(※ネタバレあり閲覧注意)
1992年にディズニーが製作。
世界的大ヒットを記録したアニメ映画版『アラジン』が、2019年5月実写映画版として帰って来た。
昔からアニメ好きな僕は、アニメ映画版『アラジン』を高校1年生の時にオンタイムでも映画館視聴したし、ビデオ版も購入。
主題歌の『ホール・ニュー・ワールド』含め、かなり大好きな映画の一つだったのだが・・・。
あれから27年間が経過して、再び実写映画版『アラジン』を視聴した今。
実写版の映画そのものは、「懐かしい・・・」という感じでは、楽しませて頂いたのだが。
視聴している間、当時とは全く違う「恐ろしい光景」が見えて来たので、考察させて頂く。
僕個人的には、別の意味で「ハラハラドキドキ」だった。
実写映画版ネタバレにもなってしまうので、まだ実写映画版を視聴していない場合、記事閲覧要注意を!
人類史の中で何度も繰り返されて来た惨劇
なぜ、アグラバー王国はたったの10年間前後の期間に、滅亡してしまったのか?
ひとつの王国が、滅亡して行くまでの、キッカケと経緯を語った物語。
それが『アラジン』であるのだと、僕は今回実写版の映画を視聴して、知ることになった。
全ては、アグラバー王国のサルタンが、「ジャスミン王女」に対して、いい加減な教育を施してしまったところから。すでに「滅亡」へのカウントダウンは始まっていたのだろう・・・。
仮にこれが、単なる「お金持ち一家」のお話だったら、一家族が「飛んでイスタンブール」になって終わりのお話だったのだが。
国を担う王族となると「飛んで・・・。」のレベルが違う。
「王国の滅亡」レベルのお話へと発展してしまう。
「王国の滅亡」の際、当然ながら、王族や貴族、その家臣や兵隊たちだけでなく、沢山の一般の民が死ぬ。
男や老人であれば虐殺され、女・子供であれば強姦&人身売買。蹂躙(じゅうりん)されまくってしまう。
王たる者は、どれだけ沢山先代、先々代から引き継がれた富と権力を持っていてもダメ。
血が流れているだけでもダメ。
王=「成功OS・富と権力・血」の三角形で成り立つ。
「帝王学」に当たる『成功シンドロームOS』を持ち合わせていない者を跡取りに据えてしまうと。「王国」はあっと言う間に「滅亡」してしまう。。
人類史の中で、何度も繰り返されて来た惨劇が、ここ「砂漠の王国アグラバー」でも発生してしまったことになる。。
ダメ「脳OS」を持つ2人が必然的に惹かれ合う
全ての元凶は、アグラバー王国のサルタン(王様)が、一人娘の「ジャスミン王女」を甘やかせて育ててしまったことにある。
頻繁に訪れる、他国の王子たちとの政略結婚を前提としたお見合い活動に嫌気がさしてしまった「ジャスミン王女」。無自覚にも、その場の感情に身を任せ、家来も護衛も連れずに、コッソリ城を抜け出し、たった1人で城下町に飛び出してしまった。
既にいい年した大人にも関わらず、お金も支払うことなく、(というか、そもそも「お金」知らない??)お店に並でいるパンを、勝手に貧しい人にあげてしまい、怒る店主に「何が悪い!」的な逆ギレ。
自国の通貨の概念もルールさえ知らない王族として完全失格な、無知で稚拙すぎる横暴行為からアクシデントが必然的に発生。
そこに、通りがかったのは「アラジン」。
同じくいい年してるにも関わらず、後先のこと何も考えず、目標も意思も何もなく泥棒行為を繰り返しているだけのダメ人生を送っていた青年。
2人は巡り合ってしまう。
当然物心ついた時から今日まで窃盗一筋で生きてきただけの「アラジン」には、「盗んでも逃げるが勝ち!」という判断基準しか持ち合わせていない。
すぐ様「ジャスミン王女」を連れて逃亡の手伝いをすることになる。
お店の店主は完全被害者。。「私のパン。。。涙。」
そもそも「ジャスミン王女」は、王族の証である、ママの形見の「王族の腕輪」を腕にはめているのだから、兵士たちに事情をキチンと説明していれば、事件へと発展しなかったはず。
まじめに業務指示通りに警備活動をしていた、複数の兵士たちを、故意的に、障害物にぶつける高いところから落とすなどの危険行為の数々で重軽傷を負わせながら、2人の逃亡は成功してしまう。
兵士たちにも両親や妻、子どもたちがいるはず・・・たった一つのパンと兵士たちの命、どちらが大切なのだろうか?「ジャスミン王女」、それでも貴女は本当に王女?
