足腰の守護神として広く崇敬されている京都御所西に鎮座するイノシシ神社こと、「護王神社」にて。
「予め結果が出ることが分かっている参拝」を行った。
スケジュールの合間を縫って電車でJR大阪駅からJR京都駅へ向かう。
欧米系外国人3人組:「エクスキューズミー あなたが着ているその服は(中国系マオカラー)どこで購入できるのですか?(英語)」
孔明:「中国本土です。日本では買えないと思います(英語)。」
欧米系外国人3人組:「それは残念です(英語)」
・・・と、日本刀型の傘のおみやげを手にした3人の欧米系外国人に、フレンドリーに声をかけられ戸惑いながらも、電車に乗り込み京都へ。
電車に乗って数十分間。京都駅に到着するなり、脇目もふらずタクシー乗り場へ。
孔明:「イノシシ神社で有名な護王神社まで御願いします!」
「護王神社」に到着するなり即座に、財布から6枚のお札を取り出し、「護王神社」内にある6箇所のイノシシ様たちを順番に周り・・・。
- ◯◯◯◯◯と◯◯◯たことへの御礼
- 強い◯◯◯になって来たことへの御礼
- 2人の娘たちに腎(水)のご加護があることへの御礼
- 太陽の立門を抑えて財門に集中できることへの御礼
- 僕にとっての水の官門のご加護が多々あったことへの御礼
そして、官の力が最大限に必要とされる、仲間たちへの銀行融資と、フランチャイズビジネスに関する「問い」を投げかけた。
神社内の6箇所のイノシシ様たちに対して、5礼・1問を行った。
ちなみに僕は、「神社の参拝で「願い事」をすると願い事は叶わない法則」を理解しているので、「護王神社」参拝に行った時にも、イノシシ様たちに「願い事」の類はしない。
「願い事」をしても、高い確率で「願い事」の願いが叶えられることはないからだ。
叶えるか分からない「願い事」はせず、決まっている結果を「お礼」することと、次の行動に対する「問い」しかしないのである。
神とやらは「願い事」に来る人は後回しにする法則
もしも僕が「護王神社」のイノシシ様たちに対して、「願い事」をしたとしても、イノシシ様たちは僕の「願い事」を叶えてはくれない。
だから僕は、「護王神社」にて、参拝の力を自分の力にするためには、イノシシ様に対して「願い事」をするのではなく。イノシシ様たちに対して、「ありがとう!」とお礼をするのだ。
そして、「ありがとう!」の気持ちを、それに該当する、お札(さつ)=お礼(れい)として、賽銭箱に投げ入れる。
願掛(がんかけ)ではなく、「お礼(れい)」をすると・・・。
イノシシ様たちから見ると、沢山の願掛(がんかけ)しに来る人たちの中で、お礼(れい・さつ)を言っている僕だけが、キラリと目に留まるようになる。
イノシシ様たちも、毎回毎回、叶えられるかどうかも分からない、願い事ばかりされても、うっとうしいのである。
そんな中で、「お礼(れい・さつ)」を言ってくる人がいると、イノシシ様たちも嬉しいのだ。
嬉しいと、喜んでもっと力を与えてくださる。
万物はうっとうしいものを後回しに、嬉しいものから先に対応される。
「参拝-イノシシ様たち視点-」
亥神 亥神 亥神
亥神 亥神 亥神
願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛
願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛
願掛願掛願掛 お礼 願掛願掛願掛願掛
願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛
願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛願掛
・・・すると不思議なことに、イノシシ様たちは様々な兆しまで、おまけのような形で沢山くれるようになるのだ。
そんな兆しを感じた時に、さらっと「質問を投げかける」と、新たな兆しが起こったりその答えを持った人間に、巡り合わせてくれたりする。
「門使い」たちが共通して知っている、参拝における「お礼」と「問い」の原理原則・・・
実際に成功者と言われる人たちは、共通して使っていることでもある。
ちょっとスピってるトピックであるが、漫画やアニメの中の話ではなくて、マジ(真剣)である(ドドン)!
