幻の富と権力、地位と名誉
「僕はこの会社の部長になる!」
力強い決意を固めて、東証一部に上場している玩具企業に入社したはずだった・・・。
地方公務員教員職一筋の母、サラリーマン一筋の父。
一度も転職することなく、定年退職を迎える年以降も務め続けた両親の元で生まれ育った僕。
自分がサラリーマンとして歩み続ける道を、信じて疑うことは無いはずだった・・・。
元々大勢の人の上に立つのが嫌いな月財門の僕。社長になろうとか、役員になろうとかまでは、正直思っていなかった。
でも、サラリーマンとして上場企業に勤め上げ続けるためには、富と権力、地位と名誉を一度は獲得してみたい。
そのためには、最低限「部長」は目指さなくては・・・と強く思っていた。
けれども、毎朝早く起床、満員電車に揺られながら、定時に出社することが、当たり前の日常として感じはじめた頃。入社一年目の夏も終わりに近づいた頃、事件が発生した。
僕たち新人が配属された、事業戦略部の、課長・係長・主任が全員リストラされてしまった。イキナリ全く別の方々と総入れ替えである。
一体何が起こったのかと混乱するのは当然だった。長年勤めあげたサラリーマンにとって、リストラとは死刑宣告に等しい。
けれども、これは始まりに過ぎなかった。翌年、僕たち新人たちは各事業部署に配属された。
僕が配属されたのは、米国玩具企業とのコラボレーションを行う部署。新しく配属された部署の中でも、日常的にリストラの惨劇を体感することになった。
朝礼の司会:「今日は毎月恒例のお別れ会を・・・あ、失礼致しました。」
・・・という失言に対して、つい笑いそうになってしまったが、下を向いてこらえた。こんなふうに、毎月のように、先輩たちのお別れ会が催されていた。
なんと、全社員1,000人以下の企業で、一年間で社員の3分の1が入れ替わってしまったようだ。
その翌年には、別のゲーム会社との大規模な合併イベント。社名が変わった。
合併した後も、次から次へと、上司・先輩方が退社したり、二度と本社には戻れない、関連会社・小会社へと片道切符を手に異動して行く。
異動した先輩方の大多数は、30代後半~40代とかいう若さだった・・・。
「有名な上場企業に入社すれば、生涯安泰では無かったの?」
両親たちから聴いていた話とはあまりにも違う、サラリーマンとして直面した過酷な現実。
サラリーマン神話
- 右肩上がりの昇進、昇給
- 終身雇用
- 年金制度
・・・一体、どこへ行ってしまったのか?
会社に心臓を捧げる形で、長年真面目に勤務続けて来た、歴戦の戦士たちがアッサリと捨てられて行く。主任も、係長も、課長も、部長も・・・
どんなに優れた社内の肩書を持っていても会社組織の外に追い出されてしまえば。会社員としての地位も名誉も、権力も何も意味が無くなってしまう。残るのは、会社の中で働いていたという思い出だけ。
そんな中で僕は、サラリーマンの身でありながら、勤務している会社に内緒でもう一つの収入を得てしまう。そんな、「悪の道」に手を染めた・・・。
結局僕は、新卒として入社した会社に、約12年間勤務し続けた。しかし最後は、会社をクビになった。
会社の中では内緒にしていたはずの、もう一つの顔を持っていることが、社内中に、大々的にバレてしまった。
正確に言えば、「円満退社」だったので、クビとは言えず、自主退職なのであるが。「円満退社」とは、円満ではない退社のことを言う。実際は、選択肢は他には無い状況に追い込まれていた。
もしも、バレていなければ・・・
「もう一つの顔」を持っていたとは言え、会社を退社するつもりは全く無かったのだが。僕が持っていた、「この会社の部長になる!」という部分の目標は、達成することは無かった。
けれども、仮にあのまま、会社組織の中に残っていたとしても。果たして僕は、富と権力、地位と名誉を獲得することができたのだろうか?
