千と千尋の神隠しは、金曜ロードショーの定番映画ですよね!半年に1回のペースでも飽きずに見れそうです笑!さて今回は、映画「千と千尋の神隠し」に登場する「ハク」の名前と、その漢字について紹介をしていこうと思います!!ハクの名前ってなんか長くて難 千と千尋の神隠しには個性的なキャラクターが登場します。とくに、1回では聞き取れないような難しい名前もあります。特に「ハク」のことが気になる人が多いようです。 この記事では、そんな気になるキャラクターや登場人物について紹介していきたいと思います。 最大50個の名言がランダムで表示されます。 お好きな名言・名セリフをタップ・クリックしてご投票 ください。 良いセリフがなければ、お手数ですがページのリフレッシュをお願い致します。 この記事では、"千と千尋の神隠し"の名言・格言を集めてみた。日本だけでなく世界でも愛され、ジブリの代表格ともいえるこの作品・"千と千尋の神隠し"。ちょっと怖くて気味もわるい、しかしそれ以上に心を温かくしてくれるこの名作の名言たちを、どうぞご覧あれ。 千と千尋の神隠しの このネズミちゃんと上の烏?みたいなハエ? 神隠しにあった千尋が契約書に名前を書き間違えた理由考察. 千と千尋の神隠しの釜爺の正体やモデルについて調べました。 実は優しい釜爺の素顔や、意外な名言も含め、全てを見ていきます! 記事は下に続きます。 Contents1 千と千尋の神隠し釜爺の正体について考察1.1 釜爺のモデ … スタジオジブリの大ヒット映画『千と千尋の神隠し』が、初の舞台化をすることがわかった。 同作は国内興行収入は316億8000万円で、昨年『鬼滅の刃』に抜かれるまで、歴代1位をキープしていた。 天孫降臨以前に地上に降り、大和地方を支配していたが、神武天皇の東政に際して降り、その巨下となったといわれる。物部氏の祖神とされ、祭神とする神社もいくつかある。 ちなみに、『もののけ姫』のアシタカヒコは、饒速日命の一族である「長髄彦(ながすねひこ)」に由来する。 なぜ、 饒速日命(にぎはやひのみこと)は長髄彦(ながすねひこ)を裏切ったのか 金曜ロードショーで放送されていました。歳を重ねてから見るとまた違う印象でした・・・。 『千と千尋の神隠し』 2001年に公開されたスタジオジブリ制作による日本の長編アニメーション映画。監督は宮崎駿さんで、日本における歴代興行収 ジブリ作品の中でも大ヒットを記録した『千と千尋の神隠し』には千尋という主人公が登場します。千尋は不思議な世界に迷い込み、ハクと出会います。異世界で暮らすことになった千尋には、モデルになった人物や名前に関する考察がたくさんされています。 https://www.afpbb.com/articles/-/3234136?cx_amp=all&act=all, 【中国映画コラム】「千と千尋の神隠し」中国大ヒットのポイントは“18年前の旧作”という背景, 中華娯楽週報 第65回:18年遅れの中国劇場公開でジブリ旧作が興収1位に!宮崎駿の圧倒的人気と海賊版の役割を解説(上)─「映画チケットを買って宮崎駿に恩返し」するチャンスは、ついに訪れた, https://web.archive.org/web/20121115233335/http://www.47news.jp/CN/200301/CN2003012701000123.html, http://www.videor.co.jp/data/ratedata/junre/04movie.htm, https://web.archive.org/web/20140725053103/http://www.47news.jp/CN/200212/CN2002120301000194.html, http://www.zakzak.co.jp/geino/n-2002_07/g2002072310.html, http://av.watch.impress.co.jp/docs/20020723/buena.htm, “「千と千尋の神隠し」が7月16日にBlu-ray化。7,344円、MGVC対応。”, http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20140401_641458.html, “【買っとけ! 千と千尋の神隠し ジグソーパズル300ピース【花咲く庭を】300-416 価格: 1600 円(税抜) 千と千尋の神隠し ジグソーパズル300ピース【本当の名前】300-298 『千と千尋の神隠し』(せんとちひろのかみかくし)は、スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画。監督・原作および脚本は宮崎駿。興行収入は合計316億8,000万円[5][* 2]。, 制作のきっかけは、宮崎駿の個人的な友人である10歳の少女を喜ばせたいというものだった。この少女は日本テレビの映画プロデューサー、奥田誠治の娘であり、主人公・千尋のモデルになった[9]。企画当時宮崎は、信州に持っている山小屋にジブリ関係者たちの娘を集め、年に一度合宿を開いていた。宮崎はまだ10歳前後の年齢の女子に向けた映画を作ったことがなく、そのため彼女たちに映画を送り届けたいと思うようになった[10]。, 2001年(平成13年)7月20日に日本公開。興行収入は300億円を超え、『タイタニック』(1997年)を抜いて当時の日本歴代興行収入第1位[11]を達成し、2020年に『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』が記録を更新するまで、20年近くにわたり首位記録を堅持した[12][13]。第52回ベルリン国際映画祭では『ブラディ・サンデー』と同時に金熊賞を受賞した[14]。宮崎の友人である映画監督ジョン・ラセターの尽力によって北米で公開され、第75回アカデミー賞ではアカデミー長編アニメ映画賞を受賞した[15][* 3]。, 2016年のイギリスBBC主催の投票では、世界の177人の批評家が「21世紀の偉大な映画ベスト100」の第4位に選出した[16]。, 2016年に行われたスタジオジブリ総選挙で1位に輝き、同年9月10日から19日の10日間、全国5か所の映画館にて再上映された。, 2020年6月26日より全国372の劇場で『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『ゲド戦記』とともに再上映され[4]、週末観客動員数で1位となった[17](#再上映も参照)。, 10歳の少女・千尋(ちひろ)は、両親とともに引越し先のニュータウンへと向かう途中、森の中の奇妙なトンネルから通じる無人の街へ迷い込む。そこは、怪物のような姿の八百万の神々が住む世界で、人間が来てはならないところだった。千尋の両親は飲食店で神々に出す食べ物に勝手に手をつけたため、罰として豚にされてしまう。千尋も帰り道が海で塞がれ、悪夢が消える事を願って自分が消滅しそうになるが、この世界に住む少年ハクに助けられる。, ハクは、八百万の神々が客として集う「油屋」という名の湯屋で働いていた。油屋の主人は、相手の名を奪って支配する、恐ろしい魔女の湯婆婆(ゆばーば)である。仕事を持たない者は動物に変えられてしまうとハクは千尋に教える。千尋は、雇ってくれるよう湯婆婆に頼み込み、名を奪われて「千(せん)」と新たに名付けられ、油屋で働くことになる。