「ハワイ」という地は不思議である。
僕が拠点として住んでいるマレーシアジョホールバルとあまり変わらない気温、南国なのに。なぜか「ハワイ」の地に降り立つと、「気」の高まり方が違う。
僕が3歳のベビちゃんだった頃、両親に連れられて行った人生最初の海外旅行は「ハワイ」だった。
さらに、元アメフト部、新聞社に行った森くんと大学卒業旅行、パチスロで勝ったお金で、自力で海外旅行に行ったのも「ハワイ」だった。
なぜか身体が勝手に、「ハワイ」に動いてしまうのはなぜなのだろうか?
日本人にとって特別な認識力のある「ハワイ」
僕のおじいちゃんの時代から「ハワイ」は日本人にとって、特別な「認識」があるようで。1941年〜45年の太平洋戦争のキッカケも、ここ「ハワイ」でアメリカ海軍を攻撃したのがキッカケだった。
日本時間1941年12月8日(ハワイ時間12月7日)
アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機及び潜航艇による攻撃。
「ハワイ海戦」
日本軍による一方的な戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を一時的に喪失した。
日本がアメリカに戦争をしかけて、敗戦をして、アメリカのGHQの指導によって、大きく変化を遂げるキッカケとなったのが「ハワイ」ということになる。
勝利したアメリカがボス。敗戦した日本が子分。ボスであるアメリカ文化に憧れる戦後世代の日本が、身近なアメリカとして戦後認識して人気になったのが「ハワイ」。
自然の多様な景観、年間通して暖かな熱帯性気候、豊富な海浜と太洋に取り囲まれ、活火山の活動もある。
日本人が、日本語のまま、アメリカを感じられるのが「ハワイ」。「ハワイ」には、僕たちにとって、特別な「認識」が存在するようだ。
だから、僕たちは、「ハワイ」に降り立つと、不思議な「気」の高まりを感じるのだろうか?
ちなみに、「ハワイ海戦」は、太平洋戦争緒戦の南方作戦の一環として計画された。
イギリスの植民地のマレー半島のイギリス軍に対するマレー作戦に次いで開始された作戦。マレーシア-ハワイ。。。歴史を振り返ってみると、あの頃から日本にとって特別なつながりがあったようだ。
- イギリスに対してはマレーシア。
- アメリカに対してはハワイ。
なぜか僕は、かつての時代から日本人にとって特別な「認識力」のある南国ハワイ&マレーシア。2大地域を英霊たちに招かれるかの如く、フラフラと往復していることになる。
「気功」鍛錬でリアルに感じる「気」の高まり
「ハワイ」に来ると「気」が高まる・・・これは僕が日常的に行っている「気功法」の鍛錬をやっている時に改めてよく感じる。同じ「気功法」の鍛錬をやっても、なぜか「ハワイ」の方が「気」が高まりやすいと感じるのは不思議である。
今回も、「ハワイ 」に到着後・・・とにかくすぐに海パン一丁に着替え、全ての荷物を置いてビーチへ。「ハワイ」の青い海を見ながら、「気功法」を行った。
- 日頃のビジネスで蓄積して行く邪念を振り払うかの如く、瞑想30分間。
- 太極拳のような気功法を30分間。拳をゆっくりと降ろして地面につけるポーズの時、 アヒルがよって来て、僕の拳を食べていた。。。それを見て、日本人のちびっ子たちが 僕の周りによって爆笑していたが、僕の心は明鏡止水。
- たんとうこうと腎強化回転の気功30分間。。
- しめくくりは、気功法の呼吸や気のめぐりを維持させたまま、明鏡止水の心でゆっくりとあるき続ける30分間。
合計2時間の気功法トレーニング「ハワイ武者修行篇」を終了。マレーシア-シンガポール-日本-ハワイの長旅の疲れを超回復した。
ちなみに、途中、僕が砂浜でうずくまる形の気功法で鍛錬をしていると、上半身ハダカの白人男性が近寄ってきて「アーユーオーケー!」と優しく声をかけて来てくれた。
僕は頭を上げてニヤリとして、「アイムオーケー(-ω☆)キラリ」と微笑み返した。なるほど、これが本場ジェントルマン。。
「ゼニトルマン財門」の僕とは違う。男性の僕に対しても優しい、この優しさは格好いい!
