マレーシアジョホールバルコンドミニアムのエントランスの前。時間になると一台の7人乗りの車が僕を迎えにやって来た。
7人乗りの車と言っても乗るのは僕独りだけ。少しこぶりな赤いRIMOWAの旅行バッグを荷台に積んで後部座席へと乗り込む。
朝9時半。ジョホールバルからシンガポールへの出勤ラッシュは回避できたのだが、それでもまだ少し混んでいる。けれども問題ない。渋滞に巻き込まれることなど、予め想定の上でスケジュールを組んでいるからだ。
と言っても、混んでいるのはマレーシア側の出入国管理局(イミグレーション)を抜けてから、シンガポール側の出入国管理局(イミグレーション)に入るまでの長い橋の上だけ。
シンガポール側に入ってしまえば、信号もひとつもないので、一気にシンガポールチャンギ国際空港へと向かうことができる。
自宅コンドミニアムを出てから約1時間半。チャンギ国際空港の第2ターミナルに到着。運転手さんに「Tiger Air(タイガーエア)Please」と一声添えると、チェックインカウンター近くの入口の前で降ろしてくれる。
まだ少し時間があるので、入ってすぐ右側にある、スターバックスコーヒーでチェックインの開始まで時間を潰すことにする。
電源席を確保した状態で、MacBook Air11インチを開き、今日からはじまる3泊4日の旅のスケジュールを確認しながら、今回の旅に関係する資料に目を通す。
時間だ。
「Tiger Air(タイガーエア)」でチェックインできる。まだ資料を確認している聴いる途中だったが、続きはまた、飛行機の中で行うことにしよう。
「Going to Cebu(フィリピンセブ行きで!)」カウンターにパスポートを提示。
僕はいつもTigerAirで予め「4D」という席を指定しているが、シンガポール~フィリピンセブ行きのフライトチケット代は片道分で163シンガポールドル。日本円で約13,000円と言ったところだ。「新幹線の東京-大阪間よりも全然安い!」そう思うとかなりお得な気分に浸ることができる。
こうして13時45分シンガポール発、17時25分フィリピンセブ着の飛行機の搭乗口へと向かった。
僕たち「昭和の時代」の風を感じた国フィリピン
フィリインセブに到着。マレーシア-シンガポール。そしてシンガポール-フィリピン。今日は朝から4回も出入国管理局(イミグレーション)を通るためにパスポートを提出したことになる。
パスポートにハンコが押される時に、ちゃんと効率よく沢山押せるように配分を考えて押してくれているだろうか?局員の手元を注意深く見ながら、フィリピンの出入国管理局(イミグレーション)を抜ける。
赤いRIMOWAのバッグをターンテーブルのところで待っていると、出口近くに僕の名前が書かれた看板を持っている男がいるのを発見した。
「SANADA KOUMEI」
今晩宿泊する「クリムゾン・リゾートアンドスパ(Crimson Resort and Spa)」の送迎スタッフだ。
「Welcome to Cebu(セブへようこそ!)」男は笑顔で、僕が受け取ったばかりのRIMOWAのバッグを持って、僕を送迎車へと連れて行ってくれた。
空港から車に乗って約20分。「クリムゾン・リゾートアンドスパ(Crimson Resort and Spa)」に到着。
ただし、この日はすぐにチェックインすることなく、ロビーのソファーに座って、MacBook Airを開きながら、仲間が到着するのを待つことにした。僕と同じ部屋に宿泊することになる盟友J(ジェイ)である。
同じ76世代のJ(ジェイ)と僕は、アジア各国を中心に現地集合・現地解散する形で頻繁に旅をしている。
香港、マカオ、中国本土、ベトナム、タイ、マレーシア・・・訪れる場所や旅程はその時によっていろいろと変わるが、変わらないことがある。
それは・・・僕たちの旅のテーマ。
一体どんなテーマにもとづいて僕たちはアジア各国への旅に出かけるのか?それはアジア各国で「昭和の時代」を探すというテーマである。
タイムマシンに乗って、日本が大きく成長して世界にその名を轟かせた「昭和の時代」にタイムスリップをするかのごとく。アジア各国の中で「昭和の時代」と同じような状況になっている場所と案件を探し、見つけてはビジネスや投資を行う。
こうすることで、「昭和の時代」の先人たちがそうしていたように、時代の流れに乗って大きく儲けてしまおうという算段である。
