僕がサラリーマン時代、日本で販売していた商品の一つに、魔女系アニメの関連玩具があった。
『お◯ャ魔女ど◯み』
体育会アメフトあがりの僕が、都内百貨店の玩具売り場で、女児たちに向けて店頭実演販売したことが何度も何度もある。
高校、大学と7年間血と汗にまみれた、武闘に明け暮れていた日々とは一転、闘いとは無縁の平和な日常。
子供たちに囲まれることを余儀なくされたのだ。 僕は今でこそ、2人の娘たちを持つパパであるが。当時、既に結婚はしていたが、子供はまだいなかった。
親戚一同、男ばかりだったこともあり、
- 音と光が鳴り響く魔法のステッキ
- ビーズアクセサリーを作る機械
- 簡易ゲームが楽しめたり文字入力ができるパソコン
『お◯ャ魔女ど◯み』の関連商品の店頭販売活動を通して。女児たち・・・という未知の生物と直接対話をして、怖い思いを沢山したものだ。
面白い物があれば、すぐに飛びついてくる、超分かりやすい男児たち。。男児向けの玩具の店頭実演は大好きだったが、女児たちの、あのなんとも言えないウネウネした感じは、当時の僕にとってもはやトラウマレベルだったのを記憶。
今でも、思い出すだけで、胃の奥の当たりがキューッと閉まる気がする。
途中で、女児向けの店頭実演のやり方のコツを掴み、盛り上げることができるようになれたが、それでも僕にとって、無理をし続けなければならない環境であるには変わらず、女児向け玩具の実演・・・の日は気がとても重かった。
そんな僕も、入社4年が経過後、日本を脱出して、海外の販社に転勤することになった。もう、あんな店頭実演とは、「おさらばだ!」と背中に羽が生えた気分を味わったが。そこで僕を待ち構えていたのは、再び『お◯ャ魔女ど◯み』だった。
僕が配属された、香港支社では、日本で販売されていたアニメ&玩具を、数年遅れる形でアニメを輸入して、商品を再び生産して、香港を中心にアニメを放映して玩具を販売する・・・というビジネススキームがあった。
つまり、丁度僕が日本で取り扱っていた商品を、数年間遅れる形で、テレビ放映して販売するということで。再びあの『お◯ャ魔女ど◯み』シリーズとも再会することになったのだ。
香港支社の営業&マーケティングでは、日本の営業のように、店頭に出て直接実演販売するのは、現地販売代理店の役割なので、直接僕が、店頭実演販売をする・・・ということはなかったが。
すでに日本では、全話放映された後ということで。放映するアニメを全話視聴し、何話目にどのキャラクターと、どの関連商品が登場するのか?
エクセルファイルで、表を作ったものを、販売代理店に渡す・・・という業務プロセスがあった。「エピソードリスト」と言われるものを、商品オファーのタイミングで、各国の販売代理店に配布するのである。
そんな中で今度は、『お◯ャ魔女ど◯み』を一話残らず、ワンシーンさえ逃すこと無く全話視聴することになってしまったのだ。日本で勤務していた時は、たまにサラッと視聴することはあったが、ここまでしっかりと視聴したことは無い。
パソコンにDVDを入れて、「一キャラクターたりとも、一アイテムたりとも、逃すこと無くチェックするぞ!」・・・という意気込みで、頭にハチマキを巻いて、画面半分にアニメ、画面半分にエクセルファイル、を立ち上げた状態で・・・。
10話目、
- ◯◯キャラ登場・・・エクセルに「◯」
- ステッキ登場・・・エクセルに「◯」
- パソコン登場・・・エクセルに「◯」
超地道な作業を、永遠とも感じられる時間続けて行くのである。それもそのはず・・・『お◯ャ魔女ど◯み』アニメは、1シリーズ分で、約30分間のアニメが、51話分ある。単純計算でも、30分間x51話=1,530分間もある。
僕が微塵たりとも興味も何もない、「女児向けのアニメ」をずっと視聴し続ける。日本の店頭実演販売とは、また別の苦しみを体感することになった・・・。
・・・・・・はずだった。
はじめは、先入観で嫌悪感を抱きながら、斜に構える形で視聴していた『お◯ャ魔女ど◯み』。ところが、途中で僕は、別の苦しみを味わうことになる。
それは・・・
なぜだか良くわからないけど、目に熱いものが込み上げて来ると思ったら、勝手に涙が頬をつたい続けてしまうのだ。
