1995: イリヤ・クーリック • 71: 伊吹武彦 • そして ありがとう!!! 33-34: 星野正三 • 羽生 結 弦 Nhk 杯 曲 more 名実共に世界王者であり、進化し続ける日本のTOPスケーター、羽生結弦選手の印象深いプログラム曲をご紹介します! 2018-2019シーズンのテーマは「原点回帰」。 2000: 田中総司 • 1990: イゴール・パシケビッチ • 36: 島川浩 • 2012: ハビエル・フェルナンデス • 2月に韓国・ソウルで行われたフィギュアスケートの四大陸選手権で、羽生結弦が優勝を果たした。今回使用した曲は「バラード第一番」と「seimei 次戦は11月のNHK杯を予定していたが、9日の大阪市中央体育館での公式練習にて4回転ルッツで転倒した際に負傷[268]。翌日午後に日本スケート連盟が「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」との診断結果を発表し、正式に欠場が決まった[269]。この時点でグランプリファイナル出場を逃すこととなり、史上初となる5連覇の可能性は消滅した[270]。, トロントに戻り、12月の全日本選手権への出場を目指して治療に専念したが[271]、骨と腱にも炎症があるなど回復が遅れ、練習を再開することができず断念[272]。18日に日本スケート連盟が正式に欠場を発表した[273][274]。引き続きリハビリを優先し[273]、全日本選手権終了時点の段階で、ジャンプ抜きの氷上練習を再開した状態にあると発表。逆算して回復が間に合う見込みであること、現世界ランキング 1位であり、規定に沿って正式に平昌オリンピック代表に選出された[275]。, 1月の四大陸選手権も回復優先のため回避し[276]、2月9日に開幕した平昌オリンピック団体戦への出場も「完全回復にあと1週間必要」とのブライアン・オーサーの判断により回避[276]。11日に現地入り後は慎重に調整。まだ日本勢が金メダルを獲得していない話を記者に向けられると「誰が(金メダルを)とろうが、僕もとります」と断言[277]。約4か月ぶりとなる復帰戦として、男子シングル66年ぶりの五輪連覇がかかる個人戦に臨む[278]。, 2018年2月16日、江陵アイスアリーナでショートプログラムに出場。4回転ループは回避するも[279]、演技後半のトリプルアクセルは、審査員全員からGOE満点の評価を得るなどすべてのジャンプを完璧に決め[280]、ブランクの不安を払拭する圧巻の演技を披露した[281]。自己ベストに肉薄する111.68点をマークし首位発進となる[282]。, 「痛み止めなしでは3回転ジャンプすら跳べなかった」という状態の悪さから、翌17日に行われたフリーのジャンプ構成は試合当日の朝に決断したという[283]。冒頭の4回転サルコー、続く4回転トーループでGOE満点を獲得する完璧な滑り出しで序盤のジャンプはすべて成功。長いブランクからスタミナが懸念された演技後半も、4回転サルコー - 3回転トーループの連続ジャンプを成功[284]。しかし続く4回転トーループでミスが出たため、その後のトリプルアクセルを2連続からトリプルアクセル - シングルループ - トリプルサルコーに切り替えリカバリーした[285]。最後の3回転ルッツも、体勢を崩しながらも着氷でこらえた[286]。大きなミスは1つにとどめ、フリーでは演技構成点トップ、技術点との合計206.17点は自己ベストにはおよばないものの、ショートプログラムとの合計317.85点と2位以下を10点以上離し、ソチオリンピックに続き2大会連続で金メダルを獲得。男子では1948年サンモリッツオリンピックと1952年オスロオリンピックを制したアメリカのディック・バトン以来66年ぶりとなる連覇を達成した。これを受け、バトンは自身のツイッター上で「ブラボー」と賞賛し羽生を祝福した[287]。, 冬季オリンピックの個人種目で日本人が連覇を果たしたのは史上初である[288]。また冬季五輪ではチャールズ・ジュートローが1924年に第1号獲得者となって以降、通算1,000個目の金メダルとなった[289][290]。25日のエキシビションでは「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」で大トリを務めた。