1995年の「Windows95」降臨以降、サーバー世界に代表される、情報時空が占めるシェアというものが、急加速的に拡大している。
世の中の大多数の人間は、物理時空に生身の肉体を持ち、日々の生活を送りながらも、可処分所得と処分時間の大部分を、情報時空の中で「文字情報」を読み、思考を張り巡らせることに費やしている。
情報時空の中に存在している「文字情報」を元に、モノ・情報・サービスをお金を支払って購入したり、物事を決断する際の判断材料にしている。
情報時空の中に存在している「文字情報」というものが生みだす「付加価値」の「価値」そのものがドンドン大きくなって来ている。
毎日何を考えているのか?毎日何をしているのか?どういう人間なのか?
僕たち人間という、物理時空の中での存在そのものも、情報時空における情報として、第三者から認識される機会の方が増えてきている。
情報時空の中で、僕たち人間も、第三者から「文字情報」として認識されている状態である。情報時空の中で、物理時空の機能と情報時空の機能を上手に「文字情報化」できる人は、「付加価値」を生み出せる人として、大活躍できる時代の中にいる。
情報時空の中では、限界雇用と限界費用の概念が働かないこともあり、時間と労力による対価という昭和の時代の労働体型と大局的な形で、情報時空の中で、物理時空の機能、情報時空の機能、これらを「文字情報化」することができる者たちは、あっさりと、個人としての限界突破を実現させてしまい。非上場の法人であっても、名も無きペンネームだけの個人であっても、従来の常識を遥かに超越する規模で、稼ぎまくる・・・という、異常事態を発生させている。
物理時空の機能、情報時空の機能、これらを「文字情報化」できる者たちは、どこの国に住もうとも、どこの国を旅しようとも、Mac、iPhone、iPadなどのデバイスを通して、カフェやホテルでWIFIを経由して、情報時空の媒体にアクセスすることさえできれば。時間も場所もあっさりと乗り越え、とんでもない金額のお金を、稼ぎ出すことを実現させてしまっている。
この流れは、今後どのようになるのだろうか?みらいを見据えるために、周りを見回してみると・・・。
物理時空の中で、電車に乗って移動している人たち。彼らが見ているのは、電車内や、窓の外の景色ではなく、iPhoneをはじめとするスマートフォンの画面の中の情報。物理時空の中で、道を歩く人たち。彼らが見ているのは「歩きスマホ」と言って、危険な行動とされているが、それでもお構いなしに、スマートフォンの画面の中の情報。
僕たちの世代だけでなく、僕たちの娘たちの世代の日々の言動を見てみても、今後情報時空の世界が占めるシェアというものは、縮小するどころか、今よりももっともっと拡大・加速していきそうな流れがあると、容易に想像することができる。
そして、恐ろしいことに、情報時空の中での「文字情報化」ができる人とできない人、イコール、「仕事」の中で「付加価値」を生み出せる人、生み出せない人。
その格差というものは、物理時空の「お金」というものに換算した時・・・。圧倒的な貧富の格差というものが、激しくなって行くことを意味している。
検索力プラスアルファの情報
これからの時代を社会人として生きるために。情報時空の中での、「付加価値」を生みだすこと。
物理時空の機能と、情報時空の機能、これらを情報時空の「文字情報化」させる力・・・「仕事」の生産性というものが、最も重要視される流れが加速して行く。
それでは、情報時空の中で、「文字情報化」するための力。底力や実力というものは、どのようにすれば身について行くのだろうか?考察してみよう。
まず、重要なのは、GoogleやYahoo!など、検索エンジンを用いた「検索能力」である。
僕が子どもたちの学校を、マレーシアジョホールバルのアメリカンスクールに選択した最も大きい理由の一つに。教科書を一切使うことなく、すべてMacBookのSafariを使って検索して情報手に入れる・・・ということを、日常的に用いていることが挙げられる。
これらかの時代、暗記をしたり、学んだりすることの「付加価値」というものは、圧倒的に小さくなる。
GoogleやYahoo!で検索できる類の情報イコール、自分の脳の中の情報としてカウントすることができる。
逆に言えば、GoogleやYahoo!で検索できる類の情報というものは、どこにでもある知識ということになり、「付加価値」というものは無いのも同然。
これが標準になるのだから、GoogleやYahoo!の検索ができないということは、圧倒的なディスアドバンテージになってしまうことも意味している。
GoogleやYahoo!の検索で得られる情報をコピペする形で、「文字情報化」しただけでは、「付加価値」を生みだすことにならない。
明らかに共有されている「情報」。顧客と自分の間で、当たり前のように共有されている情報というものは、「付加価値」にならない。
GoogleやYahoo!で検索できる「情報」ここに自分が加えられる情報が、情報時空における「付加価値」ということになる。
だから、大前提として、顧客との間で、当たり前のように共有されている「情報」というものは、事前に当たり前のように知っておく必要がある。
大前提に当たる部分を、日々GoogleやYahoo!で検索して探し出す訓練をするか?
GoogleやYahoo!に無い類の情報なら、専門書などを購入して、日常的に見識を深めて、基礎知識として持っておくか?
それぞれの道で、「専門家」的な人間になるべく、日常的なジャブ的に継続する必要がある。
情報時空の中で、物理時空の機能と、情報時空の機能を、「文字情報化」する上で、
特定分野の大前提となる基礎情報をいつでも出せるようにしておく。
加工される前の、前提知識がないと、はじめから土俵に上がれない。
その上で、Facebook、ブログ、メルマガ・・・顧客と情報をやり取りするWEB媒体を通した、日々の顧客との対話の中で、経験、スキル、知識・・・を地道に積んでく活動の中で、自分なりの「付加価値」というものが、日常的に出せるようになって行くのである。
「仕事」という枠組みの中で、情報時空における「文字情報化」ができない人は、自分の有限な時間と労力を切り売りして行く、収入に限界性のある「労働者」という状態から抜け出すことはできない。
「情報時空」の「文字情報化」という能力・スキル・知識を最大限に高めるために、日常的な積み重ねというものが、求められるのである。
追伸
物理時空の機能も、情報時空の機能も、情報時空における「文字情報化」をすることを「仕事」にしているのが「ブロガー」という職業であり。「ブロガー」に必要な、能力・知識・スキルの習得方法を、インタラクティブなスクール形式で教えているのが、平城寿@SOHOが中心になって開講されている『平城式Facebook』である。
『平城式Facebook2.0』
http://hirajoshiki.com/t/
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…