『出る杭は打たれる』という言葉がある。これは、頭角を表わす人は、とにかく他人から憎まれたりねたまりたりすることのたとえ。また、出すぎた振る舞いをすると避難されて制裁を受けることのたとえ。
並べて打った杭が、一本だけ高ければ、他の杭に揃うよう打たれることから「差し出でる杭は打たれる」とも言われている。
・・・社会に出て、会社組織の中で働く中で、何かしらの部分で秀でた実績を出し始めるようになれた後、『出る杭は打たれる』ということわざを実感するようになり、周囲から叩かれるのが怖くて、ありとあらゆる言動を、控えるようになってしまうことも多い。
学生時代つっぱっていたやつでも、お金にまつわる社会に入った途端、お金のリアリティを感じた途端、見えない重圧を感じ、打たれぬように周りに歩調を合わせざるを得ない場合が多い。
けれども、僕たちはもう少しだけよくよく周りを見渡してみる必要がある。確かに、人生の中で、『出る杭は打たれる』ということわざの通りになってしまう場合が多いが。世の中よくよく見れば、杭が出てるにも関わらず、「打たれていない杭」的な人間も確かに存在している。
・・・となれば、『出る杭は打たれる』からと、ありとあらゆる言動を控えてしまうのは、少し待った方がいいようだ。
『出てるのに打たれない杭』
杭が出ているはずなのに、杭が打たれていない人間はどのような特徴を持っているのか?それは・・・評価の対象にもならないほど凄い。圧倒的な差で凄い。という特徴がある。
たとえば、北の物販大富豪こと、北野会長に対して、「お金持ち」だからと、憎んだり、妬んだりする人間が周りにいないのは。北野会長が、評価の対象にもならないほど圧倒的な差で凄いからであると、これは容易に想像することができる。
『出る杭は打たれる』というのは、周囲との差が圧倒的な差でないから叩かれるだけで。嫉妬されるのは、それだけのレベルでしか無い事を意味していることを、僕たちはよく理解しなくてはならない。手に届くようなレベルの実力しかない状態だから引きずり落とされる。
高校野球の球児が、大リーガーイチローに嫉妬しないのと同じように、ビジネス・投資を行う僕たちが、北野会長に嫉妬しないのと同じように、周りとの差が圧倒的な差であれば、嫉妬の対象にさえなりえない。引きずり落とされる対象にもなりえない。
この際、一つの出来事で、たまたま的なノリで、圧倒的なレベルになったとしても、それは、嫉妬の対象になってしまう。
たった一つの出来事の成果では、『出る杭は打たれる』状態のままだ。複数の実績を出すことによって、事実をつくることが重要。たった1つの凄い結果だけでなく、2つ、3つの凄い結果を叩き出すことが重要だ。
さらにその状態を、5年、10年、20年、30年・・・継続することができた時には、「圧倒的なレベル」になり、『出る杭は打たれる』の比較対象から脱出して、『出てるのに打たれない杭』へと昇格することができるのだ。
ただし・・・はじめの一歩を踏み出す際には、重要なのは、他人がどう思うかではなく、
自分がどう思うか。自分が決めた目標(夢・ゴール)の枠組みの中で、自分自身の決めたトップ・・・自分自身の決めた勝利・・・これを勝ち取れば良いのだ。
この時点では、対外的な部分は気にすること無く、あくまでも自分の道を突き進み続けることが重要である。
しかしその際、より自らが望んだ目標(夢・ゴール)が達成しやすくなるための戦略術というものが存在する。
それを、僕はこれから仲間たちと共に、深く考えて行きたいと考えている。
追伸
圧倒的な部分になる部分が、自分が持っている囚われに基づいた、目標・使命・役割に沿っていると、周りから認められやすいという側面もある。
「このキャラならこうするだろうな・・・」というように、キャラにあっているという部分である。それを算出するのが「門学」。「門学」は「門総合研究所」の中で研究が続いている。
ブロガーとして、物理時空の情報と、情報時空の情報を、言語化・文字情報化することで、圧倒的な力を得やすい。
社会一般的な社会人に比べて、ブロガーが認められやすいのは、「言語化」「文字情報化」という情報時空の中で圧倒的な力を生みだす力を使っているからだ。
ブロガーとして「出ても打たれない杭」化、を目指す研究は、平城寿と共に「情報資産倶楽部」こと『平城式Facebook2.0』の中で仲間たち共に研究を続けている。
「北のセオリー」と「南のセオリー」物販ビジネス、株式投資、不動産投資、納税、政治活動支援、ボランティアなどの活動を通して、そのそも土俵に載らない闘い方。
仲間たちとともに、「地下ソサエティ」の中で北野会長から謁見宴(ディナー)を通して日々学んでいる。
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…