男子シングルの金メダリストがオリンピックのエキシビションで大トリを飾るのは、2006年トリノオリンピック金メダルのプルシェンコ以来であり、日本人メダリストが最終演技者を努めたのは史上初となる[291]。被災地の復興の願いを込めた演技で大役を果たし、平昌オリンピックを終えた[292]。, 「この試合は勝たないと意味がないと思っていた」との覚悟に勝った偉業だが[293]、連覇にいたるまでの4年間は怪我や病気に苦しんだ。しかし「もし何もなくうまくいっていたら、たぶん金メダルをとれていなかった」とし、さまざまなアクシデントから学んだ経験を生かせた結果と総括した[294]。会見では痛み止めの服用なしではジャンプを跳べる状態にはなく、治療期間が必要と明かしたが[295]、日本に帰国後の3月7日に「右足関節外側靱帯損傷、腓骨筋腱損傷」との診断結果を日本スケート連盟を通じて発表。約2週間の安静と3か月間のリハビリ治療を要する診断を受け、2連覇がかかっていた世界選手権の出場を断念し、シーズンを終えることとなった[296]。3月2日、菅義偉内閣官房長官が国民栄誉賞授与の検討を安倍晋三内閣総理大臣から指示されたと発表[297]。, 今後は復帰を目指し治療に専念するとして、4月13日に開幕する自身初プロデュースの凱旋アイスショー『Continues ~with Wings~(コンティニューズ・ウィズ・ウィングス)』でも、トークのみで滑る予定はないと発表[298]。しかし公演初日に、安静期間を無事に終えて3月下旬から氷上練習を再開した旨を報告。ジャンプは跳ばないものの、サプライズで45日ぶりに氷上での演技を披露した[299][300]。4月22日に地元の宮城県仙台市でオリンピック連覇を祝う凱旋祝賀パレードが開催され、前回(2014年)を上回る、約10万8,000人(直近の仙台市の推計人口:108万3,148人(2018年4月1日時点)[301]の約10分の1に相当)の観衆から祝福を受けた[302][303][304]。今後は4回転アクセルへの挑戦を目標に掲げるも、次の北京五輪を目指すかとの質問への明言は避けた[305]。来季はなるべく多くの試合に出たいとしている[306]。なお欠場と棄権が続いたことから五輪以外の主要なポイントを獲得できず、2013年より保持し続けた世界ランキング1位の座から、約4年半ぶりに陥落することとなった。シーズン終了時点で3位となる[307]。, 6月1日に国民栄誉賞の授与が発表。仙台伝統の絹織物「仙台平」のはかま(人間国宝の甲田綏郎より贈られた[308][309])姿で授与式に臨み[310]、7月2日に首相官邸にて安倍晋三より表彰状と盾を授与された[311][312]。歴代27例のうち、冬季五輪の金メダリスト(冬季競技のアスリート)は史上初、また23歳での受賞は個人最年少となる[313][314][315]。受賞者に与えられる規定の記念品は「皆さまを代表しての受賞という気持ちが大きく、僕個人の気持ちはあまり出したくない」という羽生の意向で辞退となった[316][317]。受賞後は「ここまで切り開いてくださった方々がたくさんいる中で、代表として僕が頂いた」と感謝を述べたのち「この賞と、皆さまの期待とともに、これからも進んでいきたい」と語った[318][319]。, 五輪連覇を成し遂げたことで重圧から解放され、今後は自分のために滑りたいと[320]、新たなショートプログラムにジョニー・ウィアーの『秋によせて』を、フリーはエフゲニー・プルシェンコの『ニジンスキーに捧ぐ』をアレンジした曲を用い、プログラム名を『Origin(オリジン)』と名付けた[321][322]。自らの競技人生が終盤に差しかかっている実感があるとし[323]、幼少期に憧れたプログラムの曲を採用することで「自分の起源を感じながら滑りたい」と原点回帰を新たな目標に挙げた[324][325]。, 9月に平昌五輪以来の復帰戦となるオータムクラシック(カナダ)に出場。ショートはジャンプをすべて決め首位発進するも、スピンが条件を満たせず0点になるミスがあり[326][327]、翌フリーでも転倒と連続ジャンプにならないミスが重なり165.91点にとどまった。合計でリードを守り優勝したものの[328][329]、悔しい結果で逆に「自分の心のともしびに薪が入れられた」状態とし[330]、次戦までに「最短で強くなりたい」と悔しさをあらわにした[331]。, 11月にグランプリシリーズ初戦となる フィンランド杯に出場。