公式ホームページ上のキャッチコピー
「O・MO・TE・NA・SHI」日本からアメリカへ。おもてなしの心を、今」をテーマに日本の現代文化と伝統産業、日本製品、日本的なサービス、最新テクノロジーの情報を、アメリカ市場を通じて世界に発信・紹介。
2日間の開催で2万人を越す来場者が予測されています。
・・・と、日本語のキャッチコピーとしては、かなり詰め込み過ぎたキャッチコピーからはじまる「JAPAN EXPO 2015」の紹介文が。元玩具会社の営業&マーケターとして、約12年間の間に何度も「EXPO」系のイベントに携わって来た僕としては気になったが。
これはあくまでも、ロサンゼルス在住の、米国人に向けたイベントなはずなので、恐らく英語版の翻訳だと、アメリカ人にはウける内容なのかもしれないが、定かではない。
本来、 チケット代大人20USD、子供10USDののイベントであるのだが。ミスターダイモンが入手したと言うので、ミスターダイモンの車に乗り込み、「JAPAN EXPO 2015」会場に向かった。
「JAPAN EXPO 2015」の会場である、ロサンゼルスコンベンションセンター(Los Angeles Convention Center)到着。
カルフォルニア州ロサンゼルスの中心部にある世界屈指の展示場である。
巨大な会場・・・当然ながら、ものすごく巨大な規模のイベントなのだと想像していたが、コンベンションセンター近辺に近づいても、会場案内のフラッグの類が全く無い。。
会場とか日付間違えたのか?などと話しながらも、会場の中の駐車場に車を停める。
ちなみに、米国はいたるところの標識や案内が不親切極まりなく、コンベンションセンターも同じく、駐車場から会場に入る誘導のサインなどは一切無し。。
米国人はみんな超能力者かニュータイプなのかと、思われる程全く会場入口が分からない構造に、迷いながらも、会場の外をぐるりと回って、ようやく入り口に到着。
恐る恐るコンベンションセンターの中に入ってみると。。。
孔明:「おおおお、あったー!」
「JAPAN EXPO 2015」の会場を見つけた。。。コンベンションセンターの隅っこのほうで、ささやかかつ小さな受付が。ミスターダイモンが手に入れた、チケットを受付に手渡し、パンフレットをもらう。
そして、会場に入ってみると・・・巨大なホールの中に。。。チョコンと10個位のブースとステージが、広い会場の真ん中の方にこじんまりと。
孔明:「こ、これが、「JAPAN EXPO 2015」。。汗 そして、これが有料!?汗」
イメージとのギャップに(イメージ=大きい、実際=小さい)少したじろぎながらも。すでに来てしまったので、最大限に「JAPAN EXPO 2015」を謳歌しようと、限りあるブースを丁寧に見まわった。
かなり、丁寧に見回らないと、5分で見終わってしまうからだ・・・。
「鎧のブース」ミスターダイモン、200万円すると言われる、武田信玄ゆかりの鎧の前でパチャリ。
ミスターダイモンが鎧との写真を楽しんでいると。その様子を見たアメリカ人さんたちが数名寄ってきて、「私達も写真を撮ってくれ!」という。
恐らく、アメリカ人さんたちは、ミスターダイモンを見て、ブースに訪れた日本の俳優、「西部警察の◯◯モン」だと、勘違いしてしまったのだろうか?
ミスターダイモン、それに応える形で、一緒に外国人さんたちと写真撮影。。ではなく、シャッターを押してあげていた。
その後、気が付くとミスターダイモンは、マッサージチェアに座って、マッサージをしていた。
日本では聴いたことの無い、メーカーのマッサージチェアだったが。 ブースの規模に反して、ステージショーはかなりしっかりとしていた。
僕が見た時には、3人の忍者たちが、太鼓のミュージシャン&DJの呼びかけに合わせて、ボールをリフティングし続けながら行う曲芸ショー。
「忍者+サッカーリフティング+太鼓+おちゃらけギャグ」
メチャクチャ面白いし、質が高い!
