること」となるわけです。これまで僕たちが用いてきた単語「IT(情報技術)化」とは根本的に異なるのです。
IT化の場合は、業務の効率化。業務の基本的な性格・役割は変わっていないけれど、ITによって業務が大幅に効率化した、生産性が向上したことによるメリットという「戦術」的なお話でした。
一方「DX」の「X」は、トランスフォーメーション(変革)なので、導入した僕たちの、ライフスタイルそのものに「変革」が踏まれていることになります。IT化は「戦術」であり、DXは「戦略」なのです。
これを理解した上で僕たちが個人として「DX」を導入することで、僕たちの人生そのものを、良い方に変革するための、根幹ともなり得る部分なのです。そこにさらに僕たちは、「オートメーション」という言葉を意識的に導入。
「DXオートメーション」としたわけですが。大局戦を繰り広げる大手企業が導入する、「DX」よりも、より局地戦的な闘い方になる代わりに、さらに、僕たちが個人として極力何もしなくても良くなるような工夫を盛り込んでいるわけなのです。
これによって、決して「大手」が入り込めないような、僕たちだけの秘密の不可侵領域が形成されるわけなのです。オートメーションによって、圧倒的なマンパワー不足問題も、未然に防ぎながら。
結果、大幅に僕たちのお仕事に費やす時間と労力を削減しながら、年収水準を上げていく。「会社人間」から脱出する際に、一家の大黒柱に求められる「義務」を全うしたまま。
僕たちのたった一度の人生を愉しんでみせる!という「権利」を堂々と家庭内で主張できるようになれるわけなのです。
「DXオートメーションプログラム」では、単に効率化や売上・利益UPという部分ではなく。僕たちそれぞれの、「ライフスタイルの変革」という、大きな課題にも取り組んだ、その「研究結果」とも言えますので。
今日お話した部分を理解頂けると、本質的な意味での、「DXオートメーション」が持つ力というものが理解できると思うのです。
『DXオートメーションプログラム2021』
https://l.renkin.jp/dx-start?k=102
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…