「やっぱり試合で勝たなきゃ意味がない」と、要素を後半に入れ難度を上げたプログラム構成に変更[332][333]。4回転サルコーで4.30点の加点を獲得するなど、ルール改正後の世界最高得点となる106.69点をマークしショートを首位発進[334]。エッジ系のジャンプが入らないリンクに苦戦するも「スピードを落とすことで慎重に跳んだ」と対応力を見せ、フリーでは世界初となる4回転トウループ - 3回転アクセルの連続ジャンプを着氷させ190.43点をマーク[335][336]。合計297.12点と、ショート・フリー・トータルスコアのすべてで今季世界最高得点を獲得し優勝。シニアデビュー以来の鬼門となっていたGPシリーズの初戦を初めて制した[337]。, 11月16日よりモスクワで開催されたロシア杯に出場。ショートでは冒頭の4回転サルコーで4.30点の加点を得たほか、4回転 - 3回転トウループの着氷の詰まりを堪えるなど高い修正力を発揮[338]。演技点は5項目すべて9点台なかば以上が並び「この構成では実質ほぼマックスの得点だと思う」と自己分析する圧巻のノーミス演技で[339]、 フィンランド杯でマークした最高得点を更新する110.53点を叩き出し首位発進[340][341]。しかしフリーが行われる17日午前の公式練習で、4回転ループの着氷に失敗し転倒[342]。2017年11月の靭帯損傷以降、わずかな衝撃でも捻挫を起こすようになった右足首を再び負傷し[343]、医師より3週間の安静が必要との診断を受けた[344]。いま滑ると状態が悪化するため棄権を勧められたが、加療期間を計算すると年末の全日本選手権の出場も危ぶまれることから「何をしたくて、何を削るかを考えたうえで、今日しかないかなと思いました」と、自身のスケート人生のルーツと位置づけるロシアでの試合への出場を決断[345]。 1975: セルゲイ・ボルコフ • 1974: ロン・シェーバー • 2004: ジェフリー・バトル • 1980: アレクサンドル・ファデーエフ • 2006: 小塚崇彦 • 10: 中村健人 • 2013: ケヴィン・レイノルズ • 2016年9月30日にモントリオールで開催されたオータムクラシックのショートプログラムにおいて、国際スケート連盟(ISU)公式の国際大会史上初めてクリーンに成功させた(2016年10月2日、ローザンヌにて公式に認定)[88][89]。, 4回転ルッツは公式練習でも着氷していたが[90]、2017年ロステレコム杯のフリーよりプログラムに組み込み、公式戦初挑戦で成功させた。公式練習では4回転フリップにも挑戦している[91] が、こちらは試合に組み込む意向を示したことはない。4回転アクセルについては、幼いころに従事していた都築章一郎コーチからも「アクセルは王様のジャンプ」と教わった経験や、自身がアクセルジャンプを得意としていることからも思い入れが深く「将来的には必ず4回転アクセルを跳びたい」と常に語っている[92]。平昌五輪後の挑戦を示唆していたが[93]、2018 - 2019シーズンより実戦への投入を目標に練習中である[94]。, 4回転の連続ジャンプにも挑戦しており、[95][96]2017年国別対抗戦のフリーでは「4回転トウループ - 1回転ループ - 3回転サルコー」の3連続ジャンプを初めて成功させた[97]。 2018年フィンランド杯のフリーでは、こちらも史上初となる「4回転トウループ - トリプルアクセル」のコンビネーションを成功させている[98]。, 地元仙台市で長年阿部奈々美から指導を受ける。2012年よりブライアン・オーサーに師事[99]。トロントのトロント・クリケット・スケーティング&カーリング・クラブに所属し、オーサーをチームリーダーとする「チーム・オーサー」による指導を受けている[100]。ジャンプ担当はジスラン・ブリアン[101]。スケーティング担当はトレイシー・ウィルソン、スピン担当コーチはペイジ・アイストロップ、ショート振付師はジェフリー・バトル、フリー振付師はシェイ=リーン・ボーン、エキシビション振付師はデヴィッド・ウィルソン[102]。その他宮本賢二[103]など。, スケート靴の調整は、中学生のころから仙台市(現在はアイスリンク仙台隣接地)に工房を構える元コーチ阿部奈々美の夫の吉田年伸が担当している[104][105]。カナダに練習拠点を移して以降も、小包で送るか帰国時に持ち込んで調整を依頼しており、工房でも羽生専用の研磨機を用意して対応している[106]。