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【帝】真田孔明復活のキッカケ『WESTIN広州』にあり

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【帝】真田孔明復活のキッカケ『WESTIN広州』にあり

誕生日の日・・・「平城式2.0」の3時間以上にも渡る「ライブ配信」もあり、当日だけ『WESTIN広州』に宿泊した。(他の日は安ホテル。笑)

実は・・・かつて僕は過去に一度インターネットの世界での活動を長期休止している。2004年にデビュー後、2007年〜2009年に姿を消し、2010年に再び復活して今に至る。ことの経緯を、改めて公開させて頂く。

香港異動1年半後の真田孔明デビュー

2004年8月2日、香港に転勤して1年半。「真田孔明」の命名と共に、インターネットの世界での活動をはじめた僕。

当時はインターネットでの情報発信の活動が、まさに活発になりはじめたこともあり。「大波」にのる形で、2004年、2005年、2006年と、棚ボタ的要素も助けになり、急速に右肩上がりに、駆け上がっていった。

まさに、「運が8割、実力1割、勘根1割」。サラリーマンとしての仕事も右肩上がりで毎年SS評価の絶好調。副業としての真田孔明の活動も、右肩上がりで絶好調。公(会社)も私(副業)も、共に絶好調のイケイケドンドン状態だった。

そんな中、2006年4月突然、中国本土への転勤辞令を受ける。正直言うと・・・長女もまだ幼かったし、次女が香港で生まれたばかり。僕は香港にそのまま残りたかった・・・。

しかし、英語も話せなかった僕を(TOEIC265点。ゴゴゴ)香港支社の営業&マーケティングとして新たに挑戦させてくれる形で、日本から拾ってくれて、(それまで英語を話せない者が海外で営業&マーケティング職に就くことはなかった。。)その後も香港支社で、目をかけてくれて、ずっとお世話になっていたボスが、中国本土に支社長として異動して広州支社を新たに設立するということで、「ついて来い」とのお誘いを頂戴。

孔明:「僕このまま香港に残りたいのですが・・・。」

・・・などと、僕がサラリーマンのワビサビ世界の中で、軽々しく言えるわけも無く。。

孔明:「イエス、マイロード!」

一つ返事で、お伴する形で、中国本土に異動することになった。

中国本土(上海・広州)への連続異動 中国本土・・・はじめの6ヶ月間はもともとあった上海支社での勤務。

しかし、上海は20年間毎年、億の赤字を垂れ流していたいわくつきの支社だった。上海支社の経営陣と、丸々入れ替わる形で、入ったことになる。

最初のミッションは、上海支社のオペレーションを閉じて、新たに広州支社を立ち上げること。けれども、だからといって、営業&マーケティングには、売上・利益を上げ続ける。。。というミッションがあるため、準備中だからと・・・休まる日は無い。広州オペレーションの準備を整えながら、日々の売上・利益を獲得して行く。

幸いなことに、中国本土での人脈は、2003年〜2006年までの間に、香港から出張ベースで密かに構築済み。

香港出荷商品の売上・利益を昨対1,000%UPというような勢いで伸ばした直後だったこともあり、香港から上海支社に異動してすぐに、立て続けに2連チャンで、現地生産・現地出荷の商品を運良く大当てする。

さらには、上海テレビと協力して叩きだしたその実績を下に、中国珠海にて、中国中の13の主要テレビ局の局長、300社の流通業者、国家広電総局のトップを招待する前代未聞のセミナーイベントを実施。ロケットスタートの、広州オペレーションへとつなげる下地を構築することができた。

こういう形で、会社員としての仕事の方は、新しい世界で軌道に乗り始めた。

ただし、売上・利益のプレッシャー、新しいことだらけの日々、上海で昔から働いてくれていた、現地スタッフたちとの苦渋の別れ。物凄い精神的なプレッシャーがあり、タバコ・酒の量も増えた。

生まれてはじめての一人暮らしだったこともあり。体重がかなり減ってしまった。

周りからは、精悍になったと言われたが。中国本土での仕事で、実績を出す・・・ということは、こうして文章で書くと簡単だが、実際は、かなりの泥まみれ、汗と涙の毎日。

国のこと、国営企業のこと、お客様のこと、日本本社のこと、版権元のこと、現地社員のこと、、四方八方様々ことに気を配らなければならず。日々、当たり前のように発生する問題を、当たり前のように問題解決して前進しなければならず、物凄い労力だったのだ。

ちなみに、日本人の自殺者・病死の割合が一番高いのは、上海支社の支社長であるようだ。「自殺防止セミナー」のようなものが、上海にて日本主催で開催されていたのも、これは納得できる。