孔明:「うん、これは、お金を払ってくる価値がある!」
と心の奥底から思える高品質。
言葉の通じない、アメリカ人たちも、喜んで手を叩いて楽しんでいた。
「JAPAN EXPO 2015」は、ブースではなく、ステージショーを楽しむイベントだと思えば、かなりアリだと思う。
孔明:「もっと告知媒体は、ステージショーを中心にコンセプトを構築して、プロモーションすれば良いのに。。。」
・・・と、突然玩具メーカーの営業&マーケター時代の脳に戻ってEXPOの業者的視点で、批評をつぶやいてしまった。
いかにも日本というグッズが売ってあるお店を物色。ブース内に展示されている商品を見て回っていると。。。なんと、、、僕が中学校の時、幼なじみS氏と共に、毎日握りしめて青春を共に過ごしたなつかしい「やつ」に遭遇。
それは・・・剣道の竹刀。。。
手に取り握りしめた瞬間、あの頃が蘇ってきた。
凍えるような寒さの中、夜の神社の境内、S氏と合流した僕。粘土と電池を入れて13キログラムの重さに改造した竹刀。
中学生時代の孔明:「えい!やー!」
1,000本ノックならぬ、1,000本素振りを暗闇の中で遂行した。しかし、神社の神主さんが、新婚?だったようで、その後すぐさま追い出されてしまうのだが。毎日のように素振りに励んだ。
さらに僕は、毎週2回、港北警察署で開催されていた、剣道教室に通い。剣道の段保有者である、現役警察官にも稽古をつけてもらっていた。
月に一度位、警察の剣道教室で仲良くなった、隣の中学校の男子生徒と共に、県立武道館に趣き。5段、6段・・・剣道の強い神奈川県が誇る、超達人の仙人級の達人の方々が自由稽古をしている中に飛び込み、武者修行に励んだ。
「突き」の無い、中学生だった僕に対して、容赦なく突きが喉にくいこんだり、思いっきり斬りかかっても、軽くかわされてボコボコにされたりしても、めげること無く何度も立ち向かった。
読むのは、六三四の剣などは当然のこと、宮本武蔵、斎藤一、丸目永江・・・古の剣客・剣豪たちの伝説が語られた本。
そう、中学生時代の僕はかつて・・・なぜか一流の剣客を目指していたのだ。。
しかし、決してそれは報われることなく、、、逆に区の大会で二回戦負けとかになってしまっている程、試合で結果が出なかった。。
僕が殺すつもりで斬りかかっても、相手は軽く僕に剣を当てて来るだけで、痛くも痒くも無いのに、点が取られて負けてしまう。。。
剣道のこの矛盾に苦しみ、僕は中学3年間の卒業と同時に剣を捨て去り、僕が再び剣を握ることはなかった・・・。(S氏はその後も高校3年間剣道部やっていた。。)
中学3年生の最後の最後の方で、何かを掴みかけた瞬間はあった・・・。
もしかしたら、あのまま続けていたら、高校時代には開花したのかもしれないが・・・。
進学した私立の男子校で新たに巡り合った、カラフルな鎧に身を包んだナイトたちの集団。何度も高校日本一になっている屈強の集団。マッチョで屈強な肉体の猛者たちばかり。
ゾワゾワ・・・と来てしまい、剣道の事は脳裏から消えて、あっさりと剣を捨てた。。
中学3年間で、剣を通して鍛えまくっていたことが、高校時代からアメフト部に入る基礎筋力をつけていたことになっていたのだが。。あの時のトキメキがキッカケで、その後、高校・大学と7年間もアメフトをやってしまった。。その間、剣道の「け」の字も脳裏には出てこなかった。
そんな、一度は剣を捨て去った僕が、まさかロサンゼルスという場所で、再び中学校3年間励んだ剣道の竹刀を握ることになろうとは・・・。
竹刀を握った瞬間、S氏たちと過ごした3年間が走馬灯のように駆け巡り熱血漫画のように熱いものが込み上げて来そうになった瞬間。
突然声が大きく元気な、女性店員さんが、僕のところに寄って来て、僕から竹刀を奪い取り、
女性店員さん:「凄いわよこれは! ジャパニーズソード! エイ!エイ!」
・・・と素振りをして見せてくれた。
思いっきり竹刀の握り方も振り方も間違っていて、爆笑しそうになった瞬間。こみ上げそうになっていた、熱いものがどこかに消えた(笑)
うん。所詮僕は剣の道から外れた負け犬だ。気分を取り直して、
孔明:「すみません。これいくらですか?」
15USDだったので、何故かロサンゼルスにも関わらず、竹刀を買った。
孔明:「ビリーの一人息子 ニックにプレゼントしよう。」
・・・と考えたからだ。結論として・・・ミスターダイモンがチケットを入手してくれた
「JAPAN EXPO 2015」。かなり楽しむことができてしまった。
華僑大富豪ファミリービリーの息子ニックに竹刀をプレゼント
再び華僑大富豪ファミリーの息子ビリー48歳と再びロサンゼルスのパサデナエリアで会食。
前回ご馳走してもらったので、今回は僕がご馳走をする番だ。ただし、レストラン自体は、ビリーに選択してもらった。
バーベキューレストラン。
「JAPAN EXPO 2015」にて、15USDで購入した竹刀を、ビリーの一人息子(5歳)にプレゼント。
さらに、「竹刀」がどういう風に使うものなのか?
より理解を深めてもらうために、iPhoneでYouTubeを立ち上げて、「剣道」の達人の動画を見せた。すると・・・たまたまであるが、米国人たちが剣を振るっているシーンも登場。
さらに、どこから持ってきたのか、昭和の時代の達人の映像も。。ニックは竹刀を手に、大喜びをしていた。
すでに功夫(クンフー)は習い始めているので、「武器」であることを知ったニックは、レストランまでの道を竹刀を振り回しながら歩いていた。
路上で思いっきり「竹刀」を振り回しても、誰にも人に当たらないのは、さすが広大なアメリカと言ったところだ。
バーベキューレストランでは、カルフォルニアならではの、平城寿@SOHOと共に実際に現地を訪れたことの有る、ナパバレーのカベルネ・ソーヴィニヨンドメインを注文。
グラスワインで乾杯しながら、店員さんが運んでくる、焼きたての肉をほうばった。ビリーのお陰で、本場ラスベガスの夜を満喫することができた。
追伸
まさか、あの頃の夢がかなって、「剣客」を職業にすることができる日が来るとは・・・。
あの頃のように、木刀や竹刀ではなく、iPhoneを剣客の武器として、手にすることになったが。サーバー世界で繰り広げられている、株式市場という修羅の場で、繰り広げられている闘いの中で、敵をバッサバッサ。
金(カネ)を抜き続けている。
秘剣北野流居合抜き剣客に転職した真田孔明1ヶ月間の実録(PDF132ページ)
http://kita.sanadakoumei.com/doc/Report201508.pdf
あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…