ハクは、本当の名前を忘れると元の世界に戻れなくなると忠告する。ハクもまた名を奪われ、自分が何者であったのかを思い出せずにいた。しかし、彼はなぜか千尋を知っており、千尋のことを覚えているのだという。一方、千尋には、ハクの正体に心当たりがない。, 豚にされた両親を助けるため、油屋で働き始めた千尋だったが、彼女は人間であるために油屋の者たちから疎まれ、強烈な異臭を放つ客の相手まで押しつけられる。しかし彼女の実直な働きにより、客から大量の砂金が店にもたらされると、千尋は皆から一目置かれる存在になる。千尋はその客から不思議な団子を受け取る。, 翌日、ハクは湯婆婆の言いつけにより、彼女と対立している双子の姉の銭婆(ぜにーば)から、魔女の契約印を盗みだす。しかし、銭婆はハクを追ってきて魔法で重傷を負わせ、湯婆婆の息子である坊(ぼう)もネズミに変えてしまう。千尋はハクに不思議な団子を飲ませて助けるが、ハクは衰弱してしまう。千尋はハクを助けたい一心で、危険を顧みず銭婆のところへ謝りに行くことを決意する。, そのころ油屋では、カオナシという化け物が従業員を飲み込んで暴れていた。カオナシは千尋から親切にされたことがあり、金や食べ物で千尋の気を引こうとするが、彼女が興味を示さないため激怒する。千尋は不思議な団子をカオナシに飲ませて従業員を吐き出させ、感謝される。千尋は、カオナシとネズミになった坊を伴って銭婆の家を訪れる。銭婆は千尋を穏やかに受け入れ、千尋は銭婆に印鑑を返却し、銭婆は千尋に旅の仲間と協力して人力で編んだ紫の髪留めを贈る。, 一方、意識を取り戻したハクは、坊が銭婆のところへ行ってしまうことを湯婆婆に伝える。ハクは、坊を連れ戻してくることを条件に、千尋と両親を解放するよう約束を迫り、帰る手段のなかった千尋を迎えにいく。ハクは銭婆から許され、千尋とともに油屋への帰路につく。その途中で、千尋は自分が幼いころに落ちた「川」がハクの正体であることに気づく。幼いころハクの中で溺れそうになったとき、ハクは千尋を浅瀬に運び、助けあげたのだった。千尋がハクの名前に気づくと、ハクも自分の名前を取り戻す。, 油屋に帰ったハクは、千尋と両親を解放するよう湯婆婆に要求する。従業員たちも、今度は千尋の味方である。湯婆婆は、油屋の前に集めた豚の中から両親を言い当てろと難題を課すが、千尋はこの中に両親はいないと正解を言い当てて自由となり、従業員たちに祝福されながら油屋を去る。, ハクが千尋を見送り、異世界と人間界の境界に辿り着くと、以前は海と化していた帰り道が大草原に戻っていた。ハクは千尋に、この先には行けないこと、この先の帰り道で振り返ってはいけないこと、自分も湯婆婆の弟子をやめて元の世界に戻るつもりであると伝え、再会を期して別れる。帰り道でトンネルを出るまでは振り返ってはいけないというハクの言い付けを守り、以前は海と化していた大草原を歩き続ける。人間に戻った両親は、最初のトンネルの前で、何事もなかったかのように待っていた。トンネルが見える手前で思わず振り返りそうになる千尋だが、必死に我慢して振り返らず、トンネルを抜けて元の世界に戻った千尋が振り返ると、トンネルは来たときとは違う姿に変わり、千尋も異世界の記憶を失う。しかし、銭婆から貰った紫の髪留めはトンネルを抜けても千尋の髪に残っていた。その後、再び車に乗り、引越し先に向かう所で物語は幕を閉じる。, 従業員の大半はカエル(男衆)[28]とナメクジ(女衆)[37]であり[38]、ヘビ[* 10]と合わせて三すくみの関係にある。, 湯婆婆が経営する、八百万の神が体を休める「油屋」(あぶらや)という屋号の湯屋が舞台[57][58][59]。油屋は一見和風建築であるが、土台部分はコンクリートであったり、ボイラーやエレベーターといった近代的な設備が備わっている。和様に装っているのは表面部分だけであり、宮崎はこうした作りを「俗悪」と言い表す[60]。最下層にボイラー機械室、その上に従業員用のスペースがあり、湯婆婆とハク、釜爺以外の従業員達はそこで寝泊りする。従業員の生活空間は崖側に配置されており、神々の出入りする正面側からは見えない。油屋正面とその上階が営業スペースとなっている。中に大きな吹き抜けがあり、下には様々な種類の風呂が配置され、その上を取り囲むように宴会場や客室が配置されている。さらに、その上には湯婆婆の個人宅があり、その部分は洋風の建築様式となっている[59]。, 千尋たちは最初に、時計台のような建物に迷い込む。そこから先は、廃墟が点々とするなだらかな草原がしばらく続く。その後小川を渡ると、食堂街に出る。丘と街を区切る川は、昼は小川であるが、夜になり神々が訪れる時間になると草原全体を占める大河に変わり、そこを船が行き交う。食堂街を抜けると大灯籠のある広場に出、そこから延びる橋が湯屋の正面入り口に繋がる。食堂街の周りには、両親の収容されている畜舎や冷凍室、花園などが配置されている(花園では季節の異なる花々が同時に咲き乱れている[61])[62]。湯屋の方から見ると、畜舎は突き出た絶壁の上に建っていることがわかる。町と湯屋をつなぐ橋の下は巨大な平原になっており、雨が降ると海になる。橋の下には海原電鉄(架線はない)[* 16]が走っている[62]。単線の一方通行で、専ら行きっぱなしである(釜爺によれば、昔は帰りの電車も通っていたという)。途中には千尋が降りる「沼の底」駅があり、ほかに乗客の降りる沼原駅なども出てくる[19]。, 英語版はピクサーのジョン・ラセターが製作総指揮を手掛け、4人の翻訳家が英語版台本を作成し、カーク・ワイズが演出を手がけた[63]。, (以上、特に注記のないものはロマンアルバム 2001, pp. 『千と千尋の神隠し』名言・名セリフ投票エリア. 千と千尋の神隠しに登場するマスコット的キャラクター、ネズミと蚊の正体や名前を考察します。 一体誰が変身したキャラなのか・・・ストーリーを思い出しながら、ごらんください。 記事は下に続きます。 Contents1 千と千尋 … ええい、まどろっこしい。 金曜ロードショーで17年越しに『千と千尋の神隠し』を観たんだが、もちろん17年前に一介の小学生だった自分には読み解けなかった様々な解釈がとれておもしろかった。しかし、同時に「宮崎駿、伝えたいことをまっすぐに伝えられてねえ」という感想を持った。 アニメやドラマ、映画など今日気になるメディア情報をお届けします。俳優の着ている衣装やドラマロケ地、アニメや映画の無料視聴方法など気になる情報を毎日発信!, 千と千尋の神隠しに登場するマスコット的キャラクター、ネズミと蚊の正体や名前を考察します。 一体誰が変身したキャラなのか・・・ストーリーを思い出しながら、ごらんください。 記事は下に続きます。 Contents1 千と千尋 […], 千と千尋の神隠しに登場するマスコット的キャラクター、ネズミと蚊の正体や名前を考察します。, 2001年に公開され、今も尚日本の興行収入ランキング1位の記録を保持するジブリ映画「千と千尋の神隠し」。, 金曜ロードショー放送に先駆け様々な「千と千尋情報」をご紹介してきましたが、今回は作品の途中から登場する可愛らしいネズミと、その相方(?)の蚊の正体や変身した経緯などを見ていきましょう。, 坊ネズミ(坊)はそもそも、湯婆婆に溺愛されわがままに育ち、自分の部屋からもほとんど(全く?)出たことのない大きな赤ちゃんでした。, テレビで入るたびに千と千尋の神隠し見てるな。