当日のお話の中のテーマとして、日本の平均年収400万円と言われてる中で、目標年収1,000万円目指して行く!というところになるのだが。お金の金額自体をゴールにするのではなく、参加された皆さんの人生の目標。
何か人生でシアワセを感じられるような、シアワセ領域っていうか、満足領域っていうか、そこが要になってくる。
ミライの自分がどこに満足領域をおくか、各々違うと思う。
シアワセの価値観も違うし。
皆さんに勉強会の全体の中で一貫して考えてもらいたいのは、
満足領域を発見するための要ってなんなのか?
満足領域に行くための要ってなんなのか?
満足領域というミライの目標ができた時、そこからどうやって逆算する形で今日なのか?
そういう部分を考えていってもらいたいと思う。
今回公開する戦略術「5ポケッツ」というのは土台の部分。
目標年収1,000万円。
年収1,000万円を到達できるような方は、目標年収2,000万円。目標年収1億円という方も、来場される可能性があるけれども。全ては延長上のお話。
その違いって何なのか?というのも感じ取って頂けるかと思う。
はじまりの第1章年収1,000万円ライフスタイル構築。まず参加された皆さんによく考えていって欲しい部分。
当日の勉強会の中だけでは全ては思いつけないかも知れないけど、例えば終わった後の懇親会とか、参加された他の方々とLINE交換とかしておいて、帰宅した後とか、
他の参加者の方々とお話する時に、視点っていうのを変えて頂きたいなと思うのだけど。
「理想のライフスタイル」って何なのだろう?
「ライフスタイル」というのはよく聞く単語だけれども、ライフスタイルを具体的に言語化、イメージできる人は本当に少ないと思う。
日本においては、多分、学校教育時代の環境もあると思うのだけど、学校教育というのはどうしても、努力に基づいた日々の積み重ねとか、そういうところにはじまってしまい、
人生って何なんだろう?何がしたいのだろう?というところの探求はほとんど無い。
僕の母も未だに現役の地方公務員教員職をやってるけど。指導要綱とかにはそういう部分が無いので、ご自身もあまり考えていない感じ。
でも結局は、学校では教わることができないこの部分が人生の要になってくる。
昨年の12月~今年2月までで、約70名前後の方々と個別面談をさせて頂いたけれど、その多くの方々が抱えている問題は何かって言うと、ライフスタイルが見えてない。
自分のやりたいこと。
シアワセの領域ってなんだろう?
これが見えていないという部分。
今日時点で年収が高いか低いかの問題ではなくて、年収が低い方々も何も見えていない方々が多いし。
年収が高い方々もある一定のレベルに到達しているにも関わらず、ただ銀行口座に並ぶお金を積み上げていってるだけという人もいたりして。
お金の部分にとらわれた日々を送ってしまうと、人生の満足感や充実感は少ない。
たとえお金はいくらあっても、途中からは単に電話帳が積み重ねて行くような感じで。
例えば、ご自身が90歳になった時に、他に誰もいないカーテンを締め切った暗い部屋の中で、電話帳のようなお金という紙切れが積み重なっているだけ。。
そういう人生になってしまうと、一体何のための人生だったのか?みたいなことで後で後悔してしまうかもしれない。
自分の「お金」なんて一円も無いよ!
よく「日本の国は!」とか、第三者視点で語っている方々もいるけれども。実は僕たち1人1人が日本そのもの。
「オレと日本」と別々に考えてるのは。自分の中の細胞クンが、「オレは自分だ!」って自己主張しているようなもので、自分の身体の中の細胞クン、僕からすれば細胞クン全部で僕。
その全てが集まって1人の僕になってるだけで。僕たち1人1人も日本そのもの。
だから、この視点から、お金を考えて見えてくるのは。
「自分の口座のお金」とか「財布の中のお金」とかって、自分のお金だと思ってる方々が多いかもしれないけれど。
全然違っていて、全て「日本のお金」。
僕たち一人ひとりが日本そのものなのだから。
日本の中に仮に1,000兆円あったとしたら、1人1人にいくらその使用権利が割り当てられているか?だけ。
誰ひとりとして、自分のお金を所有していない。
もらったお金も、稼いだお金も、貸してもらったお金も、お金はお金、一円たりとも誰のものでもなく。
信用創造というしくみのなか、使用権利の割り振りが、変わっていくだけ。
日本全体から見れば、何も変わってない。
そういう発想で行くと、お金だけ躍起になってかき集めて、生きてる間に、自分がその権利を行使しなければ、あの世にお金を持っていける人って誰一人としていないのだから。
あの世に行く時には、六文銭しか持っていけないんだから。
・・・ということで、実はお金よりも重要なのはライフスタイル思う。
何のためにお金を欲するか?「ライフスタイル」の重要性が浮かび上がってくる。
自分だけの「ライフスタイル」
30歳、40歳、50歳、60歳・・・どんどん年取って行くと、一方では、自分にとってのお金の価値そのものが、なくなって行く。
70歳、80歳、90歳・・・年をとって行く中で、あの世が身近になって来た時。
食欲も、性欲も衰えていって。一杯のかけ蕎麦を食べるのさえ億劫になっていくと。
お金の使用権利だけが手元に沢山あったとしても、どう使えるかというと、「寄付」とかしか浮かばなくなる。
そこが明確になっていないと人生そのものが無意味に感じてしまうかもしれない。
実際は、無意味というのはないのだけど。
後で振り返ってみて、人生満足だったの?
自分に聴いてみた時に、こういう部分は非常に重要になってくるのではないだろうか?
「ライフスタイル」をデザインする時に重要なこと。
「ライフスタイル」を軸にして、お仕事のあり方を考えて見た時。
労働者なのか?
労働経営者なのか?
経営者なのか?
投資家なのか?
どういうあり方が、自分の人生の満足領域が高くなるのだろう?
想像してみるのも大事だと思う。
単にお金だけ追い求めてるお仕事では絶対に長続きしない。
10年継続・・・は困難、いとも簡単に崩壊してしまう。
単にお金を稼ぐだけで作業をやり続けているのは、あまりにも切ない気持ち。
次に余暇。
余暇というのは、自分の生命維持には直接関係ないのだけど。
暇な時間に何をしているのか?
テレビを見たり、
映画鑑賞したり、
雑誌を読んだり、
インターネット閲覧したりの視聴活動。
自分がどこかに行って遊ぶとか、
他の誰かと一緒に体感するとかの行動、
スポーツやって体動かしたり。
余暇の部分ではどのくらい時間とお金が必要なんだろう?考えてみる。
そして、家族生活。
家族生活では、恋愛、結婚、育児、家事、人間として、生物としての活動。
男女の生殖活動、子孫繁栄っていうのもこの家族生活。
恋愛・結婚も。
お子様が生まれたら育児。
さらには、家庭全体がうまくいくように。
この家族生活で、どのくらい時間とお金と満足感が高いのか?
結局は・・・
「満足感」というひとことが、仕事、余暇、家族生活、「ライフスタイル」の全般に渡って関わっていないと意味が薄い。
いくら他人から聴いてそのままやったとしても、所詮「満足感」を決めるのは自分。
自分が満足しなければ!
・・・という中で組み立てていく土台が「5ポケッツ」。
まずは「5ポケッツ」+修羅の美学「百の言霊」(LINE@)
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私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…