, 1998年の長野オリンピックにおけるフィギュアスケート競技日本代表のうち、7人中4人(田村岳斗、本田武史、荒川静香、荒井万里絵)が仙台市の東北高等学校に在学中の高校生選手であり、かつ4人とも長久保裕の教え子であった[107]。これを発端に仙台でフィギュアスケートブームが起こる。長久保や4選手が所属するコナミスポーツクラブ泉のリンク(現・アイスリンク仙台、地図)で1999年に佐野稔が開催した子供スケート教室に姉が通い始め、この姉の影響により羽生も4歳でスケートを始めた[55][108][109]。同じダイエー系列の新松戸アイスアリーナが2002年1月に閉鎖になると、同アリーナを指導していた都築章一郎が仙台に移り、小学2年から小学6年まで指導を受けることとなる[110]。都築に個人指導を受けるようになったのは小学3年からだが、友達と遊びたい時期に練習ばかりがハードになっていったため、このときはスケートが嫌になり野球をやりたいとも言い出した。しかし「好きで始めたことに屈したくない」と練習を続け、翌2004年10月に初出場した全日本ノービス(Bクラス)で優勝。9歳で初めて金メダルを獲得した[111]。, 優勝した直後の2004年12月にホームリンク(七北田小から徒歩10分程度)が経営難で閉鎖したため、勝山スケーティングクラブ(地図)に練習拠点を移した。勝山は七北田小から道なりに約6キロ(渋滞がない早朝なら車で約15分だが、夕方ラッシュ時は30分程度)離れており、貸切時間もあまり取れず練習時間は一気に減った。リンクメイトの少年たちも何人も辞めていき、この時期に伸び悩むこととなり[111]、2005年はノービスBで2位、2006年はノービスAで3位となる[112]。都築は旧・東神奈川スケートリンク(横浜市)へ移籍となり、羽生とは離ればなれになった。2007年3月、閉鎖されたかつてのホームリンクがアイスリンク仙台として営業を再開すると、羽生も練習拠点を同リンクに戻した[111]。, 2007 - 2008シーズン、全日本ノービス(Aクラス)で優勝[112]。まだノービスの選手(中学1年)ながら全日本ジュニア選手権で3位となる。ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初[113]。, 2008 - 2009シーズンからジュニアに上がり、ISUジュニアグランプリ (JGP)に参戦。全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、初出場となった全日本選手権では出場選手中最年少ながら8位に入る。世界ジュニア選手権でも大会最年少(14歳3ヶ月)ながら12位となった。[要出典], 2009 - 2010シーズン、初戦のJGP トルン杯でJGP初優勝。続くクロアチア杯でも優勝し、JGPファイナルでは史上最年少(14歳)で総合優勝を果たした[注 3]。全日本ジュニア選手権では2連覇を達成し、全日本選手権ではショートプログラム13位から、フリースケーティングの演技後半に3回転アクセル - 3回転トウループ - 2回転トウループのコンビネーションジャンプを決めるなどして追い上げ、総合6位となった。世界ジュニア選手権ではフリースケーティングで大幅にパーソナルベストを更新して優勝。, 日本人男子としては初の中学生で、髙橋大輔(2002年)、織田信成(2005年)、小塚崇彦(2006年)に続く4人目の世界ジュニアチャンピオンになった[114]。2010年4月、私立東北高校に進学[115]。, 2010 - 2011シーズン、シニアデビュー戦となったISUグランプリシリーズのNHK杯で、フリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ4位に入賞。出場3回目の全日本選手権では4位となり、四大陸選手権の代表に選出された。2011年2月に開催された四大陸選手権ではショート、フリーともに自己ベストを更新する演技で、初出場で銀メダルを獲得。男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリストとなった。3月4日に宮城県知事を表敬訪問[116]、同日仙台市役所を訪問し四大陸選手権の結果を報告した[117]。3月7日には東北高校の壮行会にて四大陸選手権銀メダルの報告をした[118]。