ネズミに変えられた坊が可愛くて可愛くて(*´∇`*), — リボン@子虎 (@amiami_ribbon) January 20, 2017, 坊がネズミに変えられた理由はいくつかありますが、そもそもの原因はハクが銭婆の大事なハンコを盗んだことです。, そして、ちょうど千尋と揉めていた坊やかしら、湯バードたちに魔法をかけ、別の姿に変身させてしまったのです。, 坊がネズミに変えられたのは湯婆婆の周りのものに危害を加え、湯婆婆を精神的に追い詰めるためというのが、2つ目の理由です。, 作中ではあまり恐ろしさを感じさせない銭婆ですが、湯婆婆は銭婆の存在に怯えている感じがしましたし、釜爺も「恐ろしい魔女」だと言っていましたもんね><, わがままでかんしゃく持ち、外の世界を知らない坊の様子を垣間見た銭婆は、どこかで「このままではダメだ」と感じたのではないでしょうか。, 言っても無駄そうなので「可愛い子には旅させよ」の精神で、試練を与えたのではないでしょうか。, 実際坊はネズミに変身させられ千尋と一緒に行動するようになってから心身ともに急成長します。, 始めは共に行動する蚊のようなキャラクター(後述します)に持ち上げて飛んでもらっていましたが、徐々に自分の足で歩くようになりました。, 坊ネズミは可愛らしい見た目と、内面の成長がファンたちにも高く評価され、多くのグッズも販売されているんですよ^^, — このアカウントは削除されました (@4triangle) July 7, 2012, 坊ネズミと共に行動し、坊ネズミを持ち上げて飛ぶ黒くて小さな蚊のようなキャラクター。, ハエドリも銭婆の魔法によって変身させられた姿ですが、元のキャラクターは湯婆婆の手下である「湯バード」です。, 湯バードは顔が湯婆婆、体が鳥(黒なのでカラスですね)という不気味な見た目で、湯婆婆と共に行動していました。, 湯バードの姿だった時は、あまり坊との接点がないように見えましたが、変身後は坊のことをよく面倒見ていましたよね。, 顔も湯婆婆に似ていますし、坊は湯婆婆にとってとても大切な存在だから、自分が守らないと!という気持ちがあったのでしょうか。, ちなみに、坊と湯バードの他にも「かしら」という3つの緑の頭がゴロゴロ転がる気持ちの悪いキャラクターがおり、銭婆はかしらにも魔法をかけ坊の姿に変えてしまいました。, かしらが坊の姿でお菓子を食べ散らかしていたので、湯婆婆はしばらく坊たちがいなくなったことに気が付きませんでした。, 千と千尋の神隠しにでてるこれって蚊ですか?鳥ですか? pic.twitter.com/LVdGXv8s, しかし湯バードは湯婆婆の側近的な存在ですから、連帯責任で変身させられても仕方がないような気もします。笑, そんな湯バードですが、ハエドリになってからは坊ネズミに寄り添い、小さな体で重いネズミを必死に持ち上げて飛ぶ健気な姿も見られます。, そしてラストシーンで坊ネズミの正体に気付かず、嫌悪感丸出しの態度を取った湯婆婆に対し、坊ネズミと一緒に嫌な顔をしていました。, 湯バードもまた千尋との旅を通して成長し、坊との結束を強めたり、湯婆婆の間違った部分に気が付けるようになったりしたのではないでしょうか。, 銭婆の魔法で坊は坊ネズミ、湯バードはハエドリへと変身させられてしまいましたが、実はこの魔法は結構早くに切れていました。, 銭婆の家で、銭婆が「あんたたち魔法はとっくに切れてるだろ」と言っていますからね・・・, その理由については明らかにされていませんが、恐らく坊はネズミでいた方が体が軽くて動くのに楽だから、元の姿に戻らなかったのでしょう。, 坊は油屋へ戻り、湯婆婆の前で元の姿に戻りましたが、自分の足で立っている姿や、間違いを指摘して厳しい態度を取る坊の成長に、湯婆婆はとても驚いていました。, 恐らくですが、湯バードは元の姿に戻り、湯婆婆の手下として色々と働かされるのがイヤだったのではないでしょうか。, 可愛らしく人気の高い坊ネズミとハエドリコンビの行動や成長にも注目しながら、作品を楽しんでくださいね。. 劇場版 Fate/stay night [Heaven's Feel] III.spring song, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=千と千尋の神隠し&oldid=82868304, 手島晶子、中込利恵、野口美律、伊藤望、大西綾、海内努、横田匡史、佐藤雅子、笹川周子、鶴岡耕次郎、片野美桜子、今野史枝、高橋直子、小田剛生、山田伸一郎、奥村正志, 言葉の力が軽んじられている現代において、「言葉は意志であり、自分であり、力」であることを描く(千尋は湯婆婆に名前を奪われ、支配されてしまう), 『Spirited Away』(英語)訳:spirit away=「誘拐する、神隠しにする、忽然と連れ去る」, 『Унесённые призраками』(ロシア語)直訳:「幽霊に連れ去さられた」, 『Chihiros Reise ins Zauberland』(ドイツ語)直訳:「千尋の魔法の国の旅」, 『La città incantata』(イタリア語)直訳:「魔法をかけられた町」, 千と千尋の神隠し DVD ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント(2002年7月19日), 千と千尋の神隠し Blu-ray Disc - ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント(2014年7月16日), Blu-ray Disc(宮崎駿監督作品集) - ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン 2014年7月2日発売, ユリイカ 詩と批評 2001年8月臨時増刊号 総特集 宮崎駿「千と千尋の神隠し」の世界 ファンタジーの力(2001年8月25日), THE ART OF Spirited Away―千と千尋の神隠し(2001年9月10日), アニメーションを展示する―三鷹の森ジブリ美術館企画展示「千と千尋の神隠し」(ジブリTHE ARTシリーズ)(2002年9月1日), 千と千尋の神隠し ジブリの教科書〈12〉 文藝春秋〈文春ジブリ文庫〉、スタジオジブリ編(2016年3月), 千と千尋の神隠し シネマ・コミック〈12〉 文藝春秋〈文春ジブリ文庫〉、スタジオジブリ編(2019年2月), 千と千尋の神隠し サウンドトラック 徳間ジャパンコミュニケーションズ (2001年7月18日)TKCA-72165, スタジオジブリ 宮崎駿&久石譲 サントラBOX [Box set, Limited Edition] (CD) 徳間ジャパンコミュニケーションズ(2014年7月16日). 表題曲「いつも何度でも」は、スタジオジブリの映画『千と千尋の神隠し』の主題歌。 「いのちの名前」は、同映画のテーマソングとして使用された。 元々はお蔵入りになった映画『煙突描きのリン』のために制作された。 ARASHI LIVE TOUR 2016-2017 Are You Happy? 映画「千と千尋の神隠し」では、緑色の頭と顔だけのキャラクターが3体登場します。「おいおいおい」しか喋らないキャラだよね!あれって名前はあるのかな?あの緑の頭だけのキャラクターには「頭(かしら)」という名前が付けられています。今回は、そんな「 いのちの名前(中級):映画「千と千尋の神隠し」OST / 久石 譲 Peony Music Studio. 千と千尋の神隠しでリンが優しいのは秘密がある?