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孔明毎日がフルボッコ!下積み時代の強烈な5人の師匠たち

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孔明毎日がフルボッコ!下積み時代の強烈な5人の師匠たち

今日のお話の目次
・サラリーマンは誰でもお金持ちになれる
・まぐまぐ!で狙った新着1位・総合10位
・香港1年目には既に営業&マーケティングプロ
・バカだ大学体育会出身「かしこさ0」だった頃
・かしこさゼロ!とにかく体力勝負で数こなす
・第一志望の事業部に行きたい!しかし
・トップマーケターのO氏が上司として降臨

・毎日パソコンでひたすら黙々と資料づくり
・恐怖で酒に酔えない病にかかる今なお・・・
・孔明人生初のマーケティング計画書
・米国産ミニカーを日本で販売する計画
・1店舗毎に着実に行列つくるの計
・イキナリで販売数量日本一の計!?
・大パニック!4,000名以上の群衆 VS 運営5名
・マーケターしながら営業同行本部商談

サラリーマンは誰でもお金持ちになれる

「サラリーマンは誰でもお金持ちになれる」。その中でも特に「営業マンは誰でもお金持ちになれる」。

2004年からネットを通して、僕が提唱し続けて来たことだ。

会社は辛い・・・

これは僕もかつて正社員のサラリーマン12年続けて来たので分かる。

けれども、ほんのちょっぴりだけ視点を変えると。お金をもらいながら、勉強・教育して下さる「おとなの学校」のような形になる。

僕が2004年ネットに足を踏み入れた初月からロケットスタートで稼ぎ始めることができた理由。

以降もずっと継続できた理由。

それは、僕が天才とかだったわけではなく、サラリーマン時代に上司先輩たちに徹底的に鍛え上げてもらった・・・という背景がある。

バカ田大学体育会出身の僕がゼロスタートでトップセールスになれたプロセスがあったため。再現できる根拠として第三者に教えることができたのだ。

大々的な副業バレ事件で会社を「円満退社」することになり、もう間もなくで10年。

そろそろ時効でしょう?ということで、真田孔明誕生秘話とも言える部分を公開して行こうと思う。

まぐまぐ!で狙った新着1位・総合10位

2004年8月当時僕は、メルマガ配信スタンド日本一「まぐまぐ!」からメルマガ「禁断の果実!営業マンは誰でもお金持ちになれる」を創刊。

当時の僕は27歳だけど既に営業&マーケの自称プロ。

当然ながらメルマガ一通目を発行した時には既に販売する情報商品があった状態。

「まぐまぐ!」での目標は、新着1位、その後に総合10位。

準備期間約3月間。

その間アフター5や土日の自由時間の全てを放棄し。睡眠時間を大幅に削りて黙々と取り組んだ。

入念に準備を整えた上で臨んだ。

最初の関門としては予定通りまぐまぐ!新着1位を獲得してスタートした。

日本で4年勤務した後、香港に転勤。転勤後2年目、つまり社会人6年目のはじめというタイミングである。

香港1年目には既に営業&マーケティングプロ

転勤1年目は、英語力TOEIC265点の状態で香港転勤。

孔明:「ナ、ナイストミートユー」

当時会社の上司だった現香港金融の達人玉利さんは、何でこんな英語全くしゃべれないやつが来たのか?青ざめたという。

しかしその後、たったの2ヶ月半後には一人で英語商談できるようになった。

これにはちゃんとやり方というものがあるのだが。今日は割愛しよう。

転勤の年、アジア担当地区の歴代レコード大幅更新トップセールスになり。本社でも表彰されるに至った。

当然である。

転勤1年目には既に営業もできるが、マーケティングもできる状態。

さらには、商品企画の要も理解している。

ドラクエで言うと、戦士と武道家のジョブスキルを上げて上級職のバトルマスターになった状態だったのだから。

副業は転勤後、約1年間お休みしてたが、日本時代にはなんと、営業&マーケティングのコンサルをやっていた。

・・・こういうことを言うと、やっぱり「孔明さんは天才なのでは?」と誤解されるかもしれないが全然違う。

全てに根拠がある。

今回は、20代で営業&マーケティングの自称プロを堂々と語れるようになった経緯をお話しようと思う。

バカ田大学体育会出身「かしこさ0」だった頃

バカ田大学体育会出身の僕。

入社時は当然、営業&マーケティングの知識ゼロ。

しかし2、3年後には営業&マーケティングを他人に教えられるレベルになっていた。

そのヒミツは日本本社で働いていた最初の3年間にある。

実はその3年間の中で、営業は会社一トップセールス3人組から教わり。マーケティングは、会社一トップマーケターから教わった。

しかも2カ月間だけであるが企画開発も巨匠から教わった。

しかもほぼ同時期に・・・。

何でそんなことになってしまったのか?

