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「トヨタとか、ソニーとか、
とかの大手のサラリーマンたちからみたら、
お前らは「半端モン」なんだ。
経営者になった瞬間から「半端モン」。
機械の歯車やネジなどの
パーツになれなかった「欠陥品」。
もう、
優秀な歯車やネジなどのパーツには、
2度となれないわけ。
だったら、
「半端モン」として、
とことんやってみな。」
マレーシアジョホールバルの本格派日本料理レストラン「林」。日本酒「大関」を片手に、熱く語る北野会長のお言葉が、僕の脳裏に鋭利に刺さり、貫いた。
43年間・・・ただの一度も赤字を出すこと無く、会社を倒産させること無く、単純計算で生存率29億9,999万分の1の確率で生き残り、大富豪と呼ばれる地位に昇りつめられた北野会長。
実践の積み重ねから来る生きた言葉は、何度聴いても重い。
僕たちに、大きな「気づき」をくれた。確かに自覚が足りなかった・・・
そうだとは、薄々感じていたけれども、事実を直視できていなかったし、認識できていなかった。
そうだ、僕たちはすでに「半端モン」だったのだ・・・。
だったら、中途半端に優秀な歯車やネジなどのパーツ的な思考でものごとを考えるのではなく。「半端モン」だからこそできることに集中して、愚直にやり続けなければならなかったのだ・・・。
会社組織の中で不適合者だった真田孔明
本当は、とっくに答えは、決まっていたはずだった。会社組織の中で上に昇れる人間。そうでない人間。
僕がどちら側の人間なのか?
けれども僕は、中途半端に、両方の道を、うまくふらふらと渡り歩こうとしていた。
けれども本来なら、そんな中途半端な状態では、駄目だったのだ・・・。
思い返せば、こんなこともあった・・・。
サラリーマン勤務時代、香港オフィスで、お客様とのメールのやりとりをしていた時。
本社勤務の同期からのメールによって、別の同期がマネージャー(課長職)に飛び級的に昇進したことを聴いた。
その時、メールを送った同期、メールを受信した僕。共に平社員だった・・・。
同期が飛び級昇進・・・本来なら喜ばしいことのはずなのに、僕は「おめでとう!」のメールなど送る気など一ミリたりもなかった。
なぜならば、もの凄く強い嫉妬の気持ちを抱いてしまったからだ。
複雑な心境のまま、タバコ部屋に駆け込み、マルボロライトメンソールを、続けざまに2本吸った・・・。
(当時の香港では、建物の中での喫煙はOKで、僕もヘビースモーカーだったので。)
3本目に火をつけながら、窓から見れる金鐘のショッピングモールPacific Placeを行き交う人々を眺めながら、
「僕って、
会社組織の中で、
出世したり、上に行くのは無理だよな・・・」
そう独りつぶやいた。
悔しいけれども、マネージャー(課長)職に、飛び級昇進した同期が、会社の上で活躍する姿を僕にもイメージすることができた・・・。
一方の、僕はと言えば・・・。
会社の中で、上の人間として、活躍している姿がビジュアルとして全く浮かんで来ない・・・。
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平社員
↓
サブリーダー(主任)
↓
リーダー(係長)
↓
マネージャー(課長)
・・・一体どれだけの年月があれば、彼のところまでたどり着けるのだろうか・・・。
たどり着いた時には、彼はさらに上の世界に・・・。
「うーん。僕って、サラリーマン向いていないよな。。」
真剣に考えた・・・。
僕はアフター5の時間を活用して、インターネットを活用した、副業ビジネスをはじめた。。
1年後、2年後・・・結果として・・・「収入」という部分では、恐らく勤務していた会社の中で、人知れずコッソリと水面下で、トップクラスになってしまっていた。。
(※隠れて副業ビジネスをやってる人たちが他にいない限り・・・)
けれども、僕はそのまま会社を辞めること無く、ダラダラとサラリーマンを続けてしまった。。。
「禁断の果実」を食べ続けていたリーマンの略年表
2003年、香港転勤
2004年、真田孔明デビュー
2005年、
2006年、中国本土 上海→広州転勤
2007年、
2008年、
2009年、
2010年、
・・・その後、
「真田くん、ちょっと、話がある」
2010年に、中国支社の社長に肩を叩かれるまで・・・
会社の外の世界で、インターネットを介して、「真田孔明」として、暗躍しながらも。組織の中の一員として、サラリーマンも続けてしまったのだ。
以前ならば、サラリーマンを続けていた時代のことを振り返り、
「かけがえの無い経験」
と、美化して、自分自身を無理やり納得させようとしていたが。
正直今ではもう、それができなくなってしまった。。。
「地下ソサエティ」の中で、北野会長からのお話を聴けば聴くほど、無駄な時間を過ごしてきたことに、絶望的な後悔が沸き起こってしまったからだ。
2004年の時点で、自分の中では、すでに答えが出ていたのだ。
「僕はサラリーマンとして、上に昇れる人間ではない。」
一度すでに結論を、自分の中で出していたのだ。
だったら、あの時、中途半端な心持ちのまま、サラリーマンを継続することなく、本当は自分とは無縁のことと分かっていた会社組織内での出世昇進を気にすることなく、意味もなく感情に流される形で、同期入社の出世昇進情報に、一喜一憂することなく。
とっとと潔く会社を辞めて、外の世界で経営者として真剣勝負に挑むべきだったのだ。
・・・にも関わらず、僕が中途半端な状態で居続けてしまった結果。。。僕の末路は哀れにも・・・
「キミねぇ。副業やめるか、
会社に残るか?
