「競争社会なんておかしい、これからの時代はゆとりが重要だ。ラブ&ピース!」
的なことを、掲げている方々もいます。
はじめに断っておきたいのは、誰がどんな考えを、ご自身の「成功=シアワセ」の目標として生きているか?「価値観」は人それぞれであり、自由なのでありますが。
そもそも論で、「競争社会」が発生してしまっている理由というものを理解しているのかな?と思うような、ちぐはぐな言動をしている部分があった場合、どうしても目についてしまいますね。
分かってないだけなのか?知っててポジショントークで偽善者的に言ってるだけなのか?
僕も本来は「ラブ&ピース」派だった
世の中には「競争」がしたくて、「競争」をしている人たちもいます。「競争」の環境に身を投じ続けること、「競争」で勝つことそのものに、勝利という結果を手に入れた瞬間だけでなく、勝利に向けて虎視眈々と、準備を整えて、ライバルたちと競い合うことそのものに、「成功=シアワセ」を感じている方々です。
しかし、実は僕はそもそも元々はそういう「競争好き」な人間ではありませんでした。僕だって、本来ならば、「競争なんてゼロ」で、「ラブ&ピース」だけ語る毎日を過ごしたいなと思っていたことはあります。
しかし問題は、そんな僕に、欲しいモノができたり、叶えたい願いができたり、してしまった時です。例えば僕の場合は、かなり早期の頃から、「奥さん」が欲しくて、「僕と結婚してくれる女性」を探し始めました。
しかし、「女性であれば誰でも良いか?」というとまったくそんなことはなくて、明確な自分の「理想像」のようなものがあったのです。
仮に僕が、生まれながらのイケメンであり、歩くだけで、後ろに行列ができる状態であったのなら、大量の行列の中から1人だけを選び、以降は「ラブ&ピース」的な考えのまま大人になっていたかもしれません。
しかし現実は残酷です。恋愛も、結婚も、「双方向性」のあるものです。「結婚してくれる女性を選びたい」と僕だけが一方的に考えていても、全く意味がありません。
僕が選んだ女性にも、僕のことを選んでもらわないと成立しないのですから。すると、自分が選んだ女性から選んでもらえるようになるためには、「戦闘力」的なものを上げていかないとならないと、中学生時代の僕は考えたのです。その時は、
「ん?イケメン君意外だと、賢いヤツって比較的モテるよね?」
というところに目が行きました。中学生時代には、学校内どこを見渡しても、自分が「結婚したい」という女性がタダの一人もいない。しかも、僕自身もモテるわけでもない。
このまま生涯に渡り、結婚できなかったらどうしよう・・・。不安の気持ちでいっぱいです。そこで、その願いの成就は、中学校よりももっともっと出会いの枠組みが広がるであろう、高校時代に持ち越すことにしたのです。
しかし、イザ、自分が結婚したい女性と巡り会えた時に、相手からも選んでもらえるように、できるかぎり有利な状態に自分を高めておかなければなりません。
そこで僕は、人生の中ではじめて、「男性同士の競争に勝つために、自分を高めよう!」という発想に至ったわけです。
「モテる高校」はどこなのか?