, 3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。地震発生時は仙台市のアイスリンク仙台で、先輩スケーターと貸切状態で練習中であり、四つん這いでスケート靴を履いたまま外へ避難した[119]。羽生本人や家族、阿部コーチやリンクメイトは無事であったが、同リンクは被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごした[120]。3月12日にはベガルタ仙台のホーム開幕戦のハーフタイムに四大陸選手権銀メダルの報告会と花束贈呈が行われる予定だったが[121]、試合と共に全て中止となった。震災で多くの死者・行方不明者が発生し、大勢の避難者が避難所生活をしているさなか「もうスケートなんてやってる場合じゃない」と毎日考えていたが、自身が在学する東北高校野球部が避難所でボランティアをしながら第83回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に出場し、3月28日の初戦を全力で戦っている姿をテレビで観て、スケートへの意欲を取り戻した[122]。羽生の練習場所を心配し、すぐに濱田美栄と田村岳斗が阿部コーチに連絡してきたが、かつて師事した都築コーチがいる旧・東神奈川スケートリンク(現・横浜銀行アイスアリーナ)で、地震から10日後に練習を再開した[123]。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の41日前に生まれた羽生は、4月9日に開催された兵庫県スケート連盟主催「東日本大震災チャリティー演技会 ~復興の街、神戸から~」に招待され、東北高校の先輩の田村・本田・荒川らと演技を披露した[124]。震災を経て、Twitterですぐにメッセージを送ったジョニー・ウィアーらや、ファンからの手紙、羽生の現状を伝えるメディアなど、さまざまな支えにより生きていることを痛感し「目標を掲げて、上を目指していくしか、自分にできることはない。そのために精一杯、やれることは全部やっていこう」と決心[125]。4月からは、テクノルアイスパーク新井田(青森県八戸市)を仮の拠点とし、復興支援目的のアイスショーへ多数出演して各地を転々としながら練習を続けた[120][126][127]。7月24日、アイスリンク仙台が営業を再開したため、羽生も拠点を戻した。, 9月にはネーベルホルン杯に出場し、シニアクラスの国際大会では初の優勝を果たす。ISUグランプリシリーズでは中国杯で4位に終わるも、続くロステレコム杯でグランプリシリーズ初優勝を果たし、ISUグランプリファイナル進出を決める。初のISUグランプリファイナルでは、総合得点でパーソナルベストを更新するが、1.73点の僅差で表彰台に届かず4位となる。全日本選手権では、ショートプログラムで4位と出遅れたが、フリースケーティングで1位となり総合3位、これにより自身初となる世界選手権代表に選出された。, 世界選手権のショートでは7位発進と出遅れる。しかしフリーでは中盤繋ぎの部分で突然転倒するアクシデントを起こしながらも、エレメンツはパーフェクトにまとめて巻き返し、2位まで追い上げる[128]。この結果、総合で3位に入り、初出場で銅メダルを獲得[129]。特に技術要素点ではパトリック・チャンや髙橋大輔らを上回る同大会最高の点数をマークした[130]。17歳3か月でワールドメダリストとなったが、これは日本男子史上における最年少記録となっている[注 4]。, 2012年の4月にコーチをブライアン・オーサーに変更。夏からはオーサーの指導拠点となるクリケット・クラブ(Toronto Cricket Skating and Curling Club、地図)があるカナダ・トロントに渡り練習を開始した[131]。羽生自身はオーサーの師事を決めた理由として、同じくオーサーの指導を受けることで4回転ジャンプの精度が上がったハビエル・フェルナンデスに着目し「自分の最大の武器である4回転が安定すれば、スケーティングや表現力など、ほかの部分も上達するチャンスが出てくると考えました」と語っている[132]。 1985: ブライアン・ボイタノ • 2007: スティーブン・キャリエール • 1983: クリストファー・ボウマン • 64: 守永勝利 • 1982: スコット・ウィリアムズ • 1985: エリック・ラーソン • 羽生 結 弦 ショート ケーキ ティッシュ ケース 平昌五輪フィギュアスケート男子の羽生結弦選手(23)が2月11日、いよいよ現地入りし、12日には練習リンクでの姿が放映されました。 !” – YouTube, また、「夢に届くキセキ」は以下よりmp3ファイルを無料でダウンロードすることができます。 2010: トマシュ・ベルネル • 56: 岩田俊彦 • 95: 本田武史 • 19: 鍵山優真, 91: 該当者なし • 92: 荻原健司 • 93: 河野孝典、荻原健司 • 94: 荻原健司 • 95: 該当者なし • 96: 該当者なし • 97: 船木和喜、清水宏保 • 98: 該当者なし • 99: 該当者なし, 00: 野村忠宏、田村亮子 • 01: 該当者なし • 02: 該当者なし • 03: 該当者なし • 04: 柴田亜衣、体操男子団体日本代表 • 05: 該当者なし • 06: 該当者なし • 07: 該当者なし • 08: 北島康介 • 09: 該当者なし, 10: 該当者なし • 11: 該当者なし • 12: 吉田沙保里 • 13: 内村航平 • 14: 伊調馨 • 15: 髙梨沙羅 • 16: 内村航平 • 17: 羽生結弦、高木美帆 • 18: 小林陵侑19: 桃田賢斗, 91: 荻原健司、河野孝典、三ヶ田礼一 • 92: 古賀稔彦 • 93: 浅利純子 • 94: 阿部雅司、河野孝典、荻原健司、荻原次晴 • 95: 田村亮子 • 96: 恵本裕子 • 97: 該当者なし • 98: 船木和喜、宮平秀治、原田雅彦 • 99: 篠原信一, 00: 高橋尚子 • 01: 立花美哉、武田美保 • 02: 北島康介 • 03: 鹿島丈博 • 04: 野口みずき • 05: 荒川静香 • 06: 安藤美姫 • 07: 浅田真央 • 08: 北京五輪ソフトボール日本代表(斎藤春香、染谷美佳、江本奈穂上野由岐子、坂井寛子、峰幸代、乾絵美、西山麗、三科真澄、藤本索子廣瀬芽、伊藤幸子、佐藤理恵、狩野亜由美、山田恵里、馬渕智子) • 09: 浅田真央, 10: 吉田沙保里 • 11: 内村航平 • 12: 内村航平 • 13: 羽生結弦 • 14: 内村航平 • 15: 世界体操選手権男子日本代表(内村航平、田中佑典、加藤凌平、白井健三萱和磨、長谷川智将、早坂尚人) • 16: 伊調馨 • 17: 小平奈緒 • 18: 大坂なおみ • 19: 渋野日向子, 1996年(平成8年):渥美清1998年(平成10年):吉田正1998年(平成10年):黒澤明2000年(平成12年):高橋尚子2009年(平成21年):遠藤実2009年(平成21年):森光子2009年(平成21年):森繁久彌2011年(平成23年):ワールドカップ日本女子代表2012年(平成24年):吉田沙保里, プルシェンコは、2012年に「彼を見ていると昔の自分を思い出す。まだ17歳だが、私が見る限り彼がナンバーワンだ。」と語り、2014年, 後のインタビューで、「絶対に王者になるんだ」の言い間違いだが、「言ってしまったのは事実だから、自分の言葉に近づけるよう努力するしかない」と発言している。, みやぎニュースクリップ/知事表敬訪問(宮城県メールマガジン「メルマガ・みやぎ」第354号), 「羽生選手、初映画 若きお殿さまに 地元・宮城舞台の時代劇」(朝日新聞 2016年2月4日号), フィギュアスケート:強化選手 羽生 結弦 | 公益財団法人 日本スケート連盟 - Japan Skating Federation, https://www.shinshokan.co.jp/book/4-403-32026-0/, https://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/bookview/978-4-575-30104-5.html, https://number.bunshun.jp/articles/-/823026, BestemyanovaとBobrin:私たちの劇場では、人々を共感させます。