どちらの道を選ぶか、
じっくり考えてくれ」
・・・なんてことに。。
結果として、お世話になった、沢山の会社の同僚たちをも、嫌な気持ちにさせてしまったわけだ・・・。
会社組織の中で上に昇れる人間。そうでない人間。自分がどちら側の人間なのか?
自分自身の適性を確かめるために、サラリーマンをやったまでは良い。
けれども、本当なら、自分が会社組織の中で、サラリーマンとして上を目指すことができない類の人間だと分かった時点で。
そのまま会社に居座ろうとするのではなく、会社を辞めて外の世界で。。
経営者としての道に、集中するべきだった・・・。そう深く反省している自分がいる。
会社組織の中で成功できた両親、できなかった僕
世の中には、サラリーマンや公務員として巨大組織の中の一員となり、成功できる人たちがいる。
地方公務員教員職、小学校の先生としてずっと勤務し続けた母。
上場企業のサラリーマンとして、淡々と出世と昇進を積み上げ、定年退職の年オーバーまで、勤務し続けた父。
僕の両親はただの一度も、クビになったりすることなく、無断欠席遅刻をすることもなく、不祥事などをすることもなく、清く正しく美しく、大きな組織の中の一人として働き続けることができた。
大成功・・・とはいかないかもしれないが、一度もクビになったり転職したりすることなく、組織の中で継続できた・・・ということで、相対的には上位の方の結果を叩き出すことができたと思われる。
そんな両親を僕は、尊敬しているし、誇りにも思っている。
けれども残念ながら僕は、両親とは異なり、そういう類の優れた組織の一員にはなりきれなかった。
組織の中での適合性の無さは、すでに日本本社勤務時代の4年間に、痛感していたはずだった。
組織の中で、適合出来ない人間。。機械の部品に例えると壊れていたり、いびつな形の、歯車やネジ。。。
つまり「半端モン」。僕はとうの昔に、「半端モン」だったのだ。
「半端モン」だと判明した場合は、無理に会社組織の中で、適合しようと考えることなく。
判明した時点で一刻も早く、会社組織の外へ・・・。「半端モン」のための成功法則のようなものに従って、「半端モン」としての道を、トコトン突き進むべきだったのだ。
優秀な歯車やネジなどのパーツになれなかった全ての仲間たちへ・・・
もしもあなたが今、会社組織の中で、頑張っても上を目指せないと感じる機会が多いとしたら。
その場合は、どんなに頑張っても限界がある可能性が高い。
会社組織の中で、優良な歯車やネジのパーツになれる側の人間ではなく、僕と同じく「半端モン」の可能性が限りなく高いからだ。
その場合は残念ながら、これまでの延長上で、ダラダラと会社組織の中に居続けても、高い確率で報われない。
だから、今すぐ、「半端モン」の成功法則を身につけ、「半端モン」としての生き方を、一刻も早く選択&集中。「半端モン」としての道を、歩み続けた方がよい。
かつて、「半端モン」でありながら、中途半端にも、組織に順応しようと試みてしまったことで、かなり遠回りすることになってしまった、僕からの切実な気持ちが込められたアドバイスである。
追伸
会社組織の中では順応できない上を目指せる自分をイメージできない。
イコール、「半端モン」である可能性が限りなく高い。
その場合は、中途半端に会社組織の中で、優秀な歯車やネジなどのパーツになろうとするよりも、最初っから、「半端モン」としての生き方に集中した方が良い。
「半端モン」のための道を、トコトン集中して歩み続けたい場合は、「半端モン」のための、30日メール講座を受講頂きたい。
https://sanadakoumei.com/kindan-blog/
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