「どこの高校がモテるのだろう?」色々と調べたところ、東横線沿線にある、某大学の付属高校が「モテる」という情報をキャッチしました。この学校であれば、自宅のある駅からも、たったの2駅で、毎日の通学も現実的です。
しかし、その高校の合格を勝ち取るためには、かなり成績が良くないとならないことが分かりました。当時の偏差値でいうと「68」。
「書類選考」という、ノー試験、ノー面接の制度もあるようです。この基準に到達するためには、中学校の成績がほぼほぼ「オール5」でないとならないのです。しかし当時の僕は、勉強が全くできません。
そして何よりも、机に向かいつづけ勉強することが嫌いで逃げ続けていました。そんな僕が、どうやったら成績を上げられるのか?そこで、
「学校の各教科の先生に直接頼み込んで、成績を5にしよう」
ということを考えたのです。なぜなら、成績をつけてくれるのは、学校の先生。特に「何点取らないと5になる」のような、絶対的な基準のようなものが無い。
つまり、先生さえ「5」をつけてくれれば、「5」を取れるのです。それが分かった瞬間から、とにかく学校内で「5」を取るためだけに行動しよう決意を固めたのです。
周りの同級生には、そういう考えがあることを、同じ部活の方々含めてタダの一度も口にしたことがありません。なぜなら、たったの1つしか無い席。同じように考えて取り組んで、ライバルが増えては困るからです。
つまり僕は、「ラブ&ピース」を考えていたのに、最初の「ラブ」を成就させるがため、そのためなら、周りの同級生たちを、蹴落としてでも、
「たった1つしか無い私立高校の推薦枠を勝ち取る」
「競争」に身を投じることを決断してしまったのです。
「競争社会」から逃れることはできるのか?
もともと「競争」が嫌いだった僕が「競争」に身を投じたのが、中学2年生の時。その結果として、全教科の先生方の多大なる特別なご協力もあり、中3の「書類選考」推薦時点までに、必要な基準の内申点に到達。
無事に志望高校の「書類選考」による合格を勝ち取ることができました。「競争社会」から開放され「ラブ&ピース」な人生を送れるのか?しかし、世の中はそう簡単に、僕を「競争」からは開放してくれませんでした。
当時の東横線沿線で、一番女子校から人気のある男子校に合格し、進学しても、それで自動的に、将来の奥さんと成り得る女性と巡り会い、結婚を前提にお付き合いできることではないことが分かりました。
男子校ですから、自らの意思で能動的に、学校の外で「お嫁さん候補」を探しに行かないとなりません。しかし、女性とのお付き合い経験はゼロで、当然ながらチェリーです。未知数なことは色々あります。
「学力」は、学校名である程度の立証はできますが。「運動は?」というと全く自信がありませんでした。
そこでそこからは、中学時代に唯一「5」を取れなかった「体育」の弱点を克服するために、全国優勝を何度もしているアメリカンフットボール部に入り、今度は「戦闘力」を高めるため、肉体を鍛え上げる道に傾注することにしたのです。
空いた時間の全ては、とにかく電話をかけます。当時は携帯やピッチどころかポケベルも無かったので、色々な女子の家にかけると、必ず両親のどちらかが出ます。
その恐怖を乗り越えながらも、ひたすら女子校との合コンをセッティングして、「婚活」に明け暮れる日々です。その活動の延長で、大学生になった1年目、ようやく僕の理想の「結婚相手」として描いていた女性に巡り会えました。
部活の先輩大学3年生の幹部陣に「盛り上げ役」として連れて行ってもらった、「音楽大学」との合コンの席でした。この時出会った女性が今の妻です。
「結婚が前提」なので、イキナリ妻の一人暮らしの家に転がり込みました。しかし、「結婚相手」に巡り会えたら、「競争社会」から脱出、「ラブ&ピース」の人生を送れるのか?と思っていたら、現実はそうではありませんでした。
妻(当時彼女)には、できるだけ良いものを食べさせたい。できるだけ良い服を着てもらいたい。最低限、グランドピアノがおける住居にお互いの両親に頼らず自力で住めるようになりたい。
パチスロで勝利したお金を原資に、「東京ディズニーランド」の近くのホテルに宿泊。ディナーの時に、ホテル内のおしゃれなレストランの中、メニュー表に「1万円のステーキコース」的な相場のメニューがずらり並んでいます。
ただの一つも、500円とか1,000円のメインコースが無いのです。500円とか1,000円だと、一切れのパン、ドリンク一杯とかしか注文できません。
ガクガク手が震える自分の弱さを感じた時。「社会人」として、稼げるようにならないと、
「いい飯食べれない」
「いい服着れない」
「いい家住めない」
次の「お金」の課題が舞い降りました。
「金を稼ぐために、大手企業に就職しないと!」
という発想に至りました。当時の僕には、起業して「経営者になる」などという選択肢には、少ない脳みその中の知識としては全くありませんでしたので、「大手就職一択」です。
しかし、「大手企業」というものは、「ラブ&ピース」な気持ちで、誰でも優しく受け入れて下さる場所ではなく、再び熾烈な「競争」を勝ち上がらないとならないことが分かってしまったのです。
そうして獲得した「上場企業の就職」。
・・・その後も、「競争」は常に僕を追いかけてきます。
妻と結婚して、念願の「グランドピアノ」の置ける新築マンションを「35年ローン」で購入した後も。長女が誕生して、子供の将来の教育費が、頭によぎった瞬間も。
本来は「ラブ&ピース」な僕なのに、いつまで経っても、「ラブ&ピース」な「競争の無い平和な日常」をもたらせてくれません。こうしてフト気がつけば、常に「競争社会」の中で、闘い続ける人生を送り続けていたのです。。
今が一番「ラブ&ピース」な日々なのでは?