僕も精神的にはかなりきていたが、プライベートの仲間たちのお陰で、精神汚染、精神崩壊せずにすんだ。

プライベートの方では幸運にも、もと同じ香港支社での先輩だった、「タバコ部屋の続き」の会の玉利さんが、会社退社後、上海にいて。さらには、インターネット経由で知り合った上海居住の仲間たちが、「上海札束の会」として毎週土曜日喫茶店に集まってくれた。

上海は特に、日本人が沢山住んでいるのだ。「上海札束の会」の仲間たちとオフの世界でことばを交わす日々が、唯一の心の救いだった。

日本のWEBサイトが閲覧できない中国本土

公も私も、楽しかった香港生活とは一転。中国本土に移住して、とてもストレスに感じることは多々あった。

その中でも、特にキツかったのが日本のWEBサイトが見れないことだ。中国にはインターネットの世界に、『グレートファイアーウォール』という、情報統制のための鉄壁のファイアーウォールで包囲されていて。日によって、見れたり見れなかったりも多少あるのだが、閲覧できない日本のWEBサイトが多いのだ。

Google、YouTube、Facebookなどは絶対に閲覧できない。Yahoo!、まぐまぐ!なんかも日によって閲覧できない。

自分のWEBサイトも、日によって閲覧できない。そんな中、玉利さんに、ファイヤーウォールを突破する、「VPNゲート」というものを使用して海外のWEBサイトを視聴する方法を教わった。

同じ「VPNゲート」でも、日によって使えたり、使えなかったりがあるのだが、その都度、玉利さんや「上海札束の会」のメンバーたちと、情報交換しながら、ファイヤーウォールを突破して、日本のWEBサイト系にアクセス。サーバー世界での、真田孔明としての活動を、問題無く継続することができていた。

異国の地、上海での合計10名を超える、『上海札束の会』のメンバーとのオフの世界での日々の熱い語り合い。香港とはひと味も違う、公(会社)私(副業)ともに、充実した日々を送ることができた。

しかし、そんな日々も、長くは続かなかった・・・。なぜならば、僕が上海に滞在できる期間は、たったの6ヶ月間。

6ヶ月後には、新たに設立した、広州支社への転勤で、引っ越ししなければならなかったのだから。。

広州で孤独に陥り精神崩壊、あっさり挫折

上海での、サラリーマンとしての業務は、ストレスも凄かったけど、「上海札束の会」の仲間たちのお陰で、精神汚染・精神崩壊せずに、日々を過ごすことができた。

むしろ、充実した日々を送ることができていた。

しかし、中国広州に引っ越して来た後、僕を襲ったのは突然の孤独。サラリーマンとしての仕事の環境は、引き続きそれほど変わりないのだが、会社の外で周りを見渡しても、日々喫茶店にたむろい、日々熱く語り合っていた、「上海札束の会」の仲間たちは誰もいない。

僕は本来、かなりアナログ的な人間なので、真田孔明としての活動に必要な、日本の各WEBサイトにアクセスする際、ファイヤーウォールで閲覧できないことが増えた。

日本のWEB関係へのアクセス状況は、時期的なものなのか?上海に滞在していた時よりも、さらに状況は悪化。周りに誰もいないと、解決できないでそのままになってしまうのだ。

つまり、真田孔明としての活動に必要な、WEBサイト閲覧できない。。サラリーマンとしての仕事も、さらに苛酷になった。

何が辛いかというと、中国全土のテレビ局、全土の流通業者、顔が一気に売れすぎて、現地の方々に、飲まされる機会がとにかく増えた。結果として、酒浸りの毎日になる。

  • サラリーマンとしての仕事は苛酷
  • 私生活で仲間がいない
  • WEBサイト閲覧できない
  • 酔っぱらい
  • 一人暮らし

・・・もはや、真田孔明としての活動どころの騒ぎではなく、日々、いかに、生命維持をするかどうかを、再優先にするようになってきた。

文章を書いて、メルマガやブログで発行する気力もドンドンと喪失してしまった。サラリーマンとしての仕事に励み、凄い勢いで過去レコードを更新しながらも、心が病んでいった。

もしも、「上海札束の会」の仲間たちが、広州にいたとしたら、、僕は挫折することはなかったかもしれない。

けれども、僕は「孤独」に耐えられなかったようだ。精神汚染・精神崩壊。。

真田孔明の活動を、休止する結果になるまでに、それほど時間はかからなかった。。2007年、真田孔明サーバー世界から姿を消す。サラリーマンとしての、業務に集中することになった。

そして、次に姿を表わすのは、2010年の2月のことだった・・・。

中国広州で海外のWEBにアクセスする方法

2010年も引き続き中国広州・・・けれども、僕が真田孔明としての活動を復活でき年でもある。

キッカケは・・・。会社が57階に入っていた80階建てのビル「中信広場」すぐ目の前に、外資系の五つ星ホテルが、新たに誕生したからだ。

【帝】真田孔明復活のキッカケ『WESTIN広州』にあり

『THE WESTIN(ウェスティン)広州』

偶然にも、『WESTIN』のロビーラウンジで、Wifiに接続した時、気づいてしまった。なぜか、『WESTIN広州』からは、日本のWEBサイトを視聴できることに。恐らく、外資系のホテルには、外国人のお客様が多く来られるからなのか?