僕はこれが頭の中で理解できるようになってから、さらには、自分自身がその成果を実際に体感して行くことで。今回の「護王神社」でのイノシシ様たちへの参拝のように、それぞれの目的にあった神社に、積極的に参拝しに行くようになった。。
どの神社においても、「願い事」ではなく、「お礼」や「問い」目的で行くのである。
ちなみに今回の「護王神社」参拝では、5礼1問の、1問に当たる水の官の力を得る・・・という目的もあったのだが。。
なんと、イノシシ様の場の中で、時空に対して「問い」を投げかけたところ・・・
その直後から、突然雨が降ってきた。。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
シュハキマセリシュハシュハッキマセリ
シュハキマセリシュハシュハッキマセリ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
まさに狙い通りである(ニヤリ)。
まあ、実は台風が接近していたし、夕方から雨が降ることが天気予報で言われていたので、雨が降ってくるのは、何となくの計算の内ではあったのだが、さすがに分単位で狂わず、ここまでドンピシャだとは思わなかった(笑)。
ちなみに、台風接近で途中から雨が降ってくるのを分かっているのに、時空に問いを投げかけた直後に、雨が降ってきて・・・
そんな当たり前のようなことを、「兆し」として喜んでしまっていいのか?
孔明はそれで満足なのか?
・・・と思われるかもしれないが、覚醒した月財門というのは本来、予め勝つことが分かっている勝負しかしないのである(ドドン)。
それは、占いとか願掛けとか、参拝とかの分野でも、同じことなのだ。
だから僕は、占いを知りながらも、占いにハマること無く、予めその結果が出る占いや願掛、参拝しかしないし。さらには、「予め勝つことが分かっている戦い」を追求していける、「門」を最も重要視しているのである。
「三面大黒天」が石に当たって割れたら「天下人」になれる
かつて・・・天下人になる前の豊臣秀吉は、
豊臣秀吉:「もしもこの「三面大黒天」が石に当たって粉々に割れたら、私は天下人になれる!」
と言って、「三面大黒天」の像を、思いっきり大きな庭石に投げつけたと言う。
庭石に落ちた「三面大黒天」の像は、当然のように粉々に割れた・・・。
豊臣秀吉は再び「三面大黒天」を作りなおさせて、以降「三面大黒天」を大切に信仰し、天下人になったという逸話が残っている。
もともと投げて大きな庭石に当たれば割れる素材で出来ていた、「三面大黒天」・・・。
当たり前すぎるほど当たり前のこと。
豊臣秀吉が、必ず庭石に当たる近距離から投げて、庭石に当たって割れるのは、予めそうなることが決まっていることだと言えよう。
「100%石に当たって割れる状態で自ら割った」のだから。(ドドン)
それで、「良い占い結果が出た!」とばかりに、「これで天下人に・・・」と豊臣秀吉は喜んでいるのである。
豊臣秀吉が、「予め勝利することが分かっている戦いしかしない」マインドセットや言動の持ち主であり、・・・その積み重ねの結果、天下人になったことが良く分かる。
古の英霊豊臣秀吉や、華僑系大富豪たち。。
そして、今日、北の物販大富豪こと北野会長や、金融工学の神ドクターサイが、踏襲されているこのマインドセットや言動を、今日の僕も踏襲しているのである。
「予め勝つことが分かっている戦いしかしない」マインドセットと言動は、日本各地で暗躍している「門使い」たちにも浸透している。。
客家系華僑大富豪らの流れを組む訓えの「門」を使う僕たち「門使い」たちが、巷の占い師の類と大きくことなるところでもある。
「予め勝つことが分かっている戦い」しかしない、させない。
イチかバチかの、占いの類や、叶うかどうかも分からない願掛には頼らないのである(ドドン)。
かつて・・・イチかバチかのばかりの人生ばかりを歩んできてしまった僕が。2015年2月からの新たな10年間の流れの中で、ようやく「この道を歩もう」と、決意を固めることができた成功法則である。
金融資本主義の中で生き残るために大切な考え方だと思うので、シェアさせて頂く。
神社への参拝の作法と併せて活用頂けると幸いである。
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…