モデルの. 平原綾香 with 久石譲の「いのちの名前」動画視聴ページです。歌詞と動画を見ることができます。(歌いだし)青空に線を引くひこうき雲の 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 [千と千尋の神隠し]がテーマの診断です。 診断した人数の多い順に表示しています(いま人気の診断を優先表示しています) 人気のテーマをみる フリーワード検索:「千と千尋の神隠し」 テーマ「千と千尋の神隠し」の診断を作ろう! 千と千尋の神隠しのテーマ「本当の名前をとり戻す」 千と千尋の神隠しにはスピリチュアルで宗教的な要素がちりばめられています。 そのうちの一つに「名前」があります。 異次元の世界に迷い込んだ千尋。ハクがこう言います。 表題曲「いつも何度でも」は、スタジオジブリの映画『千と千尋の神隠し』主題歌、「いのちの名前」は、同映画のテーマソングとして使用された。 主な記録 [編集 | ソースを編集] 第43回日本レコード大賞・金賞受賞。日本アカデミー賞・主題歌賞受賞。 けれど、ハエはネズミとセットです. 千尋と不思議の町 千と千尋の神隠し〈徹底攻略ガイド〉(2001年7月20日)isbn 4-04-853383-5 キネ旬ムック『千と千尋の神隠し』を読む40の目(2001年8月15日) ISBN 4-87-376574-9 実はいつも何度でもという歌は 千と千尋の神隠しの歌として作られたわけでなく、 しかし、この曲はもともと『千と千尋』のために書かれたものではない。 「この企画はだめだってことだろう、鈴木さん」, いま世界は大変不幸な事態を迎えているので、受賞を素直に喜べないのが悲しいです。しかし、アメリカで『千と千尋』を公開するために努力してくれた友人たち、そして作品を評価してくれた人々に心から感謝します。, 銭婆によってネズミにされた坊に出くわしたときには、自分の息子だと気づいていなかった。, 絵コンテに収録されている釜爺のセリフによれば、契約印があれば湯屋の労働協約を変えることができ、従業員を奴隷にすることもできる, 自分を母・湯婆婆と間違えた際は、「お母さんと私の区別もつかないのかい」と呆れた様子を見せている。, 絵コンテでは「ゼニーバの声 やさしくなりすぎないこと こわいおばあさまです」と注意書きされている, ただし、千尋に対しては差別意識から「そんなもったいない事が出来るか」「手で擦ればいいんだ」と渡すのを拒否している。, 公開を1年延期して3時間の映画を作るという提案について、鈴木の真意は不明である。映画公開直前の2001年6月20日のインタビューでは「真剣でした。そういう映画を見たかったし」, 通常、アニメーションの美術制作は三段階に分けて行われる。背景のイメージをおおまかに描き起こしレイアウト化した美術設定、本番の背景作業に入る前により指針とする絵を描き、色味や物の質感などを詳細に指定する美術ボード、そして実際に撮影に使用される背景素材を各スタッフが分担し描く本番の作業である。『千と千尋の神隠し』では、宮崎が絵コンテで背景を作りこんでいったため、武重は美術設定を制作していない, その名の通り動く背景。手書き作画の場合は、通常の人物の動きと同じように、アニメーターが動きを起こす。本作のようにCGで作画される場合もある。, 以下は舘野の発言の引用。「当初『小さい子供のための映画』と聞いていましたが、あのお風呂屋さんも, その後、「DVD・VHS本編のクオリティは、その色を忠実に再現したものと認識しております」と変更された, 「東商新聞 Biz Extra」通巻48号 企画1頁 『Interview リーダーに聞く 鈴木敏夫』, Spirited Away Wins Animated Feature: 2003 Oscars, “スタジオジブリ4作品、26日から上映 『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』”, 『アナ雪』250億円突破!『千と千尋の神隠し』以来13年ぶりの快挙 - シネマトゥデイ, The 75th Academy Awards (2003) Nominees and Winners, http://www.bbc.com/culture/story/20160819-the-21st-centurys-100-greatest-films, 首位の『千と千尋の神隠し』ほか再上映のジブリ作品3本がTOP3を独占!『ランボー』シリーズ最新作が4位に初登場(6月27日-6月28日)/ニュース - CINEMAランキング通信, 宮崎駿も感動で涙!ジブリ新作映画『借りぐらしのアリエッティ』が完成!カオナシのモデル米林監督が人生初の囲み取材に!, Sen to Chihiro no kamikakushi (2001) - Full Cast & Crew - IMDb, http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/gijyutsu_ron.html, 2014/07/16 ジブリがいっぱいCOLLECTION 『千と千尋の神隠し』ブルーレイディスク 発売!, “東宝はなぜ『#シン・ゴジラ』を庵野秀明氏に託したか~東宝 取締役映画調整部長・市川南氏インタビュー~”, http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160812-00061026/, 『千と千尋の神隠し』他ジブリ作品が動員ランキングTOP3をキープ。『私モテ』初登場4位に, The Making of Hayao Miyazaki's "Spirited Away" - Part 3. 『千と千尋の神隠し』(2001)の名言・名セリフを一覧で紹介. この名前は千と千尋の神隠しの中で明かされましたが、難しくて一瞬で覚えるのは難しいですよね。 なんでこんな難しい名前なのかと思ったら、饒速日(ニギハヤヒ)という神様がいたという神話が本当に … 【現地レポ】『千と千尋の神隠し』が中国で18年越しの公開! 初回上映の様子を正直にお伝えするぞ!! 【ニコカラ】いのちの名前 千と千尋の神隠し カラオケ風 【off vocal】 [音楽・サウンド] 【off vocal】いのちの名前千と千尋の神隠し歌 木村 弓作詞 覚 千歌子作曲 久石 譲 「千」と呼ばれていましたね。 これが「千と千尋」の題名の由来でもあります。 中国版ではどうでしょうか。 現実世界では同じく 千寻 qiān xún と呼ばれていますが 湯婆婆に名前を奪われたあとは 小千 xiǎo qiān とみんなから呼ばれるようになります。 『千と千尋の神隠し』の千尋は湯婆婆に名前を奪われて本当の名前を忘れてしまいますが、これはいったい何を意味するのか?また、千尋が契約書に名前を書く時、自分の名前の漢字を間違えていますが、これは何を意味するのか?ということを考察しています。 102-103より抜粋), 宮崎駿は信州に山小屋を持っており、毎年夏になるとジブリ関係者の娘たちを招いて合宿を行っていた。宮崎は子どもたちを赤ん坊のころから知っており、「幼いガールフレンド」という言い方もしている[65]。少女たちは宮崎を「お山のおじさん」と呼んでおり、その頃はまだ映画監督とは思っていなかった[66]。『もののけ姫』公開直後の1997年8月、制作に疲れ果てた宮崎は山小屋で静養し、「幼いガールフレンド」たちの訪問を楽しみにしていた。