毎月1度、もしくは2度のペースで、2010年からずっとこの活動を継続しているのだが、そんな中、僕たちが「昭和の時代」の風を感じることができた国がある。
それが、僕たちが頻繁に出入りしている国の一つフィリピンである。
僕たちが生まれ育った「昭和の時代」にタイムスリップする気分で、他国で稼いだお金を持込み、フィリピンの不動産や株に投資をしているのである。
普通のサラリーマンが20年間で5億円稼げた「昭和の時代」
僕たち76世代の人間は、就職氷河期という時代に社会に出ることになり、その後、厳しい現実を直視し続ける日々を送ることになり、僕たちが見ている日々の光景こそが世の中の常識だった。
けれどもある日突然、そんな僕の常識をブチ壊し、新しい「価値観」を覚醒めさせるキッカケとなったお話が舞い込んできた。
・・・僕がまだ駆け出しのサラリーマンだった頃のこと。同じ会社に長年勤務している「老将」が、居酒屋で一緒に飲んでいる時に、とんでも無い武勇伝を聞かせてくれたのだ。
老将 :「いやあー、お前ら若いもんは本当に大変だな。金なんかまともにねえだろう?オレらの時は本当にいい時代でな、会社に無理やり買わされた自社株が勝手に増えていくんだよ。」
孔明:「うーん。それは、うらやましい話ですねえ。僕も一応、ちょびっとずつ自社株を毎月買ってますが、入社以来下がる一方ですからねぇ(苦笑)。」
老将:「今はしょうがねえよな。オレの頃はな、株が上がるたびに、当時の先輩が『売れ』っていってくれるのよ。そんで、半分ぐらい売って、しばらくすると、それがまた2倍になっちゃってるわけ。売っても、売っても、株券の数が2倍、価値が2倍、ドンドン勝手に増えていくわけよ、わははははは。」
孔明:「ほほー。」
老将:「でさ、オレ自社株でどのくらい儲けたと思う?」
孔明:「うーん。・・・1億円ぐらいですかね?」
老将:「ちぃせえなあ、お前は。10億円だよ、10億円!」
孔明 :「ええええーっ。マジですか!?それ、今はどのくらいになっているんですか?」
老将 :「それがさ、もう、ちょっとだけしか残ってなくてさ。ほとんど酒と女に使っちゃったから、2億円ぐらいしかないんだよね。俺って本当にバカだよな~。」
孔明:「(絶句)。。」
老将が八海山を飲みながら聴かせてくれた過去の武勇伝。このお話を通して、あまりにも悲惨な現実を見すぎていてスッカリと忘れてしまっていたあの頃のことを思い出した。
日本で生まれ育った僕たちは知っていたのだ。平成に生まれた若い人たちは知らないかもしれないが、僕やJ(ジェイ)のように、昭和51年(1976年)代に生まれた人間はよく知っていた。
それは、僕たちが生まれ育った時代。日本が右肩上がりの高度成長を続けていた「昭和の時代」である。
あの頃の僕たちは、世の中というものは、ずっと右肩上がりに昇っていくのだと信じて疑わなかった。
高度成長期まっただ中の日本。イケイケモードで昇って行く中、僕たちも子供から学生へと育って行った。
ちょうど僕たちが生まれ育った1970年代からバブル期の1990年までの20年間、日本の株式市場はすさまじい上昇を遂げた。
たとえば、「昭和の時代」に最前線でサラリーマンをしながら自社株に投資をしてきた「老将」は、2009年に定年退職を迎え、悠々自適のリタイアメントライフを謳歌しているのだが、これはあくまでも氷山の一角。
「老将」がやすやすと10億円を稼げた時代、日本の会社という会社は、右肩上がりの成長を遂げ、「老将」と同じような「サラリーマンで億超え」が続々と誕生した。
現役サラリーマンとして、自らの労働力・拘束時間を会社に捧げた企業戦士たちは、みるみる裕福になっていった。
そればかりではない。株価は上がりまくり、不動産価格は上がりまくり、日本中、億単位の資産を持つミリオネアたちが、続出することになった。
そんな僕たちが大人になってから一度も見たことが無い世界の情景が、「老将」の言葉を通して、時代を超えて僕の脳裏に飛び込んで来た・・・同時に、僕たちが子供ながらに見てきた時代を「思い出した」。
それ以来僕は、妄想にふけるようになった・・・もしも「老将」のような日本の65歳以上の方々が、僕たちと同じ働き盛りだったころにタイムスリップできるとしたら。。。
そして、不動産、定期預金、株式を購入し、10年~30年間寝かせておくことができたとしたらどうなったのか?