まずは入社1年目から。就職氷河期。日本で一斉に冷酷なリストラがはじまった時期。

体育会出身を武器に東証一部上場企業就職。最初の洗礼は入社1年目。

同期入社の新人ヒヨコ組たちが一つの部署に集められ市場開発担当として教育されながら、店舗回って末梢部から改革を行うという新しい試みが僕たちの代からスタートした。

課長、係長、主任、僕たち新人にいろいろとイロハを丁寧に教えて下さる。

しかし間もなくして突然3人ともリストラ。子会社出向、クビ、クビ・・・的な感じ。

配属早々に突然親を失いピヨピヨ大混乱する僕たちヒヨコ組。

直後に旧上司3人より若いが、超有能そうな営業マン4人が新課長、係長、主任2人(1人女性)が、上司として再配属された。

新課長は以前の課長と違い、直接僕たちヒヨコ組とはお話する機会は少ない。でも有能さはヒシヒシと伝わって来る。

係長S、主任K、主任S女性、元々トップ営業軍団。直近15年位の会社の礎を築いて来られた、歴戦の武将たちお客様からの信頼も絶大である。

僕らヒヨコ組に営業イロハ叩き込んで下さった。

「できる上司たちカッコイイ!僕もそうなりたい!」

素直に思える方々だった。

かしこさゼロ!とにかく体力勝負で数こなす

まず主任Sさんの傘下に入った僕。女性だが男以上に厳しく。営業のイロハを細かく教えてくださる。

当時体育会卒の僕は、飯食べること、筋力、体力、忍耐力しかなかった状態。

いつもやらかしまくっていて、ある日「横浜そごう」の売り場でSさんから平手打ちのピンタされたことも良い思い出、ありがたや!

お陰様で僕も段々と細やかに成長していった。

要領を得た僕は、「1日3店舗回れ!」と言われれば、「6店舗回る」。

「商品アイディア出せ!」と言われれば「毎週20」提出。

土日祝日の店頭実演販売では売り方の工夫をしながら店舗あたりの販売数量1位目指す。

偏差値高い優秀大学出身の同期たちと比べ、ただ一人バカ田大学体育会出身の僕。

「かしこさ0」なのでとにかく体力勝負で量をこなすしか無い。

「孔明、お前バカだけど・・・」

と言われながらも、次第に、課長と係長からも個別に声をかけてもらえるようになった。

しかし、ある日課長が上司達&ヒヨコ組全員が集まる会議の中、

「真田はこんなに頑張ってやってるぞ!」

みんなの前で言った。

同期たちは室内系が多かったのか?

毎日の売り場周りの中、色々な方から苦言を言われたり売り場づくりしたり、心身共に疲弊しまくっている状態。

真剣に日本一目指して取り組んでいた体育会卒業したばかりの僕にとっては、体力・気力まだまだ有り余ってる状態。

たまに、時間がある時にはキックボクシングジム行ったり、もう一つ内定もらった東証一部ゲーム系会社のアメフト倶楽部チームに所属もしていたので、プレイしに行ったりする余力が残ってる。