同年9月ごろ、宮崎に次回作への意欲が灯りはじめる[65]。山小屋には『りぼん』や『なかよし』といった少女漫画雑誌が残されていた。宮崎は過去にも、山小屋に置かれていた少女漫画誌から映画の原作を見つけ出している(『耳をすませば』や『コクリコ坂から』)。しかし今回は、漫画の内容が恋愛ものばかりであることに不満を抱いた。山小屋に集まる子どもたちと同じ年齢の、10歳の少女たちが心に抱えているものや、本当に必要としているものは、別にあるのではないか。美しく聡明なヒロインではなく、どこにでもいるような10歳の少女を主人公に据え、しかも安易な成長物語に流れないような映画を作ることができるのではないか。少女が世間の荒波に揉まれたときに、もともと隠し持っていた能力が溢れ出てくるというような、そんな物語が作れるのではないか。このように考えた[10]。当時宮崎は、思春期前後の少女向け映画を作ったことがなかったので、「幼いガールフレンド」たちに向けて映画をプレゼントすることが目標になった[67]。宮崎は『パンダコパンダ』(1972年)のとき、自分の子供を楽しませようという動機でアニメーションを制作した。顔の浮かぶ特定の個人に向けて映画を作るという経験はそれ以来のことだった[68]。しかし宮崎駿は、『もののけ姫』の製作中からしきりに監督引退をほのめかしており、1997年6月の完成披露試写会以降、「引退」発言はマスメディアを賑わせていた[69]。当時はまだ引退の心づもりは変わらず、次回作ではシナリオと絵コンテは担当しても、監督は別人を立てるつもりでいた[65]。, 1998年3月26日、スタジオジブリの企画検討会議で、柏葉幸子『霧のむこうのふしぎな町』(1975年、講談社)が案に挙がる[70]。小学6年生の少女が「霧の谷」を訪れ、魔法使いの末裔たちが営む不思議な商店街で働きはじめるという筋のファンタジー小説だった。この原作は以前から企画検討にかけられており、1995年の『耳をすませば』では天沢聖司が『霧のむこうのふしぎな町』を読む場面が組み込まれている。宮崎は、柏葉の原作をもとに『ゴチャガチャ通りのリナ』というタイトルで企画に取り組む。しかし、これは早々に断念された[71]。, 次に、新企画『煙突描きのリン』がはじまった。1998年6月、小金井市梶野町のスタジオジブリ付近に事務所「豚屋」が完成、宮崎の個人事務所二馬力のアトリエとして使われることになった。宮崎はここで新企画に取り組みはじめた。『煙突描きのリン』は、大地震に見まわれた東京を舞台にした映画で、銭湯の煙突に絵を描く18歳の画学生、リンが、東京を影で支配する集団と戦うという物語であった。作品の背景には、現代美術家荒川修作の影響があり、荒川をモデルにした登場人物も用意されていた。宮崎は1998年に養老天命反転地を訪れて気に入り、荒川とも対談して意気投合している[72]。プロデューサーの鈴木敏夫によれば、リンと敵対する集団のボスは宮崎自身が投影された60歳の老人であり、しかもこの老人と18歳の主人公のリンが恋に落ちる展開が用意されていたという[73]。, 1998年6月から約1年間進められた『煙突描きのリン』の企画は、1999年8月、突如廃案になった[74][* 17]。鈴木敏夫によれば、次のような出来事があったという。鈴木は、1998年に公開されヒットしていた映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』(本広克行監督)を遅れて鑑賞する。若手の監督によって同時代の若者の気分がリアルに表現されていることに衝撃を受け、同時に、宮崎の描く若い女性が現代の若者像として説得力を持ちえるのかどうか疑問を抱く。鈴木は映画を観たその足で宮崎のアトリエに赴いた。すでに『煙突描きのリン』の企画はかなり進んでおり、アトリエの壁面には数多くのイメージボードが貼りつけられていた。イメージボードとは、作品のおおまかなイメージをスタッフと共有するために、アニメの代表的なシーンをラフに描き起こしたスケッチである。しかし鈴木はそれには触れず、『踊る大捜査線』の話をしはじめた[76]。, 宮崎はその場ですぐ、「千晶の映画をやろうか」[77]と提案した。「千晶」とは、本作の製作担当である奥田誠治の娘、奥田千晶のことである。奥田誠治は日本テレビの社員で、宮崎の友人のひとりだった。奥田千晶は毎年夏に宮崎の山小屋に滞在する「幼いガールフレンド」のひとりであり、鈴木とも親しかった。さらに宮崎は、作品の舞台を江戸東京たてもの園にすることを提案した。江戸東京たてもの園はスタジオジブリにほど近い場所にあり、宮崎・鈴木・高畑勲らの日常的な散歩コースになっていた[78]。身近な場所を舞台に、親しい子供のための映画を作るという宮崎の提案に、鈴木は首を縦に振らざるをえなかった[79]。, ある夏、宮崎らが山小屋の近くの川に沿って散歩をしていると、千晶がピンク色の運動靴を川に落としてしまった。千晶の父と宮崎・鈴木は必死で靴を追いかけ、川から拾い上げた[80]。このエピソードは宮崎の印象に残り、『千と千尋の神隠し』のクライマックスの場面で直接的に使われている。幼いころの千尋はハク(コハク川)から靴を拾おうとして川に落ちたが、そのときの運動靴はピンク色である。また、この靴は、エンドクレジット後の「おわり」のカットでも作画されている[81]。企画は当初、「千の神隠し」という仮題でスタートし、主人公の名前もそのまま「千晶」になっていた。しかし、「教育上よくない」という理由で、「千尋」と改められた[82]。, 1999年11月2日、企画書[83]が書き上げられた。宮崎は企画書の中で大きく分けて次の3点の意図を掲げている[84]。, 「千尋が主人公である資格は、実は喰い尽くされない力にあるといえる。決して、美少女であったり、類まれな心の持ち主だから主人公になるのではない」とし、その上で、本作を「10歳の女の子達のための映画」と位置づけている。, 『千と千尋の神隠し』は、『霧のむこうのふしぎな町』、『ゴチャガチャ通りのリナ』、『煙突描きのリン』の影響を部分的に受けてはいるが、キャラクターやストーリー展開の面では完全なオリジナルになった[84]。, 本作の制作は、12月13日に東宝が公開した配給作品ラインナップで公にされた[84]。, 1999年11月8日、宮崎駿はメインスタッフに向けて説明会を行う[85]。11月12日にはジブリ全社員を集めて作品についてレクチャー[86]。翌週から監督は絵コンテ作業に入り、メインスタッフたちも本格的な制作準備に入った[87]。, 2000年2月1日、宮崎は社内に打ち入りを宣言、作画打ち合わせがスタートした[84]。, 作画監督には安藤雅司が起用された。安藤は『もののけ姫』で26歳にして作画監督に抜擢された。しかし、鈴木敏夫の回想によれば、『もののけ姫』の制作終了後、安藤は一度辞意を示しており、鈴木に慰留されていた。宮崎のアニメーションがキャラクターを理想化・デフォルメする傾向が強いのに対して、安藤はリアリズムを希求し、映像的な快楽を優先して正確さを犠牲にすることを許さなかった。両者の志向は対立していた[88]。, 通常のアニメ作品では、原画修正は作画監督が行い、監督は直接関与しない。しかし、宮崎駿監督作品の場合、宮崎がアニメーターの長として全体の作画作業を統括し、原画のデッサン・動き・コマ数などを先に描き直す。このため、作画監督の仕事は宮崎のラフな線を拾い直す作業が主となる。