当時使いこなせるようになって間もない、パソコンのエクセル表計算を使って、独り「皮算用」をするようになったのだ。
「皮算用」もしも1970年にタイムスリップできたとしたら・・・
たとえばもしも僕が1970年にタイムスリップして、頭金+諸経費=1,000万円の自己資金+銀行融資70%で2,500万円の土地付き一戸建てマイホームを購入したとする。
10年、20年と時を経てバブル期に突入すると、全国平均でも不動産価格は4倍になっているので、2,500万円のマイホームは、いつの間にやら1億円以上の価格になっていた計算になる。もし不動産価格が10倍以上になっていた東京や僕が生まれ育った神奈川県横浜市にマイホームを建てたのなら、2億5,000万円近くに跳ね上がっていたわけだ。
また、1970年に10年ものの郵便貯金定期預金を500万円分購入したとする。
当時は年間10%も利子がついたので、毎年50万円の利子が加算され、10年後の1980年には、定期預金500万円+利子500万円で、合計1,000万円になった計算になる。
その1,000万円を全額使って、10年ものの郵便貯金定期預金(年利12%)を購入したとする。毎年120万円の利子が加算され、10年後の1990年には、定期預金1,000万円+利子1,200万円で、合計2,200万円になった計算になる。
つまり、1970年に500万円の郵貯定期預金をするだけで、20年後の1990年にはなんと4倍以上に跳ね上がったことになる。
さらに、1970年に日経平均ベースで500万円分の株を購入したとする。
1970年の日経平均株価指数は2,359円だが、1990年には日経平均株価指数=3万8,916円と、20年間で約16.5倍になっているので、1970年に買った500万円分の株は、20年後に8,249万円にも膨れ上がっていた計算になる。
もしも1970年に「不動産1,000万円」+「定期預金500万円」+「株500万円」=合計2,000万円投資したとすると、1990年には「不動産1億円」+「定期預金2,200万円」+「株8,249万円」=2億449万円にも激増していたことになる。
つまり、当時のサラリーマンは「不動産・定期預金・株」を20年間放ったらかしにしておくだけで、2億円近い資産を増やせたのだ。
そして、上場企業のサラリーマンの場合、右肩上がりの昇進・昇給、終身雇用制度、約束されたプラス運用の年金制度に加え、あわよくば自社株ストックオプションによって億超えの資産をやすやすと築けた。
当時の平均生涯年収は3億円。。。「平均で3億円」というのがヤバイほど凄い。。。
こうして、大多数の65歳以上の日本人は、世界でも稀にみる速度で裕福になり、「老将」のように自社株で10億とまではいかなくとも、20年間で5億円前後のお金を稼げるサラリーマンが続出した事実。
もしも、今の知識を持ったまま「昭和の時代」にタイムスリップできたとしたら・・・エクセルファイルを見ながら、ニタニタ妄想にふけっていたのだ。
紙くず期の僕たちは黄金期の3分の1も稼げない現実
古今東西、多くの野心家たちが命がけの実験をくり返し、誰も成功させることができなかった「錬金術」。
高度成長期からバブルを生き抜いたニッポンのサラリーマンたちは、まったく違う形で、「金の錬成」を成し遂げてしまったわけだ。
けれども、バブル崩壊を境に、錬金術の魔法はあっという間にとけてしまった。
それまで右肩上がりの成長を遂げていた、会社という会社は成長が低迷し、現役サラリーマンとして、自らの労働力・拘束時間を会社に捧げた僕たちにとって、働けど働けど報われない時代に突入した。
「皮算用」が羅列されたエクセルファイルを閉じて、パソコンから視線を上げてオフィスの周りを見渡すと、急に戻ってくる現実世界である。
この現実世界では、株価も不動産価格も下がりまくり、日本中に大借金を抱える者が続出した。
たとえば、先の「老将」のような人たちの武勇伝に憧れ、サラリーマンが1990年に500万円分の日本株を買いあさり、2010年まで20年間保有し続けていたとする。
日経平均で換算すると、その500万円分の株は、半分以下の200万円ぐらいに暴落したことになる。
しかも、日本のサラリーマンの平均年収値で換算してみても、20年間の給与からの収入は、かろうじて1億円あまりにしかならない。
1990年~2010年のサラリーマンの給与と株を合わせた合計は、1億200万円。1970年~1990年のサラリーマンの5億円と比べて、その差額は4億円近くもの開きがある。
先人たちと同じ方法で錬成すれば、「金」になると思っていたら、出てくるものは単なる「紙くず」・・・すなわち、借金の返済通知やクレジットカードの支払明細書などばかり。
「老将」のような先人たちが武勇伝として語る「錬金術」は、「昭和の時代」に期間限定で発動できたイレギュラーな方法でしかなく、完璧な「金の練成」方法ではなかったことが分かる。
昭和の時代」の風!タイムマシンに乗ってお金を増やす方法
けれども、そんな中で僕たちは、ドラえもんの出現を願いながら「昭和の時代」に「タイムスリップ」する妄想にふけること無く、「昭和の時代」に投資をするのと、同じようなことができる方法を発見した。
僕たちがたどり着いた正解は、日本国内ではなく海外にあった。
タイムマシンに乗って過去へ「昭和の時代」に「タイムスリップ」をする代わりに、飛行機に乗って日本から一歩外へ。高度成長期真っ只中のアジアの国々に行くことで「昭和の時代」の風を感じる場所を発見することができたのだ。
その中でも他国を凌ぐ形で秀でていた国があった。
2010年に僕がJ(ジェイ)と共に本格的に開始した活動。様々な国を訪れた結果、僕たちがたどり着いた、最も「昭和の時代」を彷彿させる国が「フィリピン」だった。
僕がJ(ジェイ)と共に、現地合流する形で頻繁に訪れている国であり、「昭和の時代」に戻ったイメージで、他国で稼いだお金を持込、本格的に投資をしている国である。
これまで僕たちがフィリピンに頻繁に訪れ、「昭和の時代」を彷彿するものに投資をするという活動を通して、僕たちが知ってしまったこと、実際に体感したこと。ステップバイステップではあるが、余すこと無くお伝えしたい。
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…