2013/4/11, 「CAMPUS NOW 」 No.237 2020年10月 巻頭インタビュー 羽生結弦「特集 未来を拓く、早稲田の研究力 」, https://hochi.news/articles/20201108-OHT1T50272.html, 羽生結弦選手に国民栄誉賞 個人最年少、フィギュアで初 復興相から特別感謝状贈呈2018年7月2日朝日新聞, The Inside Edge: Yuzuru Hanyu is the greatest figure skater of all time, 羽生結弦が「一番、影響を受けた先生」が教え子にエール「自分のために頑張って」2018年2月16日, https://www.nikkansports.com/sports/news/202011080001497.html, フィギュア界でも活況。マスクトレーニングのルーツは?~火付け役は羽生結弦、さらに辿っていくと……。2016年3月1日 numberweb, 【全文】羽生結弦「嫌われたくないってすごい思う」 金メダル獲得後の記者会見で漏らした本心, ユヅくんお守りは「アポログラフィティ」 - 音楽ニュース ... - 日刊スポーツ, 羽生結弦“お気に入りソング”音楽配信サイトで上昇「ワンオク」「陰陽師」和田光司さんの名も, https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-102207-6, 羽生結弦、「あさイチ」登場にファン大興奮! ファクス6800通超、ツイッター「実況」も盛り上がる, 【平昌五輪】羽生結弦、偉業支えたアニメソングなどラジオで熱いトーク披露 素顔に共感広がる, 羽生結弦、心の支えとなっていた曲ベスト3を明かす。3位は阿部真央、2位はBUMP、1位は?, 羽生世界記録再更新の要因 ジャンプの質向上、演技点も上乗せ(2015年12月13日), Yuzuru Hanyu (JPN) performs first clean quad loop in competition, http://top.tsite.jp/news/geinou01/i/25109705/, https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/03/13/kiji/K20100313Z00001940.html, http://web.archive.org/web/20110312232433/http://www.kahoku.co.jp:80/news/2011/03/20110308t14020.htm, 【J1第2節名古屋】 フィギアスケート羽生結弦選手 花束贈呈&銀メダル報告会のお知らせ, https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000188919, https://web.archive.org/web/20140214204351/http://sankei.jp.msn.com/sochi2014/news/140215/soc14021503430005-n1.htm, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/02/15/kiji/K20140215007593130.html, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/02/15/kiji/K20140215007592550.html, Hanyu wins figure skating gold; Jason Brown 9th, Yuzuru Hanyu of Japan Wins Men’s Figure Skating Gold, 「すべての出来事がマイナスだけじゃない 僕の好きなスケートを滑れる 幸せなシーズン, 羽生結弦、322.40点の世界最高得点で優勝「絶対王者だと言い聞かせながらやっていた」, 羽生結弦選手(人間科学部通信教育課程)が、4つの4回転ジャンプを成功させ、321.59点で優勝しました-フィギュアスケート世界選手権, Dazzling Free Skate Lifts Yuzuru Hanyu to World Title, 羽生、人類初の4回転半も不可能と感じさせない進化!