一方の「アラジン」。
貧しくも真面目に商売をしたり、労働をしたりしている、城下町の人たちも沢山いるにも関わらず。
教育からも逃げ、就職からも逃げ、周りの人間とのコミュニケーションから逃げ、社会との関わり合いからも逃げ。まじめに商売や就労して働き続けることを完全放棄。
万年ニート&窃盗活動だけをを繰り返した人生を送って来たことを「自分は親の顔を知らないから・・・」と、自分基準で正当化しようとする自分勝手な「アラジン」。
「アラジン、キミは今何歳なのだろうか?そういうこと言えるのは小学校3年生位までだよ・・・。」
子供っぽい「アラジン」の自分基準の勝手な主張を、「ジャスミン王女」は、何の疑いも持たずに、すんなり受け入れてしまう。
無知かつ根拠も基準も無くその場の感情に動かされがちだと自分で自覚できないのだろうか?
家賃も支払ったことがない。不法滞在で勝手に居座っているばかりか、100%他人から盗んだものだけで飾られた内装のアラジン邸にて。
典型的な、バグだらけのダメ「脳OS」を持つ男女2人は必然的に惹かれ合う兆しを見せはじめる。
ちなみに、「アラジン」に「光りモノは何でも盗め!」の訓練を受けてきたおサルのアブーが、「ジャスミン王女」の手から「王族の腕輪」を訓練どおりに盗んでしまうが。
アラジン:「ボクが盗んだのではない!サルが勝手に盗んだ・・・。ボクは悪くない!」
的に、可愛そうな動物クンのせいにする。。
「いやいや、アラジン、キミがサルを訓練したのだからキミが100%悪いでしょ!おサル君に罪はない!」
スクリーンに向かって、孔明がツッコミを入れてしまったのは言うまでもない。
ちょっと良いことしたヤンキーが「清らかな心」??
アラジンは途中、他人から窃盗した装飾品を闇の交換所で、食べ物らしきモノに変えてもらった後。
なぜかそのまま、貧しそうに床に座っていた見ず知らずの親子にイキナリ、ポンっとあげてしまう。
「アラジン」は、「ダイヤの原石」「貧しくも清らかな心の持ち主」と演出したかったのだろうか?
しかし、そもそも窃盗して来た装飾品を交換して手に入れた食料だし。突然、貧しい親子にプレゼントした基準も不明確。
明らかに行き当たりばったり行為。
他の城下町の町民たちが、まじめに商売したり、就労したりして、一生懸命働いて手に入れた物品をサッと横から盗んでしまう「アラジン」に、「貧しくも清らかな心」などあるわけが無い。
現実世界の学校のクラスで、真面目に活動している生徒たちが、良い行いをしてもそれほど褒められないが。
日常的に、イジメやカツアゲ、万引き、先生への反抗、授業妨害を繰り返して来たヤンキーが。
ほんのちょっとばかり、良いことしただけで、「実は清らかな心を持っている・・・」と判断されてしまうくらい無茶苦茶かついい加減な判断基準。
「たった一度だけ奇跡的に良いことしたヤンキー」
VS
「真面目に真剣に生きている他の生徒たち」
両者を比べれば、「真面目に真剣に生きている生徒たち」の方が「清らかな心を持っている」に決まってる!!(キッパリ)
実際の世の中にも、このように、基準も根拠もない感情的で、相対的かついい加減な判断基準が、はびこってしまっているが。
こういう無茶苦茶な基準が、今も昔も発生してやまないのは、ひょっとすると「ディズニー映画」系が元凶なのでは無いだろうか?
最低限のシミュレーション位事前にしておきなよ!
「アラジン」が「ランプの魔神ジーニー」と出会いうんちゃら・・・のシーンは、大幅にショートカットしよう。
目標も無い、志も無い、『成功シンドロームOS』を持たぬモノが、「宝くじ高額当選!」偶然の「棚ぼた」的に、富と権力を持っても、まともに使いこなせない条理。
「ランプの魔神ジーニー」の力で、盗賊「アラジン」が、「アリ・アバブア王子」に変身した後、必然的に露呈しまくる。
・サルタンパパやジャスミン王女との会話
超受動的に「ランプの魔神ジーニー」任せの伝言ゲームを行おうとしたが、ぶつけ本番で無茶苦茶な応対しか出来ない「アラジン」。「ジャスミン王女」に対して「あなたを金で買いたい!」とまで言う。
・宴の席で
「アラジン」が披露したダンス、100%「ランプの魔神ジーニー」の魔法任せ。「ジーニー」に魔法操作してもらいうまく踊れてキミは満足なのか?
