自分がどう思うか?という視点よりも、時空がどう自分を認識するか?という視点が、ビジネスの世界で、偉業を成し遂げるために重要になる。
往々にして、ビジネスの世界で実績を出せていない段階の場合は、ビジネスでお金をもうける・・・という段階以前に、何の仕事をしてもうまく行かない場合が多い。
心の中で、見栄やプライドばかりが先行してしまい、いくら我武者羅に、必死に努力をしても、結果を出すことができず、焦りだけが募る形になってしまう。
この段階では、いくら転職を試みてみようが、副業ビジネスに挑戦してみようが、独立起業して、外の世界に飛び出そうが、基本的に何をやってもうまくいくことは無く。
逆に、その状態で動けば動くほど、絡んだ縄が更に複雑に絡まるかの如く、ドンドンがんじがらめの状態になってしまう。
動けば動くほど状況は悪化、前の状態の方がマシだったという結果に陥る。
自分は一生懸命やっているに、外的環境・・・他人から足を引っ張られるという理由で。
そんな状態に陥ってしまった場合、ボロボロの状態から脱し、前進をしようと試みる場合重要なことは。
自分の結果がいかに優れているか、自己主張することではなく。
理解してくれないと、周りの人間に対して愚痴を吐くことではなく。
足を引っ張る人たちに、恨みつらみを重ねることではなく。
現状から脱出!と、現実逃避する形で、「いとも簡単に稼ぐ方法」を模索して、情報商材を買い漁ったり、セミナーに出席しまくることでもはなく。
視点を切り替えてみること。
これまで生きてきた中で、自分自身がどう思うか・・・を中心になっていた主観的視点を反転させ。自分は周りからどう認識されるのか?という時空(世の中・第三者)から見た客観的視点に切り替えること。
周りから認識される自分という視点から、最も有効的な自分を発見して、思考と言動を整え、土台を固めることにある。
その際、一度、新しいことに目を向け、飛び出そうとする自分の足を止め、まずは今目の前にある現状の中で、自分がどこまでやれるのか?
再挑戦してみる必要がある。
この段階で極めて有効的なのが、「命運」・・・。
生まれながらの囚われ、生まれながらのアビリティ。これを客観的に算出できる「門」なのだ。
「天才は1%の才能と99%の努力」
世の中には、「命運」という存在を嫌う人たが多い。後天的な努力こそが僕たちの人生を変えるものだ。
人間その気になれば何でもできる!・・・と、確信に近い気持ちで、日々勉強や仕事、労働に励み続けている。
Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.
「天才は1パーセンテージの才能と99パーセンテージの努力である」
・・・というような、言葉も世の中には広く伝わっていて。。「努力こそがひらめきに 必要なものであり、努力が最も重要である」とか、「あの天才でさえも惜しまぬ努力をしていたのか!」
・・・多くの人たちが認識している。
しかし、本場華僑大富豪たちに脈々と伝わる秘術である「門」では、この考え方は、推奨されていない。
あくまでも、古の時代で言うところの「使用人」的な位置づけである官職・・・サラリーマンや公務員の方々に、国家のため、トップのため、上級職のため、一生懸命に忠実に
必死になって労働に励んでもらうための表向きの訓えであり。帝王学である「門」では、出来ないことを努力によってできるようになるという「無駄な努力」を推奨されていない。
天命にも例えられる、生まれながらの囚われ、生まれながらのアビリティを、そのまま活用することを推奨している。
そういえば、北の物販大富豪こと、北野会長も、いつもハッキリとおっしゃっられる。
「運が8割、実力1割、勘と根気が1割」・・・と。続けて、
「必死になれば必ず死ぬ。必ず死ぬと書いて必死。」
「無理、無駄、ムラをするな。」
「動くな、働くな、何をするかゆっくりと考えろ。」
・・・と。北野会長は陽創門。しかも、44年間もビジネス・投資の世界で生き残り続けられた、既に金融資本主義の中での「財運」が発動された状態の御方。
書物などから学ばずとも、天から情報やアイディアが勝手に降ってくる。。。
ある種、ブッダやキリスト、一休さんなどの大僧侶的な状態にある御方だが、その御方が、このように言い切ってしまっているのである。
古からの情報の蓄積である、「門」の世界での考え方とも、ピッタリと一致しているところに、僕たちは注目しなければならない。
「門」でも、「命運」によって、大多数のことは決められてしまっているとされている。
天命にも例えられる、生まれながらの囚われ、生まれながらのアビリティに、抗うことなく、そのまま活用することを推奨している。
命・・・運・・・生まれながらに定められた命運。生まれながらの囚われ、生まれながらのアビリティ。
天命通りに生きれば、時空(世の中や第三者)から尊ばれる形で、無駄な努力などしなくとも、万事うまく回りだすと。
すなわち、金融資本主義の現代では、ナンバー1やトップの座に君臨することはできずとも。相対的に、有利な立ち位置を獲得。
結果として、充実感溢れる人生を全うできると。。。
立門のフリをした真田孔明と福山雅治で考察
確かに僕もこれまで、沢山の方の相談に乗って来たが、僕の過去の経験則によると。
僕の元々のフィールドである、キャラクター玩具の業界で言う「キャラクター設定」が間違っていると、「キャラクター設定」に反して暴走した状態になってしまうと。その状態で動けば動くほど、転落して行く場合が多い。
・・・たとえば、分かりやすい例えとして、誰かを勝手にとりあげてしまうとまずいので、僕、真田孔明自身を例に挙げてみよう。。。
仮に、月財門の僕が、陽立門の人間のように、ドアップで真正面を向いて王様のように君臨したポーズで撮影した写真をfacebookのプロフィール写真として掲載したとしたら・・・どうなるだろうか?