朝好きな時間に起きて、コンドミニアムの中にある、温泉でひとっ風呂浴びる。その後は、周りに誰もいない静寂な環境の中、独りパソコンに向かってパチパチとする。
お腹が空いたら、コンドミニアム隣接or近隣のレストランで好きなものを食べる。食後は眠くなるので、コンドミニアムのプールにチャポンと浸かり、太陽の下で、水の上にプカプカと浮かぶ。夜も、寝たい時に寝る。
年間通して、心地よい湿度と気温のマレーシアの環境が、僕を深い眠りへといざなってくれます。今が人生の中で、最も「ラブ&ピース」なのだと思います。
しかし、こういう「ラブ&ピース」な日常を手に入れることができたのは、壮絶な「競争社会」の中の闘いに明け暮れた後、ようやくです。
「競争」に「競争」を繰り返す日々でした。なぜなら、「競争」から逃げずに、「競争」に勝たなければ、より良い条件で生きられないから。より美味しいものは食べれませんし。より良い居住環境を確保できませんし。
子供の教育、レジャー、もろもろ。何をするにも家族に不自由をさせてしまうことになるからです。そのためなら、自分はどんな「修羅」に成り下がろうとも、心を鬼にして闘い続けて来ました。
その結果、ようやく至った「ラブ&ピース」的日常です。しかし、それでもまだ「競争社会」から縁を切れているわけではないのが現実です。
何一つ選択できない人生なら「競争」回避できるのか?
そんな過去の想いと経緯がある僕だから言えることがあります。
「競争社会なんておかしい、これからの時代はゆとりが重要だ。ラブ&ピース!」
とおっしゃる方々もいますが。
「あなたは本当に「ラブ&ピース」なのですか?」
ということ。「競争社会」から逃げる選択肢もありそうです。しかしその先にあるのは、何ひとつとして自分では選べない道であることは確かです。
自分がより良い条件を選ぼうとした瞬間、「競争社会」の仲間入りです。お付き合いしたり、結婚したりする異性、本当に男女互いに「相手が異性であれば誰でもいい・・・」ならもしかしたら「競争」から逃げられるかもしれません。
その場合、絶対に自分の好き好みで異性を選べなくなります。相性が合う合わないなどの概念など無縁です。「より良い条件の異性」を選ぼうとすること自体に自ずと「競争」の原理が発生してしまうからです。
年齢も容姿も能力も一切問わず、「彼女ガチャ」「結婚相手ガチャ」的に「独身男VS独身女=速結婚」的に、充てがわれた異性だけを、そのまま恋人や結婚相手として選ぶことが求められます。
「好みが・・・」とか言ってる時点で「競争」が発生するのでアウトです。食事も、「美味しいものを食べよう」という発想を完全に捨て去ることが求められます。
「美味しいものを食べよう」と考え行動するだけで、高い確率で、お金に換算される「コスト」が発生し、「競争社会」に身を投じることを余儀なくされてしまいます。「吉野家」や「富士そば」さえ、食べ続けたいと思うと「競争」が発生してしまいます。
「自分が食べたいもの」ではなく、残飯や昆虫をはじめ、「生物として生きるために食べれるもの」だけを、主食にし続けることが求められます。
着るものも、持ち物も全て同じです、「着たい服」ではなく、「着れる服」だけを着る。「ユニクロ」でもダメです、「競争」が発生します。「生活必需品」も、「持ちたい物」ではなく、「持てる物」だけを持つ。絶対に何も自分で選んではなりません。
そして、何よりも一番コストがかかるのは、自宅です。「競争の根源」です。「住みたい家に住む!」などという発想はもってのほかです。「住める家だけに住む」覚悟を固める必要があります。
当然、「お金と競争」に直結する「お仕事」を選ぶなんて、言語道断ですよね!しかし、人間は生きてるだけでも、多大なるコストが発生し続けてしまうので、
- 異性の相手を選り好みしない
- 食べられるものだけを食べる
- 着れるものだけを食べる
- 持てる物だけを持つ
- 住める場所だけに住む
- 仕事を選ばない
・・・「競争社会」に身を投じる可能性がある、その全てを完全排除しようとしたとしても、「底辺的」な水準の領域でさえ、やはり「競争社会」に身を投じてることになっているかもしれません。
なぜなら、一番「競争」の無い生活をしていると思われる住所不定無職の「浮浪者層」でさえ、何か有益なモノが堕ちていたら、その一つのモノを取り合うからです。上には上がいますが、下には下もいますので。
人間としてほんのわずかでも、「能動的に生きよう」と思った瞬間に、必ず「競争」が発生します。誰も人間がいない、「大自然」に身を投じても、今度は他の生物との「生存競争」が発生、人類史のやり直しが求められます。
すると、鶏で言うと、「ブロイラー」のような生活模式を構築すれば、「競争の完全に排除」に一番近い形を取れるかもしれませんね。
しかし、哲学的に考えても、物理的に考えても、「競争社会」から逃げるということは、「人間が人間として生きてるだけで不可能」という結論にいたるかもしれません。
「ラブ&ピース」と叫びながら自分だけ選んでないよね?
間違っても、他人には
「競争するな!ラブ&ピース」
と声を大にして叫びながら、実は自分だけ裏でコッソリ、他人よりもより良い生活をしてしまっているなどということはあってはなりませんよね。
他人には人間としての「選択の自由」を放棄させようと促しておきながら、「ラブ&ピース」なはずの自分だけは裏でコッソリ・・・
- 異性の相手を選り好みしてたり
- 食べたいものを食べたり
- 着たいものを着てたり
- 持ちたいものを持ったり
- 住みたい場所に住んだり
- 就きたい仕事についてたり
・・・などという人たちがいたとしたら、それを「偽善者」と言わずに、何と言うのでしょうか?漫画とかアニメとかで言えば、こういうのって、「典型的な悪人じゃないですか?」だからこのような根拠から僕は、
「競争社会から逃げることなく、勝ち上がりましょう!」
臆すること無く声を大にし続けることができるのです。なぜなら、それが「人間として生きる」ことであり、僕自身も「人間として生きたい」と思っているからです。
「ブロイラー人間」な人生は僕には到底無理です。その考え方に共感して下さる仲間たちに向けて、メッセージを通して「競争社会」に勝ち生き残り続けるための秘訣をシェアしているわけなのです。
追伸・・・
毎日3分、「競争社会」から逃げること無く、勝ち続けるための「考え方」と「設計図」の復習を繰り返せます。ご自身のこと『LINE@5ポケッツ成功者の思考と習慣』
https://kitasociety.com/lp/5pockets_line2/
全に子どもの将来の職業から逆算された「考え方」が身につき「設計図」が手に入るクローズドのコミュニティ。
『LINE@ワンチーム』→ https://p.kitasociety.com/line
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…