ロサンゼルスの北部に位置、高級住宅地として知られるパサデナの街。
元々僕が、中国本土にサラリーマンとして駐在していた頃。米国華僑大富豪の息子、ビリーと偶然知り合った。
その後ビリーは、両親の住むロサンゼルスに戻ったのだが、その拠点こそがパサデナ地区。
ロサンゼルス市内から、車で20、30分。青々した森が広がる中、中世ヨーロッパを彷彿させるブリッジを渡ると到着。
街全体が静かで重厚な雰囲気に包まれているこのエリア。ロサンゼルスの中でもトップレベルのファッションとグルメの街になっている。
2年以上前に、ビリーの元を訪れたのがキッカケで、パサデナのオールドタウンが、僕のお気に入りの街の一つとなった。
ビバリーヒルズほどの派手さは無いが、徒歩で移動できて、とても居心地が良い。
今回のロサンゼルス入りのタイミングでも再びビリーと会うことになったが、パサデナの町にある「ノートン・サイモン美術館」にビリーの7歳になる息子(陽修門)と共に行くことになった。
ビリー:「オレは美術館とかそういうのはつまらないからヤダ!終わったら迎えに来るから連絡をくれ(英語)!」
・・・ということで、ビリーの新車ポルシェに乗って、美術館へ送ってもらったのだが、息子ニックと僕の2人だけを降ろして、再びポルシェに乗って、独りどこかに遊びに行ってしまった。
今回、以前や2年前と違い、ビリーの様子がおかしい。。。
運転の仕方も、挙動も言動も・・・。
このビリーの問題に関しては、後で大変なことを知ってしまうのだが。これは、また別の機会で語るとしよう。
一抹の不安を残したまま、僕とニックは「ノートン・サイモン美術館」を見学することにした。
「ノートンサイモン美術館」は平屋建ての近代的デザインの建物。
入り口の左右には、ロダン作の
- バルザック、
- カレー市民モニュメント
- 考える人
など彫刻の名作が並んでいる。
「ノートン・サイモン美術館」は、ノートン・サイモンという大富豪の個人的コレクションを元にして開設された美術館。
ノートン・サイモンは、(1907年2月5日~1993年6月1日)大学入学後たったの6週間で中退。仕事に出た後、貯めた7,000USDで、破産したオレンジジュースの瓶詰め会社を買い取る。
ここれをキッカケに、世界で最初の食品を中心とした、消費者製品の企業の経営で大成功。
ハント食品、マッコール出版、カナダドライ、マックスファクターエイヴィスレンタカー、テレビ制作会社などを次々と買収&吸収して軌道に乗せ、巨億の富を構築。
ノートン・サイモンは一代で、大富豪へと成り上がった。
40代後半から美術品収集に乗り出し。たったの30年間で、絵画からコレクションをはじめ、途中で美術商会を買い取った後、一流の絵画、彫刻、タペストリーなどを次々と手に入れ始める。
日本、中国、南アジア、東南アジアの芸術作品。
ヨーロッパの14世紀~19世紀の芸術作品などを中心に、60代前半には4,000点以上の芸術コレクションを手中に収めた。
その後、経営難に陥った旧パサデナ美術館を引き継ぐ形で、自身の名「ノートン・サイモン」を冠に入れた美術館として再建したのである。
つまり、たった一人の男が、創り上げてしまった美術館。
・・・にも関わらず、コレクションの質の高さも超一流。
ルネッサンス絵画からはじまり、バロック、ロココ、古典主義、写実主義、印象派、後期印象派・・・
ピカソに、ゴッホ・・・に、世界的に著名な画家の作品は、漏らすこと無く収集されている。
14世紀~16世紀のノートンサイモン美術館展示作品
14世紀~16世紀南北ヨーロッパを代表する美術のコレクション。初期ルネサンス、盛期ルネサンスマニエリスム期の傑作が展示されている。
ルネサンスはフランス語で「再生」「復活」を意味していて。古典古代ギリシア、ローマの文化を復興しようとする文化運動。
およそ1,000年間におよぶキリスト教支配のもと、ヨーロッパ圏ではずっと、古代ローマ、ギリシア文化の破壊が行われ続け、キリスト教一色になって来た。
その時代には、政治と宗教を広めるために発展した芸術・技術・文化などが、キリスト教カトリックの支配により、徹底的に弾圧を受けて、自由な発想というものが禁止され、衰退・停滞していた。
それが、「暗黒時代」。
そこから脱するべく、14世紀からイタリアを中心に古代ギリシア・ローマの学問・知識の復興を目指す文化運動が発生。ヨーロッパ各国に波及しはじめた。
今の世の中を構成する3つの物語
- ギリシャ神話
- 旧約聖書
- 新約聖書
それぞれの影響力を悠久の時を超えて間近に触れることができ。「文学少年」としては、色々と考えさせられる絵画がズラリと並んでいた。
17世紀~18世紀のノートンサイモン美術館展示作品
17世紀と言えば、「スペインの黄金時代」。
コロンブスによる新世界の「発見」をきっかけに、スペインは植民地帝国を築き上げ、貿易によって繁栄した。
もう一つ重要な歴史としては、同じ新約聖書を元に学ぶはずのキリスト教でありながら、カトリックと
プロテスタントという大きな派閥に二分。その深刻な同宗教同士の宗教戦争が勃発。
きっかけは、カトリック教会の象徴と言える、サン・ピエトロ大聖堂の改装工事。