安藤は『もののけ姫』公開後のインタビューで、宮崎の作品では作画監督という肩書で仕事をしたくないと心情を語っている[89]。そこで鈴木は、次回作では「芝居」についても安藤のやり方で制作していいと認めることにした[88]。宮崎自身も、『もののけ姫』の制作で加齢による体力の低下を痛感し、すでに細かな作画修正作業を担いきれない段階にあると考え、作画の裁量を安藤に委ねる方針を取った[90]。それだけでなく、演出を安藤に任せる案もあった。宮崎が絵コンテを描いた『耳をすませば』で近藤喜文が監督を担当した前例もあり、同様の制作体制が取られる可能性もあった。少なくとも『ゴチャガチャ通りのリナ』の段階では、演出を安藤に任せるつもりでいたという[91]。しかし、当の安藤は宮崎の絵コンテで演出をするつもりはなく[92]、結局は宮崎が監督することになった[93]。, 原画は過去最大規模の37人体制になった[94]。しかし、当時ジブリ社内の原画陣は過去に例がないほど脆弱で[95]、特に中堅のアニメーターの層が薄かった[87]。これに加えて、フリーで活躍しているアニメーターを積極的に受け入れ、宮崎駿の中になかった表現を取り入れたいという安藤の意向もあり[96]、大平晋也や山下明彦といった実力派のフリーアニメーターが参加した[97]。, 動画チェックチーフは舘野仁美。舘野は『となりのトトロ』から『風立ちぬ』までのすべての宮崎監督作で動画チェックを務めている。動画班は最終的に、国内スタッフが99人、韓国の外注スタッフが27人、計126人が動員された[98]。, 宮崎駿は、長編映画制作の際、事前にシナリオを用意しない。絵コンテを描きながらストーリーを構想し、各スタッフは絵コンテがすべて完成する前から作業を進めていく。その間は監督自身でさえも作品の全容を知らない[99]。本作では、絵コンテが40分ほど完成したところで転機が訪れた。2000年のゴールデンウィーク中のある日[100]、その日は休日だったため、多くのスタッフは出勤していなかったが、プロデューサーの鈴木敏夫、作画監督の安藤雅司、美術監督の武重洋二、加えて制作担当者がたまたま居合わせた[101]。宮崎はホワイトボードに図を描きながら、映画後半のストーリーを説明しはじめた[100]。千尋は湯屋で働きながら湯婆婆を打倒する。ところが、湯婆婆の背後には銭婆というさらに強力な黒幕がいたことが判明する。ハクの力を借りて銭婆も倒し、名前を取り返して両親を人間に戻す。このような流れである[95][102]。, しかし、この案では上映時間が3時間を超えてしまうという意見が出た。鈴木は公開を一年延期しようと提案したが、宮崎と安藤はこれを否定[95][* 18]。上記のプロットは破棄されることになった。宮崎はそこでとっさに、千尋が初めて湯屋に入るシーンで欄干のそばに立っていたキャラクターを話題にした。当初カオナシは、「何の予定もなくてただ立たせていただけ」[105]だったが、映像にしたときに奇妙な存在感があり、宮崎にとって気になるキャラクターになっていた。宮崎は即席で、湯屋でカオナシが大暴れするストーリーを語った。これが採用されることになり、絵コンテ執筆は大きく転換した。湯婆婆を退治するという展開は立ち消え、代わりに千尋とカオナシの関係にスポットライトが当たることになった[95][105]。, 当初は予定通り安藤雅司が作画工程を統括し[95]、原画修正を任されていた[106]。鈴木敏夫の約束通り、宮崎駿はタイミングのみをチェックした[107]。しかし、日を追うにつれ、宮崎と安藤の間の溝は次第に深まっていった[108]。宮崎は「どこにでもいる10歳の少女を描く」というコンセプトを掲げた。安藤はこの方針に可能性を感じ、今までの宮崎駿監督作にはなかったような現実的な空間を作り上げることで、ジブリアニメに新しい風を吹きこもうとした[109]。そのような試みのひとつが「子供を生々しく描く」ということだった[110][* 19]。安藤が用意した千尋のキャラクター設定は、背中が曲がり、無駄の多い緩慢な動作に満ち、表情はぶうたれていて喜怒哀楽が不鮮明だった。これは従来宮崎が描いてきた少女像からかけ離れたもので、とりわけ、目の描き方が一線を画していた[112]。序盤の絵コンテは、千尋の不機嫌なキャラクター性を反映してゆっくりとした展開となった。しかしながら宮崎は、千尋がグズであるがゆえに先行きの見えてこない物語に苛立った。絵コンテでは、千尋が湯屋で働きはじめるまでの段階で、すでに40分が経っていた[95]。そこで、中盤以降は一気にスペクタルに満ちた展開に舵を切った。千尋も序盤とは打って変わってデフォルメされた豊かな表情を見せ、きびきびと行動するようになった。そこには、旧来通りの、宮崎らしい、理想化されたヒロインがいた。安藤はこの方向転換に「違和感と失望」[106]を抱いたが、それでもなお緻密な修正を続け[106]、作画監督の通常の仕事範囲を超えて動画段階でもチェックを行い、場合によっては動画枚数を足すなど[113]、身を削って作業を進めた。カットの増加・作画作業の遅延によって補助的に作画監督(賀川愛・高坂希太郎)が増員されたが[106]、最終チェックはすべて安藤が担った[114]。結局は宮崎も、当初の予定に反して、レイアウト修正・原画修正を担うようになった[95]。宮崎の提示する演出意図と安藤の指示の食い違いに戸惑うスタッフは多かったという[106]。, 安藤は制作終了後のインタビューで、最終的には作品と距離をおいた関わり方になってしまったこと、全体としては宮崎の作品の枠を出ることができなかったこと、当初自分で思い描いていた作品はどうしても実現できなかったことを振り返っている[110]。しかし、宮崎は「安藤の努力と才能がいい形で映画を新鮮にしている」と評価しており[115]、鈴木は宮崎と安藤の緊張関係によって画面に迫力がみなぎるようになったと語る[108]。安藤は本作を最後にジブリを退職したが[94][116]、『かぐや姫の物語』(2013年)にはメインアニメーターとして、『思い出のマーニー』(2014年)には作画監督および脚本(連名)としてジブリ作品に再び参加している。, 2000年9月20日、スタジオジブリ社長、徳間康快が死去。10月16日、新高輪プリンスホテルにてお別れ会。宮崎は会の委員長を務めた[95]。葬儀に出席する喪服の男たちがみなカエルのように見えたと語っており、作中に登場するカエル男たちとの関係をほのめかしている[28]。徳間は作品の完成を見ずにこの世を去ったが、「製作総指揮」としてクレジットされている。, 同時期、作画作業の遅延は深刻化していた。前述の通り作画監督が増員されたのはこのころだった。経験の浅い新人アニメーターに対しては「遅くとも1人1週間で1カットあげる」という目標を設定したが、それだけではとても公開に間に合わない計算になり、鈴木は頭を悩ませた。社内で上げたカットは全体の半分程度にとどまり、残りは外注で仕上げた。アニメーターの小西賢一に依頼して実力のあるフリーアニメーターをリストアップしてもらい、支援を要請した[117]。, 動画・彩色は、国内の外注スタジオに委託しただけでは間に合わないということが明らかになった[118]。そこで、ジブリ創設以来はじめて、海外スタジオに動画と仕上を外注することを決断[119]。スタジオから4人を韓国に派遣した[120]。韓国のD.R DIGITALは動画・彩色を、JEMは彩色を担当した[119]。