たとえ超人的、天才的才能を持っていたとしても、それが生きている間に認められることとはイコールにならない。
たとえ最後は「飛んでイスタンブール」の無一文になって悲惨な末路を迎えたとしても、生前に周りから才能を認められて、一時は豪邸に住むほどの富豪になることができた「レンブラント」とは異なり。
「ヨハネス・フェルメール」の場合、生前に認められることは無かった。「レンブラント」に勝るとも劣らない、隆盛を極めたオランダの「17世紀」を代表する巨匠として今日では言われているが、「フェルメール」の生前のことは、オランダでもあまり知られていない。
1632年にデルフトで生まれ、無名の師匠について絵画を勉強した「フェルメール」は、21歳の時に、「カタリーナ・ボルネス」と結婚、1675年に死去した際には、11人の子供がいたと言われているが、その当時、絵画史上の価格が急落したことから、「フェルメール」はただの一度も日の目を見ることなく、困窮した晩年を過ごしたとされている。
「フェルメール」の死後、「18世紀〜19世紀」にも、引き続き「フェルメール」の作品が注目を浴びることはなかったが。「19世紀末」に作品が再評価されはじめてから、「フェルメール」の作品は数多くのファンの心をつかみはじめた。
「地下ソサエティ」のミスタSと共に、「コロナ渦」に訪れたオランダ。引き続き、アムステルダムにある「オランダ国立美術館」の「フェルメール」作品が展示されているコーナーに足を運ぶ。
「フェルメール」の『牛乳を注ぐ女』
「オランダ国立美術館」の中で、必ずチェックしておくべき「フェルメール」作品は、
- 『牛乳を注ぐ女』
- 『小路』
- 『手紙を読む青衣の女』
- 『恋文』
まずは、「フェルメール」の代表作のひとつ『牛乳を注ぐ女』。
袖をまくった女性が、土製のポットに牛乳を注ぐ作業に全神経を集中させている。女性の視線に合わせて下を見ると、女性は左手で重そうなポットをしっかりと支えて、注ぎ口から牛乳がしたたり落ちるように傾けている。
まくられている左腕には、日焼けした部分と、白い部分が描かれていて、この女性が労働者そうであることが分かる。割られたパンは、外がパリパリで中がフワフワな状態が表現されている。
青い部分には、原産地がヨーロッパではないとても高価な石であるラピス・ラズリの鉱物を砕いたものがふんだんに使われている。
「ポワンティエ」という点描技法によって、「フェルメール」の描く柔らかな光と影のグラデーションに、アクセントとして光の粒が入ることにより、まるで本物のような印象を受ける。
窓ガラスのイチ部が欠けていて、洗練された光の演出。右側の壁の空間の中心には、釘でできただろう壁の穴が見える。この壁の穴を中心に絵画を眺めていると、まるで絵画の中の世界に入り込んでしまったような、臨場感を感じることができる。
続けて鑑賞するのは『小路』。
「17世紀」絵画においては異質な存在であり、特定の建物を描くのではなく。大都会の慌ただしい情景を描いたわけでもなく、どこにでもありそうな、庶民の住む建物と小路、曇った日の静かな風景をそのまま表現している。
場所の特徴を描かず、まったく無名な場所を切り取る形で。埋め立てによって土地が創られたオランダでは、今日時点でも、地盤沈下によって、あちこちの建物が歪んでいる。
絵画の中の建物に目を移すと、地盤沈下で傾いている崩れたレンガを修復したところも細かく表現されている。オランダ独特の北ヨーロッパの太陽の光がそのまま空には描かれている。よく見ると、1人の女性は戸口に腰掛け、2人の子供が遊んでいる。
裏庭に続く通路には女中が一人、お掃除をしていて水を流しているが、「ポワンティエ」の点描技法によってまるで本物の流れる水のように光を放って描かれている。
『牛乳を注ぐ女』同様に、どこにでもありそうな平凡な情景から、まるでタイムスリップして本物「17世紀」の日常を眺めているような錯覚を覚える。
「オランダ大航海時代」に生きた船乗りの妻たち
同じく「フェルメール」が描いた
- 『手紙を読む青衣の女』
- 『恋文』
の絵画を鑑賞する前に、まず前提として理解しておくことは、「17世紀」のオランダが大航海時代の中で、多くの市民が海と船と密接に関わっていた時代背景。
どちらの絵画にも、後ろの壁に海の地図が描かれていて、共に絵画の中心人物は、大航海にでかけた夫を待つ、船乗りの妻であることが想像できる。
- 『手紙を読む青衣の女』
- 『恋文』
という作品名の通り、共に「夫にまつわる手紙」にまつわるシーンであるが、『手紙を読む青衣の女』の方は、妊婦の女性の背中の部分が真っ黒になっていて、手紙を見つめる顔にはアザが描かれていてどことなく悲しそうな顔をしている。
寝具のまま手紙を手にしていることからも、何か緊急な、ご主人にまつわる悪い知らせが書かれているのかもしれない。
もう一つの『恋文』も、船乗りの奥さんが手紙を手にしているが、当時のオランダ主婦の三大家事の一つアイロンもかけず、モップを立てかけたまま掃除も途中で、雇っている家政婦さんと一緒におしゃべりしている。
家政婦さんが片手を腰にあてている様子から、おのろけの類のどうでもよいことが手紙には書かれているのかもしれない。作品の手前、絵画の3分の2が影ように暗く描かれていることにより、「見ーちゃった!」的な、のぞき見を錯覚させる。
- 『手紙を読む青衣の女』
- 『恋文』
からは、細かく描かれたひとつひとつの、人物表現や小道具を通して、まるで生きた人間の感情や状況をそのまま絵画に収めたかのように、僕たちを「17世紀」オランダの日常に「タイムスリップ」させてくれる。
現代の漫画のように、文字による補足ができないにも関わらず、350年以上の時を超えて鑑賞者である僕たちに当時の情景や時代背景をイメージさせることができる描写。僕たちの日常とは全く無関係なはずなのに、どこか身近で懐かしい感じもする。
なぜ「フェルメール」が巨匠と呼ばれているのか?僕たちは、本物に触れることで体感することができた。僕たちはまた一歩、おとなの階段を一段、二段昇ることができた気がする。。
追伸・・・
「百聞は一見にしかず」とも言われているが、「本物に触れる」ことも大切。「本物」を通してのみ、僕たちは感覚と言われるものも、磨き上げることができる。
だから僕たちは今、「イケる伝説」無敗神話の本物に触れて学んでいる。
「LINE@5ポケッツ成功者の思考と習慣」
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