一人だけやり過ぎてたので、同期たちからかなり冷たい目で見られるようになり、友だちは確実に減った。。

体育会部活では練習しすぎて、同級生から冷たい目で見られることは無い。

しかし・・・。

大人の世界って難しいと思った。。

第一志望の事業部に行きたい!しかし

王道であるテレビ連動キャラクター商品の企画開発担当希望で入社した僕。当然、来年を見越して密かにアプローチを続ける。

各事業部の方からも可愛いがってもらえるようになった。

本社に戻った時には、タバコ部屋でプカプカしながら、色々な先輩たちとお話ししながら教わった。

「来年お前うちの事業部来いよ!」

しかし、なぜか営業マン系の方からしか声がかからない。。

それでも僕の希望は例の事業部の企画開発担当一択。

そろそろ入社1年目が終わりに近づこうとしてる。

2年目は市場開発担当を卒業し、各事業部署に再配属される。

希望は王道、キャラクター商品系事業部の企画開発担当一択。

そのために無い頭とセンスを振り絞って、商品企画提出し続けて、必死にアピール続けて来た。

そんな中、タバコ部屋で色々な事業部の先輩たちから、来季の人事にまつわる情報がチラホラと入って来た。

フライング気味に耳にしてしまったのは、来期の僕の人事情報・・・王道のキャラ商品事業部に行けるのか?ワクワク。

違った・・・。

I取締役が全く新しい事業部を立ち上げ執行役員としてGMに。

市場開発事業部で僕たちの先生やってた元トップ営業課長、主任2人の3人も同時に異動。

その新設の事業部に僕は、選ばれてしまったようだ。

「I取が真田の事、目をつけてたからな。」

密かにアピールを行っていたお目当ての事業部の方にまで言われてしまった。複雑な心境である。

トップマーケターのO氏が上司として降臨

新しく立ち上がった事業部。

日本の玩具メーカーと米国の玩具メーカーの業務提携に伴う新設事業部。

日本国内で米国ブランドローカライズ販売。配属先は企画開発担当になれた。

上司は企画開発の巨匠と、外資系から来た女性の方。

しかし英語が使えず企画開発のイロハを覚えたかな?と思ったタイミングで2ヶ月位で企画開発担当クビ。

そんな中・・・

「孔明、お前◯◯部のOさんにアイサツ行って来い!」

O氏とは、I取の懐刀と噂される職位はまだ主任だが伝説のスーパーマーケター。(※後に同社の最年少役員に出世)

1年目に営業のイロハを教えて下さった元トップ営業3人組、係長、主任2人は、同じ部署の営業の課長代理、係長、主任に職位を微妙に上がって配属。

しかしその3人が「孔明、お前恐らく死ぬな・・・。」

厳しくも賢い3人が、O氏は会社イチ怖い人だよと僕を脅す。

会社イチのスーパーマーケターのO氏が僕の上司主任として事業部に降臨されるようだ。

恐る恐るアイサツ行くと。

O氏:「お前が真田か!」

ギロっと睨まれた。僕よりも小柄だが物凄い気迫。声は甲高く力強い。

ゴゴゴ

巨大に見える。

スーマーマーケターO氏、携帯液晶ゲーム、スポーツ玩具、手掛けた商品は日本中で爆売。その数、どちらも4,000万個級。

携帯液晶ゲームの方は、僕も大学生時代に並んで買った記憶がある。

社内・社外企業両方でも超有名人。

にも関わらずなぜO氏の職位はまだ主任なのか?

実績の割には、職位が低すぎないか?

理由は怖く厳し過ぎて、部下がみんな死ぬから・・・

逃亡、うつ病、退社・・・。

バカにバカと言えて、アホにアホと言える。

怒鳴る!蹴る!

当時はそんな単語社内で存在しなかったが、今時で言う、パワハラが凄いようだ。

毎日パソコンでひたすら黙々と資料づくり

O氏は、超早口でも、一字一句間違えないで甲高い声で話す。何をやっても超細かい。

部会中も、年上・先輩・上司とか関係なく怒鳴る吠える。(ご本人は真剣なだけ)

独身男性であり人生全てを仕事に捧げている。

O氏配属後・・・。

O氏の仕事と頭の回転が早すぎて、毎日膨大な量の資料を作らされる。

僕の作ったエクセル資料に間違いが・・・

O氏:「テメェ何やってんだよ!」バカすぎる!」

部署内でO氏の甲高い声が響き渡る。元直上司トップ営業3人組にも同情されてしまう位。

ある日10冊の本を机の上にドンと積まれた。

O氏「真田、これ全部読んでこい!」

何やら「マーケティング」という概念を学ぶためのO氏厳選本のようだ。

積まれた本の1番上・・・

1冊目は簡単で読みやすい絵本のような本。

下に行くにつれてドンドン難しくなってくる。

一番下はわけの分からないこと書いてある経済学系の本。

7冊目くらいでギブアップした記憶があるが、あと3冊が何の本だったのか?

今になって知りたいが全く思い出せない。。

エクセル、ワード、パワポ。

毎日一体どれだけ沢山の資料をつくらされたことだろうか?

