僕はこれで良いのだろうか?たかだか30、40そこらで、頭打ちになってしまっても・・・。
早く頭打ちになるくらい、残念なことはない。
「修羅」として、いつまでも頭打ちにならないように、生きてる間は進歩していきたいものだ。
ではどうすれば、いつまでも成長していける「修羅」になることができるのだろうか?
まず、僕たちの人体で考えてみようと思う。
心臓圧力と毛細管引力の陰陽。
両方の力が旺盛であれば、いつまでも健康が続き、いつまでも年を取らない。
心臓のポンプの圧力が強ければ良いのか?
というとそういうわけでもない。
心臓のポンプで押し出す力というものは、それ単体ではあまり先まで届かない。
血液が全身に押し出されるその心臓の圧力。
これと同時に、毛細管末梢部が、血液を吸い上げて持っていく。
これがたいせつ。
末梢部に力がなくなると、血液が全身の隅々まで巡らない。
酸素を吸って動脈から静脈に返される。
この静脈血も大切なのだ。
だから静脈のことを第二の心臓と言う程である。
「修羅」としての活動もこれと同じである。
仮に、わずかばかりの地位と名誉、財産、わずかばかりの知識・技術・学問、などというもので。「分かった!」「悟った!」などと、もう良い気分になってしまい、
周りの言葉に耳を傾けなくなる。
真理を追求しなくなる。
人に教えを請わなくなる。
そうなってしまうと、身体の心臓圧力も、末梢部の吸引力も効かなくなるのと同じく。
静脈に該当するところの、「反省」というものがなくなる。
すると、つまらない濁り交じった単なる情欲だけが残る。
これが恐ろしいこと。
ちょっとの成功で、背中に実績だとか、冠があるだとかのたまうようになって、いい気になってしまったり・・・。
本当の意味での修行に励もうとしない。
よくぞそんなことを言うかと思うようなことを平気で雄弁はじめる。
ちょこっとだけ有名になった、ちょこっとだけ何かやってると自信を感じた瞬間。
それが「修羅」としての頭打ちである。
僕も過去を振り返ってみると、そういう状況に陥った方々を沢山見てきてしまったし。
いつの間にか、30も後半に差しかかり、40になろうとした中で、僕自身が何度もそういう病気にかかったり、治ったりを繰り返していることが分かる。
でも、そんな負の流れをズバッと断ち切って下さったのが。
ファーザー。
お年は僕よりも二回りより上にも関わらず。
「修羅」としての頭打ちをまったく感じさせない。
そんなファーザーの後ろ姿を見続けることで、僕たちに、「このままでは終われない!」という気持ちを沸き立たせる。
僕たちも「修羅」として、このマレーシアの大自然の大木の如く、すくすく伸びていかねばならないと。
わずかばかりの名誉が何だ?利益が何だ?
ちょこまか小さな状態で、人さまからおだて上げられて調子になっている状態で満足している状態ほど「修羅」として情けないものはない!
絶えず枝を払い、花があれば花を間引き、実がなれば実を間引き、現状に満足することなく努力をすれば、もっともっと大きな「修羅」へと成長することができるはずでは?
「少年の心を持った大人たち」それが「修羅」としての心構え。
とはいっても、「修羅」として、「童心」であるべきで、「稚心」であってはならない。
「童」も「稚」も、「少年」の状態を表す言葉であるが、似て非なるものだ。
「童心」という時は、純粋な「求道心」のことを言う。
キラキラとした目で、常に成長していこうとする心。
一方、「稚心」というのはその逆で。
他愛の無い心。成熟しない。発達しない。青い。の三角形。
「童」も「稚」も、同じ少年の状態のことを指すに違いないが、
一方は「修羅」として良い心の状態を指し。
一方は「修羅」として悪い心の状態を指す。
世の中の大多数の、成長を諦めた人間たち。
いち早く「童心」を捨て去ってしまい、すぐに大人になったフリをする。
そのくせ、周りから見ると案外いつまでも子供っぽい。
地位や名誉を欲しがったり、他人からの称賛を鵜呑みにしたり、小銭を稼いで満足したり「稚心」を持ち続ける。
僕たち「修羅」はそんな情けない状態のまま、頭打ちになって昔を思い出しながら、チビチビと酒を飲んでいて良いのだろうか?
答えは「否(ノー)」。
常に「童心」のまま、キラキラと輝く目で、歩み続けるのが「修羅の道」。
・・・ということで、いつもは1人とか2人とかで寂しく回っている、ダイマン18ホールゴルフ場に、「地下の修羅」たちが10人も集結。
大自然の中で、すくすくと伸びる、マレーシアの大木を眺めながら、
4時間、5時間・・・・よく歩いて身体を動かし続けることで心臓圧力と毛細管引力を鍛錬続ける。
ゴルフ・・・
まっすぐ打とうとしても、右に左に、ポンと近距離で乗せようとしても、トップでボールが吹っ飛ぶ。
たった5mや10mの何の障害物も無いグリーンで打ったボールがホールから大きく反れる。
自分の意思ではどうにもならない理不尽さを覚えながら。「修羅」として、成長し続けるための「童心」を磨き上げる。
終わったら、お腹ペッコペコの状態で、いつもの「ラーメン屋」で、体育会の学生のように、ラーメンにガッツク。
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…