ほんのちょっとだけであるが、ボーイズラブ系の気持ちが分かったような気もする。☆。゚+..。(感´∀`動)゚+..。*゚+☆
大富豪たちも「ハワイ」がお好き
これは僕の「認識力」によるものなのかもしれないが、ジョホールバルとハワイとでは、「気功法」の効率が違う気がする。
僕は「気功法」を各地でやっているが、「日本<香港<マレーシア<ハワイ」・・・といった感じである。
ただし、ハワイ=米国が良いというわけではないようで、昨年ロサンゼルスに行った時も、「気功法」をやってみたが、日本や香港とあまり変わらない「気」がした。
なぜだかはよくわからないけど、圧倒的に「ハワイ」なのである。
・・・でもこれは恐らく僕だけではないようだ。その証拠に、日本人大富豪の方々もとにかくハワイがお好き。
「地下ソサエティ」を通して、勉強させて頂いている北の物販大富豪こと、北野会長も「ハワイ」のアラモアナセンター目の前の高級コンドミニアムを所有。
第二の拠点を構えられて、年間の何分の1かを、奥さまと一緒にハワイで過ごされていらっしゃる。
このように、大富豪の方々も、「気」を補充するために、頻繁に「ハワイ」来られて長期滞在されている。
・・・直感力が、野生動物的に半端の無い北野会長も「ハワイ」を拠点の一つに選択されていらっしゃる。
やはり「ハワイ」には、特別な何かがあるようだ。日本と「ハワイ」の歴史を、もう少し遡ってみると・・・
『日本とハワイ』
- 1868年(明治元年):横浜から、日本人移民148名がハワイに移住。明治新政府はこれを公式に認めておらず、移民達はパスポートすら持っていない、いわば非合法状態であり、密出国というべきものであった。このときの移民はのちに「元年者」と呼ばれる。
- 1871年:日布修(ハワイ)好通商条約を締結。
- 1881年:カラカウア王が来日。明治天皇と会見し、明治政府との間で正式に移民協定が結ばれる。また日本にとってハワイ王朝は、不平等条約改正を約した初の外国。なおこの時、アメリカの政治的経済的侵略に危機感を抱いていた王は、カイウラニ王女と山階宮(後の東伏見宮依仁親王)との政略結婚によるハワイ王朝と皇室との間の関係強化および連邦制を提案したが、アメリカとの関係悪化を懸念する日本政府に断られた。
- 1885年:初の官約移民が日本からハワイに渡る。
- 1893年:リリウオカラニ女王が米国との不平等条約を撤廃する動きをみせると、これに反発したアメリカ人農場主らが海兵隊160名の支援を得てクーデターを起こし、王政を打倒して「臨時政府」を樹立。女王はイオラニ宮殿に軟禁される。この時、日本は国王派から依頼を受け邦人保護を理由に東郷平八郎率いる軍艦「浪速」他2隻をハワイに派遣。ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を威嚇。女王を支持する先住民らは涙を流して歓喜したといわれる。また、ハワイ在留日本人も女王支持派に同情的であった。
- (ハワイ共和国宣言)
- (米国との併合)
- (ハワイ人王制派が武装発起も米国による原住民の大虐殺後ハワイを完全制圧)
- (米自治領ハワイ準州となり、オアフ島パールハーバー(真珠湾)に大海軍基地が建設。)
- 1920年:オアフ島第二次大ストライキ。日本人労働者もフィリピン人労働者と団結し、活躍した。これはアメリカにおける日本脅威論形成の一要因になったともいわれる。
- 1924年:排日移民法の施行により日本からの移民は不可能になった。これまでに移民した日本人の数は約21万人にのぼった。
- 1941年12月7日(日本時間12月8日):大日本帝国海軍による真珠湾攻撃が行われ、アメリカと日本との間で開戦。
- 1959年8月21日:アメリカ50番目の州に昇格、本格的なリゾート開発が始まる。
・・・ということで、実は日本とハワイの関係は、約150年程度しか無いことになる。
けれども、その150年間の中での関係は、かなり濃密なようだ。
「ハワイ」は日本人である僕たちにとって、これからどのような「認識」を持つ地になって行くのだろうか?これから先100年を想像しながら、海を眺めるのも一向である。
『冬の蟻 ハワイの島で 浜に寝る』
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