体育会出身の僕が、毎日パソコンに向かってひたすら黙々と資料を作ってる。

O氏は常にキリッとした顔で集中、パチパチ何かをやってるので僕も全く気を抜けない。

当然少しでもミスがあるとメチャクチャ怒られるので、目をこすりながら、確認しながら資料作り。

仕事だと思うと辛いので運動の練習とか筋トレの類だと思うことにした。

恐怖で酒に酔えない病にかかる今なお・・・

トップマーケターO氏、社外の人脈も凄い。

Pモンエグゼクティブプロデューサー他、業界で誰もが知るトップマーケター達。雑誌社、広告代理店、テレビ局。O氏にお供する形で、色々な方々とお会いした。

そんな中、人生初キャバクラ接待も体験。

しかし・・・

慣れない高級酒飲んで、酔っ払ってしまいフラフラになっていたら、思いっきりケツを蹴り上げられた。

O氏「テメエ、酔ってんじゃねーよ!」

それ以降、「酒に酔えない病」にかかり、43になった今なお続いている。(※後ほど中国本土で役に立った。。)

僕の、人生初のテレビ出演は子供向け人気番組「おはスタ」だった。

しかも緊張の生放送。朝4時頃入り、リハーサルは1回。すぐに生放送。

自分では抑揚つけて喋ってたつもりが、後で録画を視たら、トーンレスボイスになっていた。芸能人って凄いなと思った。

その週末に売り場で店頭実演販売イベントしてたら。

「あ!おじさん、おはスタ出てたでしょう?」

たった一人だけに言われた。記憶力良い子もいるものだ。

孔明人生初のマーケティング計画書

これまでトップマーケターOから怒鳴られながら教わった事を元に、自主的にマーケティング計画書を作って持っていった。

マーケティング計画書は何度も作らされてたので、そのフォーマットを真似る形で。

商品計画の方は、このミニカーに前の外資系から最も長く関わっている企画開発担当のFさんと練る。

営業側は1年目からの元直属の上司たち3人が中心、受注・出荷にまつわる細かい部分を指摘頂戴しながら。上司O氏からも厳しく細かく指摘受けながらもなんとOKが出て、次の部会で発表することに。

そして部会で企画が通った。孔明の人生初の「マーケティング計画書」が認められた瞬間。嬉しい!

米国産ミニカーを日本で販売する計画

対象商品は米国発のミニカー。これを販売するためのマーケティング計画。

鍵になる部分は、

  • 全国1,000店舗以上のFAX
  • コロコロ後ろの方のページのカラー広告(広告費高い)
  • コロコロ三行広告
  • マニア向けミニカー雑誌記事(広告費超安い)
  • 店舗加盟型の「コレクターズ倶楽部」

営業の方々が商談しても、「アメリカは売れない!」と、なかなか買ってくれない卸売問屋たちを完全に無視。

ユーザーと小売店舗のみに直接アプローチ。

企画開発、営業、マーケティング・・・。

人員はGMを務められるI取が社内中から集めた凄い御方々ばかりだが、部署が立ち上がって1年も経過していないので、脆弱利益部署であることには間違いない。

しかし僕の「マーケティング計画」なら超低予算で実現可能。見本市を期に、流通向け案内開始と共に全店舗FAX。

コロコロ三行広告開始。

どうなるのか?ドキドキ

日本でのミニカーの王様はライバルであるT社のミニカー一択。

米国のミニカーは日本では超マイナーだが、歴史だけは古い。しかし日本では、全く流通されてない。

しかし1年目に、売り場を沢山巡回している中で、並行輸入店にマニア向け商品として並んでるのを見たことがある。

店長:「これは、アメリカ好きな大人しか買わないよ!」

そこで、取り扱い店舗が圧倒的に少ないの逆手に取って。

「コレクターズ倶楽部」加盟店しか取り扱えない限定商品!という世界観にした。

事前の1,000店舗FAXの効果があり、後は僕が1年目に回っていた店舗の方々には直接電話を入れて。最初の見本市合計約100店舗が「コレクターズ倶楽部」に入会。(孔明の「倶楽部系」原点。笑)