当時のローマ教皇だったレオ10世(1513年~21年)が、膨大な改築資金を調達するために、新約聖書の福音には無い設定、「免罪符」の販売をはじめた。
それが、新約聖書を絶対的だとする集団によって大きな反発。福音主義の「プロテスタント」誕生である。
これがカトリックVSプロテスタントというヨーロッパ社会を二分する大騒動へと発展。
プロテスタントによって、カトリックの聖堂や修道院の宗教美術を破壊する運動「イコノクラスム」が起こった。
当時のカトリックは、日本でいうと大財閥のような超金持ち一家たちが、ローマ教皇をはじめ聖職者たちを占め。本来の新約聖書から成るキリスト教とはかけ離れた富と権力の象徴になっていた。
それに対して、北ヨーロッパの商人たちの間で、「新約聖書こそが権威」とプロテスタンティズムが勃発し、広がって行った。
宗教革命によって、信者だけでなく、収入も激減したカトリック教会。それに対抗する形で、ローマ教皇はじめとするカトリック教会では。全世界への布教伝道師たちを放った。
このタイミング(1549年)で、日本にもフランシスコ・ザビエルが来日日本にもキリスト教を広めていく。
この活動の中で、ローマ教皇を中心とした宗教会議の結果。
プロテスタントを牽制すると同時に、新しい信者獲得のために、誰でもひと目見れば理解できる、わかりやすさを重視。
高尚さと迫力があり、見る者の感情、感覚に訴える大げさな表現の絵画や芸術品が、大量に創られることになる。
つまり、今で言う「メディア戦略」である。キリスト教カトリックによる大々的な「メディア戦略」。それが、「バロック芸術」。
2004年から「文学少年」としてインターネットを中心とした「インフォ」の世界に身をおいていた僕としては。
「なるほど・・・今も昔も人は同じことを繰り返しているんだな・・・。」
と感慨深く、作品を拝見させて頂いた。
19世紀のノートンサイモン美術館展示作品
昨年僕は、フランスのパリに訪れた。
そこで、日本で言う漫画家たちの「トキワ荘」的な場所。パリの画家たちが集まって、競い合うようにして絵画を描いていたというカフェに訪れた。
フランスの保守的な美術界からの激しい批判にさらされながらも、独立した展覧会を連続して開催していた彼らの作品は「印象派」と名付けられた。
空間と時間による光の質の変化の正確な描写。描く対象人物の日常性、人間の知覚や体験に欠かせない要素としての動き、斬新なアングル。
王族貴族に変わって、芸術家たちのパトロン役になっていた国家に評価されず、最初は印象派展は人気がなく絵も売れなかったが。
この頃、本格的に力をつけはじめて来た、金融家、銀行家、商人、医者、歌手などを中心に市場が広がり。
さらには、ここ、アメリカ合衆国市場に、大きな販路が開けたことで。印象派の作品は、大衆に受け入れられて行った。
その印象派の代表格、モネ、ルノワード、ドガ、ヴァンゴッホ、セザンヌ、ゴーガンらが描いた名作がズラリと展示されている。
以前のようなファンタジーの世界の歴史画ではなく、社会のありのままの現実、実生活の風景が描かれていて、絵画を見ているだけで、当時の世界にそのままシンクロできそうな感覚を憶える。
ちなみに、ノートンサイモン美術館では、ドガの作品だけで100点を超える。
ノートンサイモン氏は、想像を絶する程の「力持ち」だったようだ。。
20世紀のノートンサイモン美術館展示作品
近代・現代芸術と呼ばれる20世紀の美術作品では、ピカソを筆頭に、様々な国の芸術家によって生み出された多種多様な幅広いコレクションが展示されている。
様々な「イズム」に彩られており、「20世紀美術とは・・・」とひとくくりに言語化することは困難。
・・・「文学少年」としては、この時代からあまり深く感じることは難しいが。
ルネッサンス
↓
バロック
↓
印象派
↓
近代・現代
・・・という一連の流れを少しだけ俯瞰レベルを高めて見渡してみると。「インフォ」の世界をはじめ、ありとあらゆるビジネスの世界が、今後どのように移りゆくのか?肌で感じることができる気がする。
そういう意味では、ここ「ノートンサイモン美術館」は、それぞれの、深い代表的な作品ばかりが、「力持ち」なノートンサイモン氏によって収集されていて。
ブース分けされて展示されていることもあり。「文学」からはじまる、人類史と芸術を、分かりやすく視覚を通じて体感することができる。
ビリーの息子、ニックが飽きる前に、美術館を後にすることができた。
終了後は、再びビリーが迎えに来てくれて、美術館を後にするが。その後、ビリーが大変な問題を抱えてしまっていることが判明。。
これは機会があれば・・・。
追伸
中庭も充実の彫刻品
地下にはものすごい量のアジアンコレクション
一日数回映画も上映されているが、こちらは時差の影響をモロに受け爆睡してしまった。。
聖書をラテン語に翻訳したオジサマ。。聖ジェローム氏。彼は洞窟に篭って黙々と続けた。。「文学少年」の鏡。彼を黙々会の神様に認定。
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…