両社の仕事は高品質で、納期も遵守された[119]。, 美術監督は武重洋二、美術監督補佐は吉田昇。美術班も作画部門と同様新人スタッフが多かったため、武重はほぼすべてのカットの美術ボード[* 20]を描いた。しかも、用途別に各カットごと3枚の美術ボードを描くほど念入りだった[122]。『となりのトトロ』の作画監督であるベテランの男鹿和雄は、主に不思議の町に入り込む前の世界、冒頭とラストシーンの自然環境の背景を一任され[122]、該当場面のモデルとなった四方津駅周辺を独自に取材した[95]。湯屋の中の巨大な鬼の襖絵は吉田昇が担当した[122]。, 宮崎からは「どこか懐かしい風景」「目黒雅叙園のような擬洋風、古伊万里の大きな壺」などの指示があった[123]。色については「とにかく派手に」[124]「下品なほどの赤」[125]という指定があり、随所にちりばめられた赤色と湯屋内部の金色がキーカラーになっている[125]。, 2000年3月17日には、江戸東京たてもの園でロケハンが行われた[95]。江戸東京たてもの園は、企画当初から作品の舞台とされていた場所である。油屋のデザインについて、モデルとなった特定の温泉宿などは存在しない[126]。ただし、江戸東京たてもの園の子宝湯は宮崎お気に入りの建物で、特に千鳥破風の屋根に加えて玄関の上に唐破風(別の屋根の形式)を重ねる趣向、および内部の格天井に描かれた富士山のタイル絵などの「無駄な装飾性」に魅了されたという[78]。また、ジブリの社員旅行で訪れたことのある道後温泉本館も参考にされた[78]。油屋の内装は目黒雅叙園が原形になっており[127][* 21]、他に二条城の天井画、日光東照宮の壁面彫刻、広島の遊郭の赤い壁などが参考にされた[128]。釜爺の仕事場にあった薬草箱は江戸東京たてもの園の武居三省堂(文具屋)内部の引出しがモデルになっている[129]。油屋周辺の飲食店街は、新橋の烏森口や有楽町ガード下の歓楽街をイメージして描かれている[128][130]。従業員の部屋は、1950年代の劣悪な労働環境だった近江紡糸工場の女工たちの部屋や、多磨全生園隣接の国立ハンセン病資料館内に再現された雑居部屋がモデルとなっている[128]。湯婆婆の部屋は、和洋の混じった鹿鳴館や目黒雅叙園がモデルである[131]。, 台湾の台北近郊の町九份の一部商店主は宮崎駿が訪れスケッチをしたと主張しているが[132]、宮崎は台湾メディアのインタビューに対して九份を作品の参考にしたことはないと否定している[133]。, スタジオジブリでは『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)よりデジタル彩色が導入されており、本作は宮崎駿監督作品としては初めて、仕上・撮影の工程がデジタル化された。これに伴って宮崎は一部の役職を新しく命名し、CG部チーフだった片塰満則は「デジタル作画監督」に、撮影監督だった奥井敦は「映像演出」になった[95]。『となりの山田くん』では水彩画調の実験的な彩色が行われたため、長編映画でデジタル彩色を用いて従来のセルアニメーションを再現していく作業は、ジブリにおいては実質的に初めての経験といってよかった[118]。この状況を踏まえて、作画・美術・デジタル作画・映像演出の各チーフによって「処理打ち合わせ」という会議が持たれ、各部署間での密接な連携が模索された。たとえば、雨が降ったあとにできた海の描写はデジタル部門や撮影班の上げた成果である[134]。, デジタル作画部門はほぼすべての背景動画[* 22]を担当した。それ以外に、浮き上がる「荻野千尋」の文字や、川の神のヘドロ、海原電鉄から見た黒い人物の様子などを担当した[122]。, 映像演出部門では、現像を手掛けるイマジカと協力して、独自のカラーマネジメントシステムを導入し、デジタルデータをフィルムに変換する際に色調が変化しないよう努めた[118]。また、本作は初期のDLP上映作品であり、本来であればフィルム特有の画面の揺れは抑えられる環境にあったが、映像演出の奥井はあくまでフィルム上映を基本と考え、完成画面の上下左右に1センチの余裕を残して、シーンに応じてデジタルデータにわざとブレを加える工夫をした[135]。, 色彩設計は保田道世。宮崎駿・高畑勲とは東映動画に在籍していた1960年代からの知己であり、『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』に至るまで、すべての宮崎駿監督長編作品で色彩設計部門のチーフを務めている。本作ではデジタル化により扱える色の量が飛躍的に増加した[136]。, 音楽を担当した久石譲は、『風の谷のナウシカ』以降の宮崎長編作品をすべて手掛けており、『千と千尋の神隠し』で7作目。公開に先駆け2001年4月にイメージアルバムが発売され、5曲のボーカル曲のすべてで宮崎が作詞した。宮崎はイメージアルバムに収録されたピアノ曲「海」を気に入っており、久石は、この曲が海上を走る電車のシーンにうまく「はまった」ことを喜んだ[26][137]。, 本作ではインドネシアのガムランや琉球音楽、シルクロード、中近東、アフリカなどのエスニックな楽器や現地の人が叩いたリズムのサンプリングがふんだんに採り入れられ、フルオーケストラと融合するアプローチが行われた。久石は「スタンダードなオーケストラにはない要素を導入しながら、いかに新しいサウンドを生み出していくか、というチャレンジを試みていた時期ですね」と述懐している[138][139][140]。, 覚和歌子作詞、作曲・歌はソプラノ歌手の木村弓による「いつも何度でも」が主題歌となった。しかし、この曲はもともと『千と千尋』のために書かれたものではない。木村弓と宮崎の交流は、1998年夏ごろに木村が宮崎に書いた手紙に端を発する。木村は前作『もののけ姫』を鑑賞して感銘を受け、自らのCDを添えて手紙を送った。宮崎は木村に好感を持った。当時宮崎は『煙突描きのリン』の企画中だったので、そのあらすじを書き添えたうえで[141]「作品が形になったら連絡するかもしれない」と返事した。木村は『リン』の世界から刺激を受けてメロディを着想。作詞家の覚に持ちかけて曲の制作に入った。こうして、「いつも何度でも」は1999年5月に完成した。しかし宮崎から連絡があり、『リン』の企画自体が没になったので、主題歌には使うことができないと伝えられる。「いつも何度でも」はお蔵入りになりかけた。『千と千尋の神隠し』の主題歌は、宮崎作詞・久石作曲の「あの日の川へ」になる予定だった。イメージアルバムの1曲目には同名のボーカル曲が収録されている。しかし、宮崎の作詞作業が暗礁に乗り上げ、不採用になった。2001年2月、「いつも何度でも」を聞き直した宮崎は、「ゼロになるからだ」などの歌詞と映画の内容が合致することに驚き、急遽主題歌としての再起用を決める。『千と千尋』を制作するにあたって「いつも何度でも」が潜在的な影響を与えたのかもしれない、と振り返っている[142][143]。, 企画書にある「あいまいになってしまった世の中」、「あいまいなくせに、侵食し喰い尽くそうとする世の中」の縮図として設定されたのが、湯屋という舞台である[145]。湯屋の勤務形態は夜型だが、スタジオジブリもまた夜型の企業であり、企業組織としての湯屋はスタジオジブリそのものがモデルになっている[28]。宮崎もスタッフに「湯屋はジブリと同じだ」[146]と説明し、ジブリ社内は「10歳の少女には魑魅魍魎の世界に見える」[28]と語った。