この米国産のミニカー。米本国の開発商品だが毎月少しずつカートンの中身が変わって行く。毎月2種類のアソートが発売。

36個入ったカートンを2つ購入すると新デザインが全部揃うことになり、さらに、256分の1の確率で超レアカーが入っている。

一度生産終了後は、再生産二度と無し。ある意味全てが限定。

しかし、「コレクターズ倶楽部」に入会すると、毎月1口申込みで2カートンずつ自動的に送られる=お店は着実に2カートン確保できるよ!・・・という世界観で。

同時に、米国の古くからの歴史と限定とレアカーの世界観の詳細を、外資系の方から来られた企画開発担当のFさんが作成。

コロコロのちょっと高い後ろの方のページだけどカラーな広告欄に広告出稿。

マニア向けミニカー雑誌記事にも同じタイミングで。ページ下の方には「コレクターズ倶楽部」加盟店舗掲載。

ページ後ろの白黒ページに、小さく原宿K(店舗名)12月3日12時~新カートンRとL・・・というような怪しい暗号的な三行広告を打った。

そして「コレクターズ倶楽部」店舗に対して新アソートの商品出荷開始。

問屋さんに出荷日を確実にコントロールしてもらうため、営業の方々と一緒に、絶妙なタイミングで丁寧に行って行く。

1店舗毎に着実に行列つくるの計

コロコロ三行広告予告日時当日・・・。

早めに原宿Kに行くとなんと既に150人が行列。しかも、コロコロに出稿したのにちびっ子ゼロ全員おっさんず。

お店オープンと同時ミニカー36個カートン毎売れたりもする。店長もスタッフも驚く。

流石は営業の方、念のため社用車には沢山カートン積んである。

以降、日本の有名店のひとつでもある原宿Kでは大きな専用コーナー取ってもらうことになった。

「コロコロ三行広告&マニアミニカー雑誌広告&店舗ゲリライベント」

営業、問屋さんと一緒に、大きな有名玩具、小売店中心に、地道に繰り返して行く。

その盛り上がりの話題を元にFAXDMで全国小売店に流すと同時に、既存店には口数を上げるアプローチ。新規店には新規倶楽部入会のアプローチ。

営業の方々は加盟店から上がってきたFAX申込書元に、問屋と注文の商談つけて行く。

流れができた後は流石は歴戦のトップ営業の御方々、着実に遂行して下さり、当然ながら上増しして来られる。

月を追うごとに既存店の注文口数が増え、新規倶楽部店が増えていく。

毎月の出荷数量ベースが着々と上がって行く。

イキナリで販売数量日本一の計!?

実は業界の全てのメーカー、卸売、小売店が読む業者向け専門雑誌に、毎月掲載されている「POSデータ観測店集計」。

その、日本の全ての玩具の中でこの米国ミニカーが、数量ダントツ1位になってしまった。

当然である。

なぜなら、POS店中心に、この三行広告ゲリライベントを仕掛けていた。

営業の方々はそのデータを元に問屋さんに「倶楽部加盟店」増加協力を促すとともに追加注文を取っていく。

次の見本市、大量に倶楽部加盟店が増えてしまった。

倶楽部加盟店舗数が一気に拡大。

つまり、毎月の新アソートのカートン自動的な出荷数がドンドン増えていくという事。

一度増えたらなかなか減らない。

「インカムゲイン」の水準がドンドン上がっていく。

先々の売上・利益が読めるようになるため、その予算から逆算して、倶楽部加盟店に向けた、購入者に配る景品、限定下敷きポスターなどもつくって配布。

その景品も、コロコロとマニアミニカー雑誌に掲載してお客様を直接刺激する。

大パニック!4,000名以上の群衆 VS 運営5名

ある時、企画開発担当のFさんが米国本社に交渉して頂き、特別なケースに入ったオリジナルレアカーを数量限定でつくって頂いた。

Fさん:「孔明クン、コレ使おうよ!」

孔明:「良いですね!コレは!やっちゃいましょう!」

店頭小売希望価格はいつもの2倍。

それを盛り上げるべく、全国倶楽部加盟店で販売すると共に、横浜で毎年開催されている超マイナーなアメ車改造車ショーに出展することを決める。

グループ会社の自動車会社(こんな会社あったのか?)に、超安く買った中古カマロを真っ青に塗装して米国ミニカーロゴのステッカー貼ってもらう。

オリジナルレアカーと全く同じデザインの実物大アメ車を総予算100万でつくった。

以降、この左ハンドルのド派手なカマロが僕の専用社用車になった。

しかし高速道路でブレーキが効きづらいのが難点。笑

信号待ちで非常に目立ち、みんなジロジロと視て下さる。

フェラーリ乗ってる人ってこんな感じなのかな?と思った。

いつものように、コロコロ&マニアミニカー雑誌にゲリライベント告知情報含めた広告を出稿した。

まあ、イベント自体超マイナーだし来てくださるのは「200人位かな?」と思っていて、人員は、企画開発担当のFさんと誰か営業さん2名、僕、合計5名。販売ブースは問屋さんが直接担当。気軽な感じで現場に向かった。

