僕たち「門使い」にとっての新年とは、1月1日の元旦に非ず。
たとえば今年2016年だと2月5日(金)から、丙(ひのえ-陽の火-)申(さる-陽の金-)年に変わり新たな一年間がスタートする。ここ香港は本当の新年とも言える旧正月まっただ中。家族と共に香港を訪れた。
思い起こせば、僕真田孔明がサーバー世界でデビュウしたのも、申(さる-陽の金-)年だった。
当時はまだ26、27歳。暦が申(さる-陽の金-)年に変わった時、無性に情報発信をしたくなり、会社から帰宅した後、または途中にカフェに寄り、独りウェブサイトを夜な夜なシコシコとこしらえた。
まぐまぐ!でメルマガジンを頭をひねりながら創刊準備。そして、申(さる-陽の金-)年の申(さる-陽の金-)月に、スタートさせたわけだ。
申(さる-陽の金-)とは、僕にとって月財門の兆し。申(さる-陽の金-)日生れの長女が生誕8ヶ月間で、香港に遅ればせながらやってきたのも申(さる-陽の金-)年。
あの頃は、こういうシナリオ(大運)というものが、予め生まれながらにして決められていたとは知らず。
しかし、後から振り返ってみれば、全てが命運の暦の通りに、動かされていたわけで。「全てはもともと決まっていたこと。。。」とも考えられるが、一方では活動の場所を変えたからそうなったとも考えられる。
過去はやり直せないので、こればかりは過去に起こった現象からの推測、憶測に過ぎないのだが。兎にも角にも僕の人生は、活動の拠点を日本から香港に移動したことで僕の人生の流れは激変を遂げた。
「生まれながらの自分」というものにも、巡り合うことができて。ヨイショヨイショでは、過去にもチョイ出はしていたものが、本格的に表面化して。同時に、それまでの人生で悩み苦しみ続けていたことが、すべて嘘だったかのように。力を発揮できるようになれた。
そのキッカケはすべて、「香港」にあったわけで。だから、いまだに僕にとってビジネスの拠点といえば、香港に集約されて行く。
生活拠点を、世界で一番過ごしやすい気候ともいえるマレーシアジョホールバルに移したあとも。毎月一度は香港に訪れる。そして仕事に集中する。
なぜか香港だと、仕事がうまく進む。そして、年に一度か二度は、今回のように家族を連れて香港に。かつて住んでいた場所。かつて生活していた場所。
まるで神社の参拝の如く、くるくると回り観るのである。
2004年に香港に来たばかりの長女は当時8ヶ月。次女は2005年に香港で生まれた。
当時は我が子可愛さに、mixiなどで、「うちの子一番」の記事連載などをたしなめていたが。ベビィちゃんだった彼女たちも、いつの間にか、12歳と10歳と、大きくなってしまい。
おんぶや抱っこどころか、軽いハグさえも、困難な状態になってしまって、孔明パパとしては悲しい気持ちにもなるが。かつては僕も、小学校1年生の頃は、北公園のジャングルジムの上から、「ママ帰ってきてよ〜」と叫んでいたらしいが。 (孔明ママ談で真偽は不明)
小学校3年生の時には、完全に親離れしていて。独りで電車に乗って、横浜とか渋谷に遊びに行っていたので。(遊びにといっても、駄菓子屋やおもちゃ屋、鉄砲専門店)
娘たちたちは、既に十分すぎるほど、孔明パパとお付き合いしてくれている方だと思った。
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…