「キャラクター設定」が違う。。。
僕以外の第三者から認識され、途端に「運」と呼ばれるものが悪くなり、ドンドン転落して行く。
転落して行く状態で、下げ止まりしようとすると、それこそ、必死に努力をしたり。考える暇なく、動き、働きまわり。全ての言動が、無理・無駄・ムラばかりになってしまうのである。
第三者の認識から客観的に見れば、一目瞭然であり、顛末は容易に想像できることだ。
もう一つ、僕のような時空からの認識がマイナーレベルの人間ではなく、時空からの認識がメジャーレベルな方の例を一つ挙げてみよう。
日本一のモテ男とされていた福山雅治。
圧倒的な時空からの認識を誇る、福山雅治の場合、女優の吹石一恵と結婚しただけで、
「キャラクター設定」が壊れ、その影響でアミューズ社の株が本当に大暴落。
「インサイダー取引」疑惑まで浮上している。
福山雅治の「キャラクター設定上」、時空からの認識の度合いが、高すぎることもあり、人間としては極めて普通の活動の一つである結婚さえ、設定をぶち壊す、大スキャンダルである。
- 立門のフリをしようとする真田孔明
- 結婚した福山雅治
・・・このように、第三者を例にあげると、「キャラクター設定」の違い。
生まれながらの囚われ生まれながらのアビリティに反してしまうことの、悪影響ぶり。。。不運ぶり。。というものは、真田孔明や福山雅治など、第三者を例に挙げれば、容易に想像できると思う。
けれども、実際大多数の人間は、このようなことを、普通に行ってしまっているのである。
その結果として、自分は必死に働いているのに・・・自分は努力しているのに・・・周囲の人間は足を引っ張ろうとしてくる・・・周囲は自分のことを理解してくれない・・・
・・・と、日々悩み、苦しみ続けているのである。
だから・・・重要な事は、「自分がどう思うか?」という主観的視点で物事を、強引に推し進めようとすることではなく。
「時空(世の中、周りの人間)がどう自分を認識するか?」という客観的視点で、「天命」「命運」通りに楽に素直に生きてみることである。
生まれながらの囚われ、生まれながらのアビリティ。
確かに「自由意志」を力に、これらに反した言動をとり続けることはできるのだが。これに抗おうとしたところで、第三者からの認識は良い方には向かない。
そのまま無理をし続けても、何をやってもうまく行かないし、必要以上の努力をしなくてはならなくなり、無理・無駄・ムラばかりが多くなり、悩みばかりが蓄積しはじめてしまう。
金融資本主義の世の中で、ビジネスを通して、相対的に有利な立ち位置を勝ち取るためには。「天命」を理解すること。
「命運」を理解すること。
生まれながらの囚われ、生まれながらのアビリティを理解すること。
これが、何よりも有効的なファーストステップになるわけだ。
追伸1
手のひらの表と裏。手のひらの手相がある方を表側としたとすると、表側が、自分が自分のことをどう思うか?
・・・とした場合、手のひらの裏側が他人が自分のことをどう認識するか?
・・・となる。
手のひらの表側でやってみて、うまくいかない場合、クルッと手のひらをヒックリ返して、手のひらの裏側でやってみると、道がすぐにひらけるようになる。。
これは北野会長流問題解決手法より。
追伸2
2016年最初の具体的な行動計画として、
「門」による生まれながらの囚われ、アビリティを算出。
・ステップ2:
平城寿@SOHOの「魔法のノマドカメラ」で「成幸フォト」を撮影。
・ステップ3:
Facebook、ラインなどのSMSのプロフィール写真に使う。
まず何よりも先に、これを遂行することを推奨。
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…