世の中には高いものがあるものだ。
例えば「神戸牛」、2,500円のものもあるし、1万5,000円、2万5,000円、銀座のカウンターでは、4万5,000円~。
この「~(から)」はものすごく重い言葉である。
お寿司屋でも、4万5,000円~(から)を頼むと、まぐろを中落ちにしてくれ、スズキでも身をパパっと剃って、身と骨を残したやつが高い。
高いって言ったって、(追加で)1万円しかしませんよ。
銅の鍋に天ぷらをじゅ、じゅ、その油を重々しい感じで、銅の鍋をひっくり返して、床にバサッと捨てる。
そんなお店に、予約無しで行って入れるか?というと決して入れない。
世の中には、高くて美味しいものばかりたべても病気にならない人たちがいるものだ。
銀座の日産ギャラリー近くのカウンターのステーキ屋。
「神戸牛」のステーキ1枚10万円。
安い肉で10万円、「それよりもっと高いものもありますよ。」
いくら銀座の値段でも、無体なものがあるようだ。
1枚10万円、ビックリするような味なのか?
アワビも一緒にやるんだけど、どう考えても10万円の味には見えない。
銀座のホステスいるお店で、高いのはなんとなく納得行くけれど、10万円じゃ足りないけど、
ファーザー:「もっと高い肉無いの?」
店主:「ありますよ!」
食欲もそこで止まる。
銀座界隈はそういうのが多い。
金が余ってる人しかいかないところ。
料金が本当にデタラメである。
ファーザー:「ママ、どうしてこんなにおあいそ高いの?」
銀座のママ:「これは銀座の空気が高いんで、田舎よりも仕入れは安いけど、銀座の空気が高いのよ。」
以前、「地下ソサエティ」のみんなで訪れたフランスパリでも、レストランに、サラダ4万5,000円。
どんなサラダかと思って、試しに注文してみると、ビックリしたのは、こんな大きな皿に、大根がある。
あの大根の四角いやつをサラサラ巻いてある。
だから、フランス料理は恐ろしい。
ニューヨークで、10万円のステーキは無い。
料理の味で驚かせるなら良いけど、値段で驚かせている。
そこらは微妙に、フランスの名前知れたところ行ったら全てその単価。
10万円お金使って、何食べて来たか。
ささいなもの。
これは無いだろう、ジョークにしても。
葉っぱの上に、大根のせて4万5,000円。
帰ったら良い話のネタになるな。
ビックリしたのは、四角く薄く切ってある。
そういう旅していると、高ものを食べるとバカなものが身についてしまう。
東京新宿、高層ビルすぐ隣の料亭個室で開催された「地下ソサエティ」の「謁見宴(ディナー)」。
今回もファーザーが、45年以上生き残り続けて来られた、その独特な視点でご自身の実際の体験を経た、世の中の事象を読み解かれていらっしゃった。
ファーザーのお話を、読み解けるようになると、否応なしに、ビジネスで、「修羅の領域」に、導かれてしまう。
その理由は、「ファーザー」のお話はどれも、「三角形」を描かれている部分にある。
世の中の大多数の方々が、見過ごしがちな部分にアンテナを立てられるファーザー。
世の中の大多数の方々は、点しか見えていない。
かなり優秀な方々でも、点と点を結び線、しか引くことができない。
結局は、当たり前のことを、当たり前に考えている状態から脱することはできない。
けれども、点や線のままでは、「修羅の領域」では生き残り続けることはできない。
線の高にもうひとつの点を打ち、三角形を構築すると面ができるのだが、三角形の面になってはじめて「修羅の領域」で闘える力となる。
「ファーザー」の視点はどれも、この三角形を描くための隠されたもう一点を、的確に表現される。
聴いた時、すぐには理解できなくとも、何度も繰り返し確認を続けることで。実はファーザーがお話されてることはどれも、「修羅」として生き残り続けるための「要」であることが判明する。
「点」しか見えない、描けない方々が稼げるのは、時給980円前後だろうか?
「点」と「点」を結びつけ、「線」が見える、「線」をひける方々が稼げるのは、時給9,800円だろうか?
しかし、「線」の高に「点」を打ち、「三角形」が見える「三角形」を描ける「修羅」が稼げるのは、時給9万8,000円~(から)。
収入は、時間と労力を浪費させた労働量によって変わるのではない。
「点」か?
「線」か?
「三角形」か?
10倍ずつ収入が変わってくる世の中の仕組みを知っているか?知らないか?
これだけでも、生涯年収は桁違いに変わってしまう。
「修羅の領域」の住人が、普通の方々の100倍の速度で進むことができる秘密でもある。
そういう意味では、ファーザーの御言葉は、一見するとビジネス・投資には関係無いように思えるようなお話も。実は、全てビジネス・投資に繋がっていく。
ファーザー:「オレは冗談を言わない」
これがリアルであることが、お話を噛みしめる度に、ヒシヒシと実感できるようになる部分である。
この日は、収録として残しておける内容が半分位しか無かった。
ほとんどが、「大人のお話」だったのだから。
後から見返してみると、収録した御言葉、メモした御言葉から、およそ半分くらいは、削除・抹消が必要なものばかりであった。
そういう意味では、現地に趣き、直接ファーザーの御言葉を聴けた者たちだけが、得られる特権とも言えよう。
結局、こうして、「本物の訓え」ほど、「口伝」という形になって行くのだろうか?
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…