ファーザー:「単に数字だけおっかけるなら仮想通貨なものだ。
「円の外」ではなく「円の中」にいる人のもの。明るさがない。
お話を聴いたひとが感動するものがまったくない。
何のためにお金が必要だという話ではない。
考え方普通なんだから、普通に生きた方がよい。
人間の血が通うような考え方 言動ができると人が集まってくる 自由な時間を生きられる。
人生は酒のんでアハハと生きている。そういうのが楽しい。
バカなことを言っても寛大にワハハとは言ってくれるのでは?
どう自分だけが勝つかではなくて、そういうところ自体が問題。」
「拝金主義」的な考えをご指摘された際のファーザーの御言葉より抜粋。
45年以上、「修羅の中の修羅」として「飛んでイスタンブール」なることなく生き残り続けらる御方はどのような思想をお持ちなのか?
垣間見ることができる。
一見厳しそうなお言葉の中に、「修羅の道」から外れないように願うファーザーのやさしさで溢れかえっている。
ファーザーがジョホールバルに帯同されたオトモダチ、「修羅の中の修羅」「生ける伝説」たち。
ファーザー、センスさん、マッチャンさん。
大富豪として生き残り続けるために必要なこととは?
贅沢にも、お三方と一緒に朝食・ゴルフ・ディナー・深夜飲みとご一緒させて頂きながら学ばせて頂くことになった。
「財」という言葉そのもの意味の読解
なぜファーザーや、オトモダチの御方々は、単にお金だけを追い求める「拝金主義」的な考えではなく人間性、徳を重んじられているのか?
理由を、仲間たちにも分かりやすくご理解頂けるように、思考を深める際。「財」という言葉そのもの意味の読解に辿り着く。
「財」という文字の本当の意味を知っているだろうか?
実は「財」という文字には、一つで深い思想や教訓を含んでいる。
偏の「貝」は、古の時代に貨幣代わりに使われていたもの。
そして、旁(つくり)の「才」。
「才」の「一」は土地を意味している。
「十」は草木がちょっとだけ芽を出しているところであり。
「ノ」は髭根を表している。
つまり「才」という文字は、草木が芽を出したばかりのところであるので、生命の活動を表す。
しかし、文字の通り、わずかに芽が出ているに過ぎない。
「才」というものは、「修羅」になるために大切な能力であるが、それだけでは大したものではない。
「徳」というものによって「才」を育むことができてはじめて伸びるもの。
「徳」という肥沃な土壌がなければ、直ぐにダメになるのが「才」。
才とか知とかいうものは、確かに「修羅」になるための要素の一つではあるが。その反面、危険性も含んでいる。
どこどこの大学出てる。
国家資格を持っている。
頭が良い。
弁舌が立つ。
学才がある。
文才がある。
などという「才」は社会における使命・役割に存在感を与えるための要素かもしれないが、「修羅の領域」においては、大したものではない。
才に走ったり、知に走ったりすると、「人間の血が通うような考え方」ができなくなり、周囲がお話を聴いても感動したり、ワハハと笑えなくなる。
家族・恋人、ビジネスパートナー、仲間、スタッフ誰も協力してくれない状態。
全部自分一人でやらなくてはならなくなり、人を雇おうとしても、必ず裏切る人か、足りない人しか来ない。
結果的にいつまでたっても、「労働経営者」であり続け、時間と場所の自由もなくなる。
「修羅の領域」に、一時昇ることができたとしても、「才」を暴走させることで、自爆的に「飛んでイスタンブール」される方々が本当に多い。
「徳」とは、自然が物を生み育てるように、僕たちの中にある、物事を包容して育成する能力。
「才」だけでなく「才」を育む「徳」を同時に合わせ持つことで。「財」に結びついていく。
古代中国の時代では、ひとを大きく2つのタイプに分けていたという。
才が徳より優れてるひと「小人」
徳が才より優れてるひと「君子」
才徳2つとも大いに発達しているひと「聖人」
才徳ともにつまらないひと「愚人」
小人型と君子型とに分けるのが東洋思想における基本的な考え方。
つまり、「財=お金」は、人間生活の中で、大事な働きをしているが。「財」だけがいくらあっても、
大したものではないことを表している。
「賢にして財が多ければ過ちを益す。小人にして財多ければ愚を増す。子孫には財を残さず徳を残すが一番。」
という名言もある。
「才」だけで「財」を持つ、もしくは、「才」も「徳」も無いのに棚ぼた的に「財」を持つ。
小人や愚人のまま、いくら沢山多くのお金を持つことで「修羅の領域」に昇れたとしても。妬まれたり、恨まれたり、たった2本しかない足を、何十本もの手が「修羅の領域」から引きずり落とそうとする。
結果、「飛んでイスタンブール」。
もしくは、既に構築した「財」に必死にしがみつく形になるので、時間と場所の自由もなく、誰にも胸の内を明かすことなく友だちもなく。寂しい人生を送り続けることになる。
40年以上「修羅の中の修羅」として生き残り続けて来られた御方々と。一日を共にすることで。「修羅の領域」の住人であり続けることはどういうことなのか?深く学ばせて頂いた。
ファーザーも日頃、「運が8割、実力1割、勘根1割」とおっしゃっているが、この「運が8割」には、どういう意味があるのか?
長兄ヒロさんもご指摘されていた部分であるが、改めて考えさせられてしまう。
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…