フリー後半で史上初となる4回転3本成功/フィギュア, 「ブラボー、羽生!」66年前五輪連覇のバトン氏が羽生結弦に脱帽 「記録は並ばれるためにある」, http://www.sankei.com/pyeongchang2018/news/180217/pye1802170052-n1.html, トップコラムコラム詳細 大舞台で際立った羽生結弦の“人間力”「自分との戦いに勝ち」偉業を達成, <羽生結弦>国民栄誉賞授与式で着用「仙台平」に熱視線 製造元や百貨店に問い合わせ多数, <羽生選手に国民栄誉賞>「心を一つにする存在でありたい」感謝と自覚忘れぬ謙虚さ原動力, フィギュアスケートGPシリーズ第3戦-「勝たないと意味がない」ヘルシンキ大会で羽生結弦がルール改正後の世界最高得点となる合計297.12点で優勝, 羽生結弦、“鬼門”初戦で世界最高V…4回転半ジャンプ挑戦も視野「新しいスタートが切れた」, 羽生、4回転サルコーで驚異の出来栄え4・30点「ノーミスと言っていい出来」/フィギュア, 羽生GPファイナル欠場も、全日本も「厳しい」 負傷の右足首「3週間は安静」松葉杖も, <羽生結弦>「状態は100パーセント」「勝ちたい欲求に素直に」(2019年3月20日)河北新報, 羽生結弦、復帰戦SPは3位発進 宇野は6位、チェン圧巻演技で首位 フィギュア世界選手権, 【フィギュア世界選手権】羽生300点超えも2位 ネーサン・チェンが圧巻の演技で連覇, 羽生、4回転全6種コンプリート宣言「アクセルもルッツもフリップも頑張ります」/フィギュア, 羽生結弦、古傷の右足首痛の為2ヵ月間痛み止めを服用して世界選手権に向けて練習していた, 日本スケート連盟は羽生結弦は2.3ヶ月の加療が必要と診断名を発表2019年3月29日, 羽生、羽生結弦と一問一答「ノーミスしたかった」「スケート奥深い」2019年09月14日 05:39 フィギュアスケート, 五輪サイト、「羽生結弦は堂々とシーズンを初戦を制した/フィギュア2019/9/15 12:34, 羽生結弦、北京五輪へ初言及「そのままやっていたら出ます」4回転半跳ぶ「見とけ、世界!」2019年9/16(月) 6:06, 羽生結弦V 4回転半の先に北京五輪「そのままやってたら出ます」2019年09月16日 05:30 フィギュアスケート, 羽生に聞く 4回転半のために生きるとは「修行僧みたいな感じ」2019年09月16日 05:30, 羽生、今季世界最高でSP首位発進 冒頭4回転サルコー成功「達成感を感じられたことは幸せ」(2019年10月27日)スポニチ, 羽生結弦 重圧に勝って自己新322・59点「久しぶりに心の中から自分に勝てたな、と」(2019年10月27日)スポニチ, 羽生結弦「自分に勝てた演技」スケートカナダ初V(2019年10月27日)日刊スポーツ, 羽生雄叫び「勝ったー!」 自己ベスト322・59点でスケートカナダ初V(2019年10月27日)スポーツ報知, 羽生結弦、圧巻V「久しぶりに心の中から自分に勝てた」4回転アクセルも「入れたい」(2019.10.27)デイリー, 羽生結弦、SP109.34点 2位と大差の首位発進も「もうちょっとできるところがあった」2019年11月22日 スポニチ, 羽生結弦、ただ1人の100点台で首位発進も「正直ちょっと悔しい」2019年11月22日 スポーツ報知, 羽生結弦、2戦連続300点超えでファイナル!「奪還したい」プルシェンコ金メダルの地で史上初の5度目Vだ(2019年11月24日 スポーツ報知), 羽生「記憶」より「記録」ファイナル奪還へ闘志「勝つことに意味がある」2019年11月24日スポーツ報知, 羽生結弦「そこはちょっと控えたいかなと」一問一答(2019年11月24日12時51分)日刊スポーツ, 羽生結弦SP2位「自分の実力不足」コーチ不在も言い訳せず2019年12月06日スポニチ, 【羽生結弦と一問一答】「かなり実りのある試合にできた」「楽しみながら強くなっていきたい」2019年12月07日スポニチ, 羽生、4回転半“初披露” 史上最大逆転Vへ 首位チェンに練習からプレッシャー2019年12月07日スポニチ, 羽生結弦が“世界新”110・72点で首位発進「ホッとしています」(2019/12/20)スポニチ, 羽生、限界突破!“世界最高”110・72点 SP「満足」首位発進 5度目頂点へ22日フリー(201912/21)スポニチ, 2位の羽生結弦(日に日に劣化していく感じ)過密日程で調整難しく(2019/12/22)スポニチ, 羽生、SP歴代世界最高111・82点!圧倒的首位発進で“スーパースラム”に大きく前進, 羽生結弦選手が四大陸フィギュアスケート選手権で優勝し、スーパースラムを達成 (2020年2月14日), 羽生結弦が男子初「スーパースラム」達成!