西ヨーロッパの北海沿いに位置しているオランダ(ネーデルラント・ホーランド)は、小国でありながら国際貿易と芸術の分野で世界から高い評価を受けてきた。
17世紀(1,600年〜1,700年頃)のオランダは「貿易業」を中心に世界の強国のひとつになった。王国として栄えたのではなく、「商人による商売で反映した国」。
オランダ最大年アムステルダムも、17世紀の間に、人口が5万人から20万人を超えるまでに増加。3度に渡る年拡大の結果、新しい住民のために場所を確保する目的で、有名な運河が建設。
商売で儲かった商人たちを中心とした市民たちは、運河沿いに美しい家を建てた。もともとのオランダは、現在とは外観が全くことなっていた。多くの湖や入り江があり、海岸線の位置は絶えず変化。
「オランダは、神様が作ったのではなく、我々人間が作った!」
と言われるほど、商売で儲かった資金を元に、埋め立てしまくり土地を拡大した。拡大した陸地を、海や川から守るために強固な堤防が建てられた。ゆえに、オランダの大部分は海水面より低い位置にあるが、堤防のお陰で水没を逃れている。
「温故知新」。金融資本主義の世の中で「修羅」であり続けるためには、現代の商人である僕たちも、学ばなければならないことがある気がする。そんな時は、書籍やインターネットから学ぶのではなく、本物に触れながら学ぶのが一番。
オランダが最も反映した「17世紀」に生で触れるために、「地下ソサエティ」の先発隊でもある、ミスタSと僕は「オランダ国立博物館」へと足を運んだ。
ハーレム駅からアムステルダム駅に移動
僕たちが宿泊するハーレムのホテルの目の前に「ハーレム駅」が。自動販売機で、日本の「Suica」や、香港「オクトパス」のような機能を持つ、オランダ「of-chipkaart」を購入、本体7.5€に20€チャージ。
これで公共交通機関には、カードをかざすだけで乗れる。「アムステルダム」行きの電車に乗り込む。所要時間15分、たったの2駅でアムステルダムに到着。
アムステルダム駅すぐ目の前のトラムの「2番」に乗って、目的地の国立美術館」へ。初めて訪れた国と地域の目的地でも、「グーグル先生」に尋ねるだけで瞬時に答えてくれる。便利な世の中になったものだ。
「オランダ」でも「コロナ渦」の影響は大きく。海外からの観光客はいなくなり、地元の人たちのである気も少ない。電車にしても、トラムにしても、ガラガラな状態で、僕たちとしてはありがたい。
「オランダ国立美術館」2階の「17世紀」
「コロナ渦」問題によって、観光地は入場規制されている中、「オランダ国立美術館」に入るには、予めオンラインでの予約が必要。
当然ながら事前予約が住んでいるので、ダウンロードしたチケットを入り口で見せて入館。リュックサックは、クロークに預ける。
「オランダ国立美術館」では、僕たちの心を汲み取ってくれているかの如く、2階に「オランダ黄金時代」17世紀の作品のみガッチリ展示してくれている。
僕たちの向かう先は、「17世紀コーナー」一択。真っ先に「17世紀のオランダ」に描かれた絵画のみが集約されている「2階」へと駆け上がった。
「カモン、17世紀!」
2階に足を踏み入れたことで、僕たちは「オランダ黄金時代17世紀」へとタイムスリップした。
オランダ絵画の巨匠が誕生した時代背景
17世紀のオランダは、富と繁栄の時代だった。16世紀末からはじまった海運業、漁業、貿易、工芸による成長は、17世紀に加速。南ネーデルランドから、プロテスタントが移民したこともあり人口も急増。
スペインとの戦争は、1648年まで続いていたが、約12年に渡る停戦協定に加えて、戦闘活動が落ち着き、争いは国境周辺のみに限定されていた。その間、オランダは船を建造し、海洋に乗り出していた。
東インド会社がアジア貿易の大半を掌握。海上での勝利から、「国父」と崇められたオランダ最初の総督、「沈黙公」オラエニ公(ウィレム1世)という国民的英雄が誕生。
以降も、ジブラルタルの海戦(1607年)でスペイン艦隊を撃退した、ヤーコプ・ファン・へームスケルク、勇敢な戦の功績により名を轟かせたピート・ヘイン、マーテン・トロンプ、ミヒール・デ・ロイテル等の名提督が活躍。
17世紀のオランダの黄金時代は、海と船、自由と寛容。束縛を説かれた文化・芸術が発展。その繁栄によって活性化する富と繁栄を背景に、絵画の分野で多くの才能が開花された。こうした背景の中、17世紀を代表する巨匠である、
- レンブラント
- ヨハネス・フェルメール
- フランス・ハルス
- ヤン・ステーン
が描いた絵画を生鑑賞することで。当時に生きた方々のリアルを感じることができるのではないだろうか?
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