我ら「剣客遣米使節団」が次に訪れたのは、ニューヨーク・マンハッタンのダウンタウンにある地域「ソーホー(SOHO)」。
「ソーホー」の有名なカフェに行きたく「CHOBANI」というカフェを集合場所に設定したのだが、残念ながら「CHOBANI」は、「剣客遣米使節団」の人数が、店内で食事ができるようなサイズのお店では無かった。
そこで、「剣客遣米使節団」は、徒歩でランチができるところを探す目的の優先順位が高い状態で、「ソーホー」の街を練り歩くことにした。
「ソーホーは芸術の街」というイメージが高かったが、街を歩いてみると、単なる高級ブランドショッピング街になってしまっている。
「ソーホー」は、芸術家やデザイナーが多く住む町ではなかったのか?
「芸術はいずこ?」
「剣客遣米使節団」は、株式相場の世界で闘う「剣客」であるが、それぞれ、事業を行うビジネスマンや経営者という一面も持っている。
よって、異国の地に来たときには、商売に必要なセンス的な感覚を磨く意味でも、現地ならではの芸術やアートに触れることも重要である。
そこで、芸術とアートで有名な「ソーホー」の街を訪れたのだが、芸術とかアートとかの類は、路上にチビチビと、やっている者たちしか見当たらない。
一体どういうことなのか?「ソーホー」の歴史を紐解いてみることにした。
売春街から高級ショッピングエリアへの遍歴
「ソーホー」という地名は、香港などアジア各国でも耳にするが、やはり何と言ってもマンハッタンの「ソーホー」が世界的な認識力が最も高い地である。
もともと「ソーホー」という地名が、この地が芸術家の町として盛り上がった1970年頃に登場したもの。語源は「ハウストン通りの南」(South of Houston Street)という意味。
「ソーホー」の歴史を紐解くと、19世紀頃は売春宿と劇場が建ち並ぶニューヨーカーにとってのエンターテイメント的な繁華街だった。日本で言えば、新宿歌舞伎町的なイメージだろうか?
その後、繁華街の中心地がマンハッタンの北のエリアに移ったことで「ソーホー」地区は衰退。繊維・衣服工場や倉庫などが入居し、低賃金で移民労働者をこき使うような、ブラック企業が乱立するようになった。
1950年代には倉庫と低賃金のブラック零細企業が入居するだけの犯罪率も高い荒廃した地区になっていた。その後、「ソーホー」が芸術家の町として変化を遂げてきたのは、1960年〜1970年代のこと。
「ソーホー」エリアの、キャストアイアン建築の物件の空室が沢山あり、賃料もとても安かった。キャストアイアン建築の上層階にあるロフトは天井も高く窓も大きく、明るい部屋で大きな作品の製作ができるということで、お金の無い芸術家やデザイナーたちのロフトやアトリエへと転換されていった。芸術家の天国と呼ばれるようになった頃に流れが変わった。
「ソーホー」に、芸術家の集うレストランやギャラリー、ライブハウスができ、1980年以降になると、カウンターカルチャーの聖地となった「ソーホー」にあこがれた富裕層の道楽ボンボンのヤッピーたちも、エセ芸術家的に、趣味的に、この地に住み着くようになり。観光客も集まるようになった。
富裕ヤッピーや観光客相手の超高級レストランや超高級ブランドの路面店が進出してくると、町はにぎやかになりすぎ喧騒がひどくなり、落ち着いて仕事や美術鑑賞のできる雰囲気がなくなり、地価の高騰によって、芸術家たちもギャラリーも、古くからの貧困住民たちも、家賃が払えなくなり、「ソーホー」エリアから追い出されてしまった。
結果的に「ソーホー」は今、世界的な有名ブランドショップが建ち並ぶ高級ショッピングエリアと変わってしまった。
・・・ということで、現在では「ソーホー」に芸術やアートがあるのは、路上の無許諾営業ヒッピー的な方々だけで。
どこにでもある、高級ブランドショップが他のエリアとはちょっと違う雰囲気で店を構えるだけの、野外高級ショッピングモール的なエリアになってしまった。
「追い出された」芸術家たちの気持が分かった瞬間
「SOHO」エリアをただ歩いているだけでは、我ら「剣客遣米使節団」一行を受け入れてくれるようなサイズのレストランの発見が困難。そんな中、多少はいるまでに並んでいるが、ハンバーガーの食べられるカフェレストランを発見。
大きなテーブル席を確保することができた。日中からビール片手に乾杯。
小ぶりなハンバーガー、ボールに入ったサラダ、さらには焼きトウモロコシを楽しんだ。その後も、ビールを飲みながら、「地下ソサエティ」メンバーよろしく決して日本では語れない、プラチナ−トーク満載の団らんを楽しんでいる時。
店員さん:「お客さんが並んでるから、食べ終わったら次のお客さんのために席をあけてね(英語)」
さすがは高級化したSOHO、時間辺りのコストが高い。家賃が鬼のように高いので、回転率が命なのだろう。
少し遅めのランチタイムだったが、優雅に語り合いながら、会食を楽しむ猶予は無かった。我ら「剣客遣米使節団」に対してもこれは同じようで、お店を早々に追い出されてしまった。
「ソーホー」から追い出された、芸術家たちの気持が分かった気がした。
かつてのような、芸術家たちのためのゆとりある「ソーホー」はもう無いようだ。今は、完全に経済優先の現実的な街へと変化を遂げているのか?
高級化というものは、街の本来の個性というものを奪ってしまう恐れがある。「ソーホー」が本来持っていた持ち味も高級化によって、消えてしまったのかもしれない。
経済発展の良さと、経済発展の残念さ、この陰陽が同居している街だというのが、「剣客遣米使節団」が「ソーホー」を訪れた感想である。
鉄鋼の街「ソーホー」が、売春の街へ、移民労働者ブラック企業の街へ、芸術家の街へ。そして、今日のような、高級ショッピングエリアへ、数十年ごとに、世の中の流れも、産業や経済の流れも変わっていく。
今僕たちがそれぞれのビジネスで、もうかっているからといって、油断していると、世の中の様子がかわり。たちまち稼げなくなってしまう。
「ソーホー」を追い出された芸術家たちのように、今いる業界からキックアウトされることもある。
だから、稼げている今の内に、ムリ・ムダ・ムラを極力排除して、先々のために蓄積をする必要がある。
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…