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【帝】「清水の舞台」で娘たちに語る「決死の覚悟」はいらない

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「清水の舞台」で娘たちに語る「決死の覚悟」はいらない

京都市内を一望できる舞台。

「思い切って大きな決断をする」ことのたとえとして、「清水の舞台から飛び降りる」という言葉が言い伝えられているが。この言葉の語源を確認してみると、かなりシュールで驚かされる。

京都市東山区にある「音羽山清水寺」。

高い崖に張り出す形で舞台があるのだが、古からの言い伝えで、清水寺の舞台の崖から飛び降りると、所願成就のときに怪我をせずに済み、もしくは死んで成仏できるといわれ、身を投げる者が絶えなかったという。

  • 自分の病気を治したい
  • 母の病気を治したい

など、「願掛け」が飛び降りの動機。御本尊の観音様への「神頼み」目的。

昔の方々は、「自殺」をするためではなく、清水の御本尊の観音様に一心に祈りながら「清水の舞台」から飛び降りたわけだ。

釘を一本も使わずに組み上げられた木造建築、地上12メートル、ビルの4階分の高さに相当する「清水の舞台」。 

今でも、能や歌舞伎などの伝統芸能の奉納時に使われる檜舞台。

「清水寺成就院日記」という記録によれば、江戸時代中期1694年(元禄7年)〜江戸時代末期の1864年(元治元年)までの間に「清水の舞台」から実際に飛び降りた人々の数は、未然に引き留められたものを含めて、約234件にのぼると言う。

けれども、当時は舞台の下に、木々が多く茂り、地面もやわらかな土だったので、死亡者数は34名、生存率は85%と意外にも低く。これが「迷信が真実」であると、さらに「迷信」を助長させたのだと思われる。

しかし、地面がコンクリート化したいまならこうは行かないだろう。。。

そう考えながら、実際の「清水の舞台」から、下を見ると非常に怖くなり身がすくむ。

必死になると「必ず死ぬ」

昔から日本人的気質や思考の中に、「決死の覚悟」「命がけ」「必死」・・・などという言葉を美しく感じる感性が根付いている。

これは金融資本主義の時代になった、現代社会でも続いていて、大企業で働くサラリーマンにしても、自分で事業を営む経営者にしても、「決死の覚悟」「命がけ」「必死」・・・という言葉に美徳のようなものを感じている方々が多い。

一心不乱に念じながら一か八かの願掛けをすれば、難関を突破して問題解決や、目標達成ができると、信じている方々が。

しかし、現実的には、「決死の覚悟」「命がけ」「必死」・・・というマインドセットで、ビジネスや投資に臨む者たちは、サラリーマンの世界でも、経営者の世界でも共通して、「極めて短命」である。

たとえば、僕が現役サラリーマン時代を振り返る形で記憶を辿ってみると、この手の言葉を容易に口にして、毎日残業をして、
深夜遅くまで働いている上司、先輩たちに限って、早期にリストラ対象となり会社から消えた。

独立起業後、様々な業種業態の経営者たちと触れ合う機会が増えた。

その時に、この手の言葉を容易に口にして、前のめりになって事業を推進しようとする先輩経営者たちに限って、事業を飛ばしたりして、大幅に減速するか、経営の世界から姿を消す場合が多い。

45年間、ビジネスと投資の世界で、ただの一度も飛ばすことなく、生き残り続けて来られた御方、北野会長も、僕たち若手経営者に対して、何度も繰り返しおっしゃられる。

  • 「必死」になれば「必ず死ぬ」。「必ず死ぬ」と書いて「必死」。
  • 一番を宣言したやつ、ヤンチャなやつ、みんな飛んでイスタンブール。ビルの100階から飛び降りて死んだ。 
  • 命が〜あったら〜死には〜せぬ♪
  • 端っこを無理に走ろうとすると、すぐに落ちる。

・・・と。無理・無駄・ムラを無くし、着実に安全な場所だけを、ゆっくりと歩かないと、命がいくつあっても足りないと、過去の45年の経験の中から、僕たちに訓えてくださる。

・・・ということで、僕も清水寺の「清水の舞台」を見ながら、2人の娘たちにこのお話をした。

「「決死の覚悟」で物事に臨まないようにしようね!」と。

「常に余裕やゆとりを持ってゆったりゆっくり生きようね!」と。

実際は娘たちにお話しながら、僕自身に言い聞かせていたのだが・・・。2011年、2012年、独立起業したばかりの2年間、このことを身をもって経験しまくってしまっているので。。
  
・・・ということで、間違っても「清水の舞台」から飛び降りようとする行為や、「清水の舞台」から飛び降りる意気込みを持って、意を決して行動に移すことはしない。

これを「孔明家」の家訓として残すことにしたのだ。

ちなみに、「清水寺」には、舞台のすぐ近くに、「鉄の下駄と錫杖(しゃくじょう)」がある。

「鉄の下駄」は、女性が撫でると、一生履物に不自由しないそう。。。お金が潤沢に入るようになり、身に付けるものに困らないとされる。

男性が下駄を撫でると、1対の下駄が、鉄の鎖でつながれているように一生奥さんに縛りつけられるとのこと。

「鉄の錫杖(しゃくじょう)」は、男性は大きい杖、女性は小さい杖、杖を片手で持ちあげられると、願いがかなうそう。。。  

「門学」の訓えにそって、「参拝」の時には基本、「お願いごと」の類はしないのだが、、「清水の舞台」から飛び降りるような、意を「決した願掛け」ではなく、非常にライトな遊び感覚でできるので。娘たちは下駄を撫でて・・・

僕は特に「願い事」は無いのだが、「鉄の錫杖(しゃくじょう)」を持ち上げてみた。

・・・が、普段南国に住んでいて、慣れない日本の寒さの中、突然ムキになって重いものを持って、「ぎっくり腰」になるといけないので、大きい方の「鉄の錫杖(しゃくじょう)」ではなく、女性用の小さい方の「鉄の錫杖(しゃくじょう)」を持ち上げた。笑

日本の高性能電化製品よろしく、こういうファジーで曖昧さも、大切にしようと考えながら。

追伸

金融資本主義の世の中で、活躍するためには、「願掛け」よりも「門」・・・。

「決死の覚悟」「命がけ」「必死」

・・・などを持たずに、ゆったりと楽して生きるために。。

https://sanadakoumei.com/lp/shura/


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