いや、一時的には富と権力、地位と名誉を獲得できたとしても、仮にリストラされてしまったとしたら、次の日から、富と権力、地位と名誉は、剥奪されてしまう。
戦場で立ったまま死にたかった父
僕の父は、新卒で入社した、上場企業に、転職をすることもなく、勤め上げた。定年退職を迎える年以降も務め続けられるはずだった。
僕が幼い頃、両親と一緒にスキーに何度か行ったことがあるおじさん。父と同期入社の同僚。代表取締役社長に就任したこともあり。
プライベートでも仲が良かった父は、本社の役員・・・という形では無いが、マレーシア支社の社長。日本の某エリアにある支社の社長。主要子会社の社長職を任され続けるという幸運な道を歩いた。
同期入社の同僚が代表取締役社長である限り、定年を迎えた後も働き続けられることを約束されていた状態だった。
けれども、日本の某地区にある支社の社長をしていた頃。突然の心臓破裂で緊急入院した。
生存率10%の手術を運良く切り抜け。約1年以上のブランクを経て、会社に復帰する準備を整えていた時。
次はガンが見つかってしまった。その後も、入院と手術、退院と再入院を繰り返し。生きているのが不思議なくらい、体中にメスが入りまくり。最終的には職場復帰に関して、ドクターストップがかかってしまった。
「戦場で立ったまま死にたかった・・・」
父が悔し涙を流していた。
本社ではないが、幸運にも部下が沢山いる支社の社長職を続けることができた父。一度は獲得することができた、富と権力、地位と名誉。その感触を、忘れられなかったのかもしれない。
けれども、一度会社を離れてしまうと、富と権力、地位と名誉を再び味わうことはできない。誰もいない暗い家の中、衰弱しきった身体をいたわりながら暮らす日々だけが現実となる。
そんな父の様子を見た時と、僕の「副業バレ事件」が重なってしまっていた。だから僕は、サラリーマンとして、富と権力、地位と名誉の獲得を目指して生きる道は、ここで終止符を打とうと、覚悟を固めることができた。
こうして僕は、外の世界へ。「ひとり社長」の道を、探求する旅に出かけることになる。
確かに「ひとり社長」として生きる道には、大きな会社組織の中で、高みに君臨することで得られるような、富と権力、地位と名誉を味わうことはできない。
けれども、「ひとり社長」という道には、定年退職は無い。そして、活動の手を止めない限り、
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人・場所・時間に囚われない日々。
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社員を一人も雇わなくても、既存のビジネスを回すことができる。
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非労働集約型ビジネスの柱を構築することができる。
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一生自分についてきてくれるファンを獲得することができる。
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I.T.&文学の力を駆使することで異性からモテモテになる。
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「パソコン一台」だけで世界中を旅することも、家族との大切な時間を過ごすこともできる。
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自分自身の人生を通して、果たすことができる使命・役割「天命」を発動させることができる。
富と権力、地位と名誉とはまったく別の種類の、感動を味わい続けることができるのだ。
サラリーマンの父を持ち、サラリーマンを12年間経験した僕。そんな僕が、サラリーマン神話が崩壊した今。富と権力、地位と名誉を得るべく会社組織の中で昇る代わりとして、提案したいのが。「ひとり社長」として生きる道。
平城寿@SOHO 真田孔明@四柱推命鑑定士、今僕たち2人が、歩み続けている道なのだ。
かつて、「サラリーマン一筋」を目指していたから語れることがある。そんな想いを込めて、僕たち自身、それぞれが人生観を変えることになった「ひとり社長の戦略術」。10時間合宿として公開させて頂いた。
この合宿の中では、真田孔明が教わった、平城寿@SOHOのI.T.ツールで稼ぐ方法。
平城寿@SOHOが教わった真田孔明の文学=ライティングで稼ぐ方法。
I.T.ツールと、文学ライティングの融合的な活用方法を、ディープに解析。
僕たちがこれまで、「ひとり社長」として叩き出して来た実績の「裏舞台」を余すこと無く公開していくことになる。
「ひとり社長のための錬金術倶楽部」
https://hirajoshiki.com/renkin/
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…