孔明:「一体何なんだこれは・・・」
正義超人の友情に触れて、涙を流した「ファイティングコンピューター」「ウォーズマン」よろしく(by『キン肉マン』)。流れ出た涙が止まらなくなってしまうのだ。
主人公のど◯みちゃんたちが、魔法玉がなくなってしまったことで、魔女界に行って、
女王様のお城でアルバイト。膨大な量の薪割りをすることになり、三人で協力しながら 慣れない薪割りをして、クタクタ、ボロボロになりながら、協力して頑張るシーン。
孔明:「おまえら、頑張れー!」
最後の一本を三人で斧を持って振り下ろす。ストン!と薪が割れた瞬間、
孔明:「おまえら、よく頑張ったー!( TДT)」
・・・など、文字化してみると、「何でそんなので泣けるの?」と思われるかもしれないが、こういうシーンだけでなく、51話の中で、泣きに泣きまくった。
当時、僕は香港に移動したばかりで、嫁さんは日本。無表情なタイ人、天然ヤ◯ザ顔と甲高い声を併せ持つ、ミスターウィッシェンと一緒に香港太古のマンションに住んでいたが。僕が号泣した直後なのを悟られることなく、顔を背けながらトイレに行った。
・・・結局、この後僕は、女児向けアニメに覚醒めることになる。その年の商売に必要な該当一作品にとどまらず、
『お◯ャ魔女ど◯み』
第一シリーズ:51話
第二シリーズ:49話
第三シリーズ:50話
第四シリーズ:51話
全話の完全制覇を成し遂げ。以降も、業務としてではなく、半ば「号泣」を楽しむかの如く、進んで女児向けアニメの世界へとシンクロして行くようになった・・・。
人は誰しも潜在的に「愛」と「涙」を求めている
『お◯ャ魔女ど◯み』をはじめとした、女児向けアニメを、散々視聴しまくった僕が学んだこと。
それは・・・
「人は誰しも潜在的に「愛」と「涙」を求めている」
・・・ということだ。
孔明:「ボクが涙なんか、流すわけネーだろ!バーカ!」
かつては鼻をほじりながら、ベロを出していた僕が、アニメを視聴し、架空のキャラクターたちの、「愛」と「友情」に触れただけで、顔を天上の方に向け、手のひらをまぶたにギュッと押し付け、次から次へと溢れ出てくる、涙を押さえつけることしかできなくなってしまうのだから。。
そして、僕たちの生きる、リアルの世界で体感できる「愛」と「友情」も、とても甘美なものである。だから今、仮に、
「愛とか友情とか、そういうものいらないんですよね!」
「愛とか友情とか、そういうの疲れるだけなんだけど!」
・・・と、ドライな顔して、言っている方々も、実際に自分が、「愛」とか「友情」とかに触れてしまった時。果たして同じことを、同じ表情のまま言えるのだろうか?
そう思うと、僕は、かつての自分を棚に上げる形で、口に手のひらを当てて、クスクスと笑ってしまう。
一つ、今の僕が言えることは、「愛」と「友情」をリアルに知ると、人生の色が変わるということ。人生がより楽しく豊かに感じるようになると言うこと。
確かに、
-
「愛」はすぐに「憎しみ」に転落する
-
「友情」はすぐに「裏切り」に転落する
・・・という危険性も同時に秘めているが。そういう危ういし、儚いものだからこそなおさら、「愛」や「友情」が「成就」している「状態」は美しいし心地よい。感情にダイレクトに働きかけてくる。それをリアルに「認識」できた時、僕たちの人生を豊かにしてくれる。
人生の楽しみを知れる。何か「愛」と「友情」を元にした、「問題」が起こったとしても、その「問題」が解決した後に得られる喜びを想像することで。どんな人間関係の「問題」にも、真っ向から立ち向かう、「勇気・行動・実行力」というものが沸き起こって来るのである。
「もっと多くの仲間たちに、「愛」と「友情」の喜びを知ってもらいたい!」
そんな想いを込めて、今回「盟友」平城寿@SOHOの協力を得ながら「メール講座」を、公開させて頂くに至ったのである。
「愛と友情の喜びを知る方法」
https://hirajoshiki.com/fukan/k
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私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…