中国特有の「ファイヤーウォール」の影響をうけないようなのだ。

たとえば、普通ならFacebookは中国国内で閲覧できないのだが、『WESTIN』のwifiを経由すると、Facebookを閲覧することができる。Googleも、YouTubeも、閲覧OK。当然ながらYahoo!やまぐまぐ!自分のWEBサイトも!

その後、恐る恐る、再び「真田孔明」として、メールを配信して見たところ。。非常に沢山の仲間たちから、「復活おめでとうございます!」「待ってました!」・・・などと、メッセージや応援のことばを頂戴することができた。

とてもとても嬉しく、涙を流した。その瞬間、再び脳の中で、カチッと音を立ててスイッチが入った。

さらに、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年・・・広州支社での仕事を通して、サラリーマンとして、沢山の部下を持つようになっていたので、上海にいた頃のように、仕事を自分で全てやろうとするのではなく、より沢山の人の協力を経て前に進むことを実践の中で身に着けていた。

発想的にも、自分ができない仕事をすべて外注さんにお願いすることができるようになっていた。I.T.エンジニアの盟友、平城寿氏と巡りあったのも、外注さんを探すために、@SOHOを利用したのがキッカケだった。

真田孔明としての活動、完全復活。そこから2016年の今に至るのである。

ただし、残念なことに、真田孔明の活動が、勤務していた会社の中で、大々的にバレてしまい。辞めるつもりは一切なかった会社を、2010年12月をもって「円満退社」することになってしまったが。。これも命運だったのだろうと、受け止めることにしている。

「平城式2.0」のライブ配信のために『WESTIN』

中国広州では、かつて長年勤務していた場所ということもあり、「中信広場」近辺に滞在することが多い。

普段は「7天」という長ローカルの格安ホテル。もしくは、ちょっと豪華に、でも比較的安価な、なぜか建物金ピカの「市長ホテル」。

しかし、今回、誕生日の日は、リッチな『WESTIN広州』で宿泊することにした。家族でも宿泊したことがあるし、日本からの出張者の偉い人系が、よく宿泊していたし、会社の接待や、スタッフたちともよくレストランを利用したので、かなり詳しい。

このフィットネスジムが、プール&温泉ジャグジー含めて、かなり激アツなのだが。一人「WESTIN温泉」を、優雅に味わうために宿泊したのではない。

まあ、ジムで鍛えまくったし、プールで泳ぎまくったし、温泉もたっぷり味わったが。。

【帝】真田孔明復活のキッカケ『WESTIN広州』にあり

【帝】真田孔明復活のキッカケ『WESTIN広州』にあり

日本のWEBサイト、Facebook、YouTubeに接続しまくるためだ。「平城式2.0」の仲間たちを対象にした、「ライブ配信」・・・。

生放送イベントは、ネット環境が命。YouTube、Facebook、Skypeの3つのWEBサービスを、同時に活用しなければならない。

ファイヤーウォール突破の、「VPNゲート」も活用しているが、つながったりつながらなかったり。接続が超遅かったり。。「VPNゲート」を通しても、Facebookなどは、遅すぎてまともに接続できない。かなりストレスがある。なので、中国本土ではあまりFacebookを見ないのだが。。

つないだり、つながったりの状態で、平城さんと沢山の仲間たちとの「生放送」イベントを行うことはできない。

実際に「ライブ配信」を経て。。流石は『WESTIN広州』。。中国本土にいるとは思えないほど、滅茶苦茶スムーズに、YouTube、Facebook、Skypeを活用して、3時間以上のイベントを遂行することができた。

さすがは、真田孔明復活のキッカケをつくってくれた『WESTIN広州』である。さらに、今回、250を超える方々から、Facebookでメッセージを頂戴。

仮に外からでは、メッセージに返信するどころか、閲覧することもできなかった。『WESTIN広州』も、なぜかfacebookの個人画像とかが、表示されないのだが。それでも、中国本土のネット環境を考えれば、これほどまでに、海外サイトを閲覧できるのは本当にしあわせである。

今日はこの後宿泊無し。近所の日本料理レストランで食事をしながら、深夜まで『WESTIN広州』のロビー近辺に粘り、深夜3時のフライトで、再びマレーシアジョホールバルへ。

今回の「広州出張」の幕が閉じる。


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