・地図を広げた「ジャスミン王女」から
「あなたはどこの国から来たの?」質問された際も、「ランプの魔神ジーニー」が侍女とデート行っちゃったので全く回答できず。最後にギリギリ「ジーニー」が遠隔操作の魔法で地図を書き換えてくれた。
・・・というかさ。「アラジン」。。
「ジーニー」に魔法で王子にしてもらってから、アグラバー王国の城下町、王宮にパレードでアポなし乱入するまでの間、いくらでも沢山時間取れるのだから。
格好や見てくれだけハッタリ効かせようとするのではなく、
- サルタン&女王との応対
- 最低限のダンス(運動神経良いのだから)
- どこのエリアにある国なのか
必要最低限のシミュレーション&練習くらい予めしておいたらどうなの?
何の準備も無く、魔法の力で王子になってすぐに、「アグラバー王国」にアポなし突入・・・
一体どれだけ稚拙すぎる判断なのか??
その状態で、一国の王子を演じるばかりか、「ジャスミン王女」をゲットしようとは・・・。
「あまりにもいい加減すぎる!」
『成功シンドロームOS』を持ち合わせていないモノが、偶然のラッキーで、富と権力だけポンっともらっても、何も出来ないということが、リアルに描かれていた。
冷静&正しい判断は一瞬だけだった・・・。
「ジャスミン王女」、一瞬だけ冷静かつ正しい判断を見せてくれる。
「アラジン」扮する「アリ・アバブア王子」のことを、「パパから富と権力を受け継いだだけの他のダメ王子たちと同じ!」と、「アラジン」を否定する。
「おや?ジャスミン王女、意外と冷静じゃん!いいね!」
と思ったのだが。。
すぐに、早とちりした孔明がバカだったことに気づく。
なんと、「アラジン」に「魔法の絨毯」に乗せられて、夜空を飛び回っただけで、「ジャスミン王女」は中身空っぽの「アラジン」にウットリ。。。
こともあろうか、ダメダメ脳のOSの持ち主「アラジン」に恋に落ちてしまうのだ。。
ジャスミン王女:「あなたは私よりも城下町の民の暮らしを知っている・・・」
目標も志も無く、長年楽して他人から強奪する犯罪行為を繰り返しているにも関わらず、自分基準で勝手に正当化。
好きなこととだけして生きてきた「アラジン」を妙に正当化させるセリフを発して自分を納得させる「ジャスミン王女」・・・。
あなたは「女王様」としてどちらと結婚すべきなのか?
子も子なら(ジャスミン王女)、親も親(アグラバー王国のサルタン)だ。
「アラジン」から奪った「魔法のランプ」の力で魔神と化した「ジャファー」、企てていた謀反を実行に移すのだが。「アラジン」の奇跡的なトンチによって、誤って「ジャファー自身」が「ランプの魔人」になってしまい、野望がアッサリと打ち砕かれる。
「ジーニー」に砂漠の彼方へ投げ飛ばされ追放された。
アグラバー王国で勃発した「王の側近ジャファー謀反事件」が一件落着した後。
「アラジン」は、「ジャスミン王女」に嘘をついたことを謝罪して反省。
最後の1つの願いで、「ジーニー」を1,000年続いたランプの呪いから解放させて、自由の身にしてあげる。
ここの部分だけ切り取ると、確かに「アラジン」は良いことをした。
そして、「アラジン」は自らの意思で、王宮を出て城下町へと帰って行こうとする。
ところが・・・
ここで再び「ジャスミン王女」の「脳のOS」のバグが悪い方に働いてしまう。
「ジャファー謀反事件」を経て、なぜかアッサリとサルタン(父)より王位を継承した「ジャスミン王女」。
女王になって、はじめに行った政策は、「王族出身者じゃないと王族との結婚もできないし王様にもなれない」というご先祖様から脈々と続いたしきたりを独断と偏見でアッサリと法改正。
愛と恋・・・一時の感情に身を任せて、「アラジン」を追いかけてしまうばかりか、「アラジン」との結婚を勢いに乗って勝手に決めてしまう。
孔明は青ざめる。。
「女王ジャスミン・・・あなたは真剣に一国の主として、王国のことを考えているのだろうか?」
アグラバー王国が近隣諸国との間に発生している緊張関係がある中で。あなたは「女王様」としてどちらと結婚すべきなのか?
親から富も権力も一方的に与えられ続け温室的な育てられ方をした、近隣諸国の王子様たちの誰かと結婚することなのか?
自分の個人的な好き嫌いの価値観と共に感情を優先させて、万年その日暮らし。目標も志も持っていない、一介の盗賊「アラジン」と結婚することなのか?
近隣諸国の王子様たちも、「アラジン」も、どちらにしても、超受動的なバグだらけの「脳のOS」の持ち主であることは「どんぐりの背比べ」的に大差無いのであるが。。
それでも、アグラバー王国の繁栄のため、近隣諸国との戦争を避けるため、と女王の立場で考えるならば、選択すべきは「王子様」との結婚の方だったのでは??