ところが・・・

会場は、ヤバいことになってしまっていた。

な、なんと、4,000人規模の方々がイベント会場に押し寄せてしまった。

イベント主催者さんも「こんなの聴いてない!」と激怒している。

ちびっ子ほとんど無しおっさんずばかりのお客様方の軍勢は、イベント主催側=僕たちの手際の悪さにもっと激怒している。

当然だ・・・

4,000名をたった5名でさばくことはできない。

孔明:「押さないでください!押さないでください!」

群衆の先頭集団を力づくでブロックする僕、当時はベンチプレス150kg。この時ばかりは、アメフト7年やってて良かった・・・。

急遽、お休み中の事業部の皆さんに電話を入れまくり、来れそうな方々に来てもらい増員。営業さんと問屋さんたちも急いで商品を車で運ぶ手配をして頂く。

孔明:「押さないでください!落ち着いてください!」

群衆をブロックしながら叫べば叫ぶほど、激怒しながらも1人1台の限定ミニカーと1箱36個入りカートン2種をカートンごと大人買いされて行く。

営業&問屋さん方の神対応のお陰で、なんとか追加商品到着。(利便性良い横浜で良かった・・・)
 
結果的に物凄いカートン数が目の前で爆売して行った。

1イベント会場当たりの販売数量・金額、僕の人生の中での歴代レコードを叩き出した瞬間である。

イベント主催者さんたちからは怒られ、お客様たちからは怒られ、後で、上司のO氏にも物凄~く怒られた。

しかしこの時、「営業」とは違う、「マーケティング」という「兵法」の持つ力というものを、全身の筋肉痛を持って、体感することになった。

以降たまに、4,000名の群衆にもみくちゃにされる夢でうなされるようになったのは言うまでも無い。

マーケターしながら営業同行本部商談

玩具メーカーの営業活動の要はいかに大手チェーンに導入するかどうか?

トイザらス、イトーヨーカドー、JUSCO(現・イオン)、他。

本部商談にも営業の主任のKさん、問屋さんと一緒に、何度も同行商談、その時の僕は担当マーケターとしてマーケティング計画を説明する係。

「なるほど、営業の本部商談ってこうやってやるのか!」

良い経験をすることになった。

この活動を通して、一年目からお世話になっているトップ営業の3人から営業についても色々教わった。

こうして「コレクターズ倶楽部」加盟店舗数も一気に増加。事業部内の売上利益シェアも米ミニカーがダントツになった。

単価安いが数量にするとかなりの数量。毎月一度の全社テレビ朝礼でも取り上げられるようになった。

孔明が、マーケターになって成果が出た、はじめてのミリオンアイテムである。

短期間かつ初回で成功を収めることができたのは、当然ながら超厳しいトップマーケターO氏による日々のフルボッコ指導のお陰。

マーケターとして手掛けた商品が、ミリオンヒットと言うと聞こえ良いが、実際は日常的に僕の大小ヤラカシが多く。トップマーケターO氏トップ営業3人企画開発巨匠より、毎日のように厳しく叱咤激励を受ける日々。

上司が5人いる感じでO氏以外にも上下左右からフルボッコ状態だった。

しかし、アメフトで毎日何十回もタックルし続けるより体感的には痛くないので平気だった。

それ以上に、5人とも社内における歴戦の戦士・軍師・賢者オールスターたちなので、お話一つ一つに重みがありとても良い学びになった。

部署内には中途半端なレベルの若手社員は皆無だったし。日本本社勤務時代短期間で孔明が、無知で「かしこさ0」な体育会くんから、営業&マーケターとして超短期間で急成長できたのは、この5人の上司たちのご指導のお陰である。

さて、ミニカーの次はトップマーケターO氏によるガールズドール編。

こちらではマーケティング予算が大きいこともあり、僕主導ではなく完全にサポートスタッフとして、O氏の命令に従う立ち位置。

この活動でも、日本と世界の歌姫たち登用、カリスマアイドル109カリスマ店員・・・などと連動したマーケティング。

トップマーケターO氏と途中から入ったS先輩(後に逃亡・退社)と、3人で什器から何から手運びで超低コストで南越谷やお台場に女性向けドールショップ作ったり。

孔明が、営業&マーケティングを実行できるだけでなく、教えられるレベルになり、労働者(E)=サラリーマン労働経営者(S)=副業で無敗となった基礎となった下積み時代があった。

追伸

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