たとえば、湯婆婆はときどき湯屋から外出してどこか知れぬところへ飛んで行くが、この行動には、会議・出張などで頻繁にジブリからいなくなる鈴木敏夫のイメージが重ねられている[28]。インタビューによれば、宮崎はペルーの少年労働を扱ったドキュメンタリー番組を見たことがあり、子供が労働することが当然である世界の現状を忘れたくなかったので、過酷な環境下で少女が労働を強いられるストーリーを執筆したと説明している[34]。, 町山智浩・柳下毅一郎は「湯屋は遊郭である」と指摘し[147]、作品スタッフの舘野仁美(動画チェック)も同様の発言をしている[* 23]。宮崎自身は、千尋が迷いこむ不思議な世界のイメージを伝える文脈で、学生時代に新宿の赤線地帯付近を通りかかったときに見た「赤いライトの光景」についてスタッフに説明したという[149]。また、雑誌「プレミア日本版」2001年9月号のインタビューでも同様の発言があり、子供のころにはまだ残っていた新宿の「赤いランタン」に触れたうえで、「日本はすべて風俗営業みたいな社会になっている」「いまの世界として描くには何がふさわしいかといえば、それは風俗営業だと思う」[150]と語っている。湯屋に大浴場がなく、個室に区切られていることについて質問されたときには、「いかがわしいこと」をするためであろうと答えている[151]。かつての日本の湯屋では、湯女による垢すりや性的行為が一般的に行われていた[152]。, そして、鈴木の述懐によれば、企画の原点には鈴木と宮崎の間で交わされた「キャバクラ」についての会話があった。その内容はこうである。鈴木にキャバクラ好きの知人がいた。この知人から聞いた話では、キャバクラで働く女性には、もともとコミュニケーションがうまくできないひとも多い。客としてくる男性も同じようなものである。つまりキャバクラは、コミュニケーションを学ぶ場なのである。異性と会話せざるを得ない環境に放り込まれて働いているうちに、元気を取り戻していく(という従業員もいる)。鈴木によれば、宮崎はこの談話をヒントにして湯屋の物語を構想した。すなわち、千尋が湯屋で神々に接待していくうちに、生きる力を取り戻していくというストーリーである[153][154]。, 「神仏混淆の湯治場」という発想は、「霜月祭」がもとになっている。この祭りは「十二月に神々を招いて湯を浴びさせる」というもので、様々な仮面を被った人々が多種多様な神々を演じて舞う神事である[128]。鈴木と宮崎はNHKドキュメンタリー『ふるさとの伝承』[* 24]でこの祭りを知り、着想を得た[100]。霜月祭は、長野県下伊那郡天龍村に伝わる「天龍村の霜月神楽」や長野県飯田市の遠山郷(旧南信濃村、旧上村)に伝わる「遠山の霜月祭」など、長野・愛知・静岡の県境にまたがる地域の各地で行われている[156]。また、静岡県静岡市の「清沢神楽」や静岡県御殿場市の「湯立神楽」、愛知県北設楽郡の「花祭り」など「釜で湯を沸かして掛け踊る」という湯立神楽の祭事は、日本各地で行われている。, 1994年春頃、宮崎は自宅付近を流れるドブ川を観察する。川の中では、ユスリカの幼虫が大量発生して、汚濁した水の中で懸命に生きていた。宮崎はその様子を見て「今後の人間の運命」を感じる経験をした。後に宮崎は地元有志とドブ川を掃除し、そのときの経験が汚れた河の神の内部から自転車などを引き出すシーンとして活かされた[151][157]。その後も川掃除は宮崎の習慣になっており、2016年に一般市民が制作したドキュメンタリー作品では、宮崎が川掃除などの地域の清掃活動に取り組む様子が収められている[158]。, 鈴木敏夫は、宣伝の量と上映館のキャパシティの両方を『もののけ姫』の倍にする計画を立てたと語っている[159]。鈴木を奮起させたのは、宮崎駿の息子、吾朗と、博報堂の藤巻直哉の言葉だった。鈴木は、前作に続いて今作でも大ヒットが続けば、宮崎がおかしくなってしまうのではないかと心配していた。しかし、宮崎吾朗は、当時デザインに取り組んでいた三鷹の森ジブリ美術館の成功を望み、『千と千尋の神隠し』を前作の倍ヒットさせてほしいと言った。のちに『崖の上のポニョ』の主題歌を歌うことになる藤巻直哉は、2000年の秋頃に赤坂でばったり鈴木と出くわした[160]。当時、電通と博報堂は1作ごとに交代で製作委員会に入っていたため、博報堂の担当者である藤巻は関わっていなかった。藤巻はそこで次のようなことを漏らした。次の作品は、『もののけ姫』の半分は行くだろうとみんな言っている。電通がうらやましい、と。鈴木はこの言葉にいきり立ち、必ずや『千と千尋』を大ヒットさせると決意する[160][161]。, 2001年3月26日、江戸東京たてもの園で製作報告会[119]。宮崎は、「幼いガールフレンド」たちが本当に楽める映画を作りたいと制作の動機を語った[162]。徳間書店・スタジオジブリ・日本テレビ・電通・ディズニー・東北新社・三菱商事が製作委員会を組んだ。本作から新たに加わった出資企業は2社。ディズニーは『ホーホケキョ となりの山田くん』から参加していたが、東北新社と三菱商事は初参加だった。電通経由で特別協賛に入ったネスレ日本と、三菱商事系列企業のローソンはタイアップで活躍した[163]。ネスレは本編映像を使用したテレビCMの放映などでキャンペーンを展開した。, コンビニエンスストアとのタイアップはジブリにとって初めての経験だった。それまで鈴木はコンビニを敬遠していたが[164]、ローソンは全国約7000店の店舗で『千尋』を大々的に告知、独自にフィギュアつき前売り券などを用意し、映画館窓口の販売実績を超える32万枚の前売り券を売り上げた。この機にジブリとローソンのタッグは確立され、三鷹の森ジブリ美術館が完成した後にはローソンが唯一のチケット窓口になるなど、関係は続いている[165]。, 劇場の本予告・および新聞広告ではカオナシが前面に押し出された[166]。本予告は二種類が作成され、2001年3月から5月までの予告「A」は、千尋が不思議な町に迷いこみ、親が豚になってしまうところまでをホラー映画風にまとめたものだった。対して、6月から流れた予告「B」は、千尋がカオナシを湯屋に招き入れ、カオナシが暴走するところまでをまとめた[167]。, 鈴木は、本作を「カオナシの映画」であると考え、カオナシを宣伝の顔として立てることを決めた。その理由として、前述した千尋のキャラクターの極端な変貌を鈴木が感じ取っていたことが挙げられる。不機嫌な千尋の視線に沿ってゆったりとした前半の展開と、中盤以降のきびきびと働く千尋を追いかけるような展開にはギャップがあり、鈴木は本作を「1本で2本分の映画」であるように思った[168][169]。鈴木の語ったところによれば、宮崎自身も当初は「千尋とハクの話」だと考えており、カオナシ中心に宣伝を行うことに違和感を持っていた。しかし、映画が完成に近づいた段階でラッシュ(完成した素材を荒くつないだ映像)を見て、「千尋とカオナシの話」であることを認めたという[170]。, 当初は、糸井重里の書いた「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」という宣伝コピーが使われていた。しかし、宣伝プロデューサーを務めた東宝の市川南[* 25]の意見で[173]、「〈生きる力〉を呼び醒ませ!」というサブコピーが考案され、新聞広告などではこちらのほうが大きく取り上げられた[144]。, 宣伝チームはローラー作