米国ハワイのワイキキビーチに家族で来ている。
これから、2015年1月8日まで、ワイキキビーチで過ごす予定である。
ハワイに来る度に思い出す。
僕が生まれてはじめて外国の地を踏んだのは、同じくここ、米国ハワイだった。
1979年、まだ僕が3歳の頃。
サラリーマンの父、地方公務員教員職の母に連れられる形で、家族旅行という形でハワイに訪れた。
今でこそ「ハワイへ海外旅行」と言えば、僕たち日本人にとって身近な旅行となっていて、学生だけでも気軽に行ける旅行の一つに位置付けられているが。
70年代の当時はまだ、島国日本に生まれ育った僕たち日本人特有の表現、「海外」への旅行がようやく一般化したばかりの頃。
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1980年代後半のプラザ合意以降の急激な円高の進行。
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1988年12月から施行されたアメリカ合衆国訪問時のビザ免除制度の開始。
ハワイへの「海外」旅行が本格的に加速したのは、この2つの出来事があってからだと言われている。
1979年と言えば、その前段階での旅行。
当時、米ドルの為替相場が、1ドル240円。
今と比べてしまえば、超が付くほどの「円安ドル高」。
「海外」のハワイへの旅行は、サラリーマンと公務員の家計にとっては、非常に高価なイベントだったと想定される。
そんな中、両親にとっての「大金」を費やしてくれて、物心ついたばかりの僕を、ハワイに連れて行ってくれた両親には、本当に感謝である。
実際に僕が3歳当時のハワイ旅行で覚えているのは・・・
太陽の光で背中全体を火傷のように日焼けをしてしまい、
3歳孔明:「痛い!痛い!」と言っていた記憶。
ホテルのラウンジで、外国人に「スイートベイビー!」として、色々なことを話しかけられて嬉しかった記憶。。
幼いころの僕は、基本的に泣くことは無く、いつも周囲にニコニコと愛想を振りまいていたらしく。。
ハワイでは、頻繁に外国人に声をかけて頂き、それに対して、笑顔で応えていたとのとだ。。
(当然ながら特に女性に対しては、最高の笑顔だったに違いない。。。)
まあ、全ては過去の両親の記憶によることなので、かなり美化されているのだと思うが。。
どちらにしても、サラリーマンと公務員という、普通の家庭にも関わらず、3歳でハワイの地を踏ませて頂いたのには、非常に感謝である。
あの時の両親がしてくれたことが今の僕の原動力に!?
今僕自身が、当時の両親と同じように、子の親になって改めて思う。
もしかしたら、あの時両親が、「大金」をはたいてハワイ旅行に連れてきてくれたからこそ体験できた、幼い頃の貴重な体験が、今僕がこうして、海外で少しも臆すこと無く、家族と共に住んだり、ビジネス・投資の活動をしたりができる・・・その源となっているかもしれないと。。
僕の両親は、今日時点においてもまだ、英語は全く話せないが。。
(英語系の勉強をはじめてみては挫折しているのは何度か見た。。苦笑)
僕の代では、本格的に英語を使いこなせるようになれた。
僕はネイティブ的な発音とは程遠い、日本語発音そのままの発音ではあるが、最低限ビジネス・投資の活動には、支障なく英語を使いこなすことができるようになった。
そして、今回一緒にハワイ入りした、僕の娘たち・・・2013年の2月1日にジョホールバルのラッフルズアメリカンスクール(Raffles American School)に入学して通学して来た11歳と9歳の二人の娘たち。。
アメリカンスクール入学の面接時は、全校生徒の人数が6、7人・・・という状態だったので、英語力がゼロ。。。にも関わらず、面接も試験も一切無く、はじめて見学したついでに、僕がサインをしていきなり入学決定。。。
・・・という超ラッキー状態だったが。一度入学してしまえばこちらのもの。。。
娘たちの英語の語学力がメキメキ上達。
そして今では・・・僕でも読むと3分でドラえもんののび太君のように瞬時で寝てしまいそうになる英語ばかりがズラリならんだ小説を片手に・・・。
ハワイ現地の方々が、ネイティブで話す英語を、当たり前のように聴き取り。。
(僕の場合はビジネス・投資のフィールドでは聞き取れるが、逆に日常生活の中での言葉をなかなか聞き取れない。。。)
ハワイ現地の外国人と当たり前のように英語でやり取りをしている娘たちを見て。。
感慨深くなってしまった。。。
サラリーマン・公務員だった両親のあの時決断したハワイ旅行が、僕の海外での活動力の元となり。
僕の海外での活動が、娘たちの活動力の元となっている。。
そして・・・娘たちの先、次の世代の子供たちはどうなるのだろうか?
1979年のハワイ旅行からはじまった、35年間、親子三代に渡り、続いて行く、真田孔明家の「海外ストーリー」を、ロイヤルハワイアンセンターの、WOLFGANG’S STEAKHOUSEでTボーンステーキに喰らいつく娘たちを見ながら、感慨深く想像してしまったのは、僕がパパになり大人になったからであろうか?
子供たちの未来にどう影響与えるのかは分からないが・・・
親は子供の未来を、決めてあげることはできない。
子供の未来は、子供たちがその「自由意志」によって決めていく。
現に僕は今、僕の両親が僕に対して望んだ道を歩んでいない。
結果として、両親が一番望んでいない道を僕は歩んでしまっている。
それと同じように、僕は娘たちの親ではあるが、娘の未来を決めてあげることはできない。
仮に僕が、娘たちに対してどんなことを提案したとしても、最終的に娘たちの未来を決定するのは娘たち。
娘たちは、娘たちが生まれながらに持った「門」の囚われにもとづき、自らの「自由意志」で、未来を切り開いていく。
けれども、選択肢の幅を持たせるべく、親として陰ながらサポートしてあげることができる。
たとえば今回のハワイ旅行では、僕はパパとして、娘たちに対して次のことをしてあげようと企んでいる。。
・USドルを自分で使わせて買い物をさせる
「これは!」と思う洋服を見つけたら、「すぐに買いなさい!」と言っている。これは特に長女の「陽創の門」を磨くため。次女は「月官の門」としての、コピー能力を磨くため。さらには、英語で店員さんとお話をする機会が増える。
・ハワイ現地のツアー系は片っ端から申込して参加する。
ハワイで子供たちが体験できるツアーには片っ端からから申し込む予定。「陽創の門」の場合は、「勉強」ではなくて、「体験」が重要になるため。普段とは違う環境で、「体験」の熟練度を積み上げる絶好の機会。
・「北の物販大富豪」との直接謁見
ハワイ時間12月24日夜は、「北の物販大富豪」と家族で宴(ディナー)。僕がお話させて頂く内容から、ビジネスのことを勉強できる。
・・・以上の部分を、親子で一緒にハワイで体験させることができる。
僕が費やせる、可処分所得、可処分時間を費やしてできることは何でもやってあげたい。
娘たちの未来は、あくまでも娘たちが「自由意志」に基づいて決定する。
だから、今日時点のこの孔明パパのハワイでのアレンジが、彼女たちの未来に、どう影響するのかはハッキリとは分からないが。。。
それでも、今僕がパパとして、彼女たちの「門」に合わせる形で、かつて僕の両親が僕に対してしてくれたことに深く感謝しながら、僕のできる範囲で、僕の子供たちに紡いで行きたい。
追伸
自分が子供たちに対して、何をしてあげられるのか?
「門」の囚われは、とても大きなヒントにはなりそうだ。。
https://sanadakoumei.com/lp/shura/
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