にもかかわらず、なぜ「アラジン」なのか?
-
女王としての職務を全うすべく王国の繁栄に目的と基準を置く?
-
王国の繁栄を完全無視して自分の個人的な感情に目的と基準を置く?
残念ながら、新女王「ジャスミン」は、一国の主、女王として・・・に目的と基準を置くこと無く、愛と恋などという、一過性の個人的な感情に目的と基準を置いてしまう。
「物語」のはじめから見せ始めていた「新女王ジャスミン」の「脳のOS」のバグは、こうして、物語の終盤に、大きな判断ミスへとつながってしまう。
貴族たちも、家臣たちも、城下町の民たちも、近隣諸国の王族たちも、100%誰でも分かる新女王としての間違った判断を悪びれもなく「ジャスミン」。
それを見ていながら一切止めることの無かった、「ジャスミン」を男手一つで育てた「旧サルタン」。
こうしてアグラバー王国は、「旧サルタン」、「新女王ジャスミン」のバグだらけの『脳のOS』から来る、2人の致命的な判断ミスによって間もなく滅亡するのだった。。
なぜアグラバー王国が滅亡したと分かるのか?
なぜ、孔明は、アグラバー王国がその後すぐに滅亡したと分かったのだろうか?
映画の中には具体的に「滅亡」とは語られていないが。映画の最初と最後に、決定的なシーンが出てくる。
それは・・・
「元・ランプの魔神ジーニー」と「ジャスミンの侍女」が結婚して、子供を2人授かったようだが。2人が王国を後にして、家族4人で船で長い航海をしているのだ。
物語の途中、「アラジン」は確かにジーニーに対して次のようなことを言った。
アラジン:「ジーニー、キミにはボクの右腕として残って、ボクのそばに居て欲しいから、やっぱりキミを魔法のランプから解放してあげることはできない・・・」
「アラジン」は明らかに、「ジーニー」に傍(かたわ)らに側近として居て欲しいことを望んでいる。
何も目標も志もなく、ただただ浮き輪にプカプカ浮かんで生きてきた「アラジン」。
新王に昇格しても、特別な訓練を受けていない「アラジン」、「ジーニー」のアドバイス無しでは、何も判断できない状態。
さらには、「ジーニー」側から見れば「アラジン」は1,000年の悠久の年に渡る「ランプの呪い」から解き放ってくれた恩人。
「ジーニー」の夢や希望・・・
「世界を旅したい」をぐっと我慢して、「新王アラジン」の側近として、アグラバー王国に残ってあげるのが人としての道理。
物語途中の、「ジーニー」の言動のパターンを見てみると、その場の感情で物事を判断する「アラジン」や「ジャスミン」と違い、自分のやりたいことを我慢できるタイプ。
しかも、「アラジン」は「脳のOS」的に見て、明らかに王としての才覚は無いので、自分がアドバイザーとして残らなければ、数年も待つ間も無く、「ジャスミン」の言うことも聴かずに、全部「オレの実力!」と「ドヤッキー」化することは必然。
「ジーニー」たちは、「アラジン」たちをすぐに見捨てるわけがない。
「ジーニー」と結婚した侍女の方も、「新女王ジャスミン」にとって、唯一無二の信頼・信用できる家臣であり、友達でもあり。
新女王になったばかりで、不安だらけの「ジャスミン」を見捨てて、生まれた子どもたちが大きくなるまで、何年も自由気ままな船旅に出るわけがない。
つまり・・・
「ジーミー」&「侍女」は、アグラバー王国が、近隣諸国によって滅ぼされる際、「流石にここまでおバカな2人にはあの世まではついていけない」。。と、命からがら逃げることに成功したことが伺える。
そして、過去の思い出に浸りながら、子どもたちに教育しているのだ。
ジーニー:「君たちは、ジャスミン&アラジンのようなダメダメな「脳のOS」のままじゃだめだよ。
たとえ、富と権力を掌握している王族でも「飛んでイスタンブール」してすぐに滅亡するから。
君たちはしっかりと、『成功シンドロームOS』を持ちなさいよ!」と。
こうして、帰る王国を失った、「ジニー」&「侍女」は、子どもたちと一緒にユックリと船旅を続けるのだった。。
次の代に東京ドーム満帆の「お花」を一方的に残してあげても意味がない。
「帝王学」である『成功シンドロームOS』を習得させ、自ら能動的に新女王として「民のため」の目標と意志、それに伴う明確な基準を持たないと。。
それを良く学べる、「実写映画の教材」となった。
追伸
アグラバー王国滅亡を引き起こした当事者「ジャスミン」&「アラジン」を反面教師に!『成功シンドロームOS』を学び始める場合、まずは登竜門としてAmazon新着1位を獲得した「必然の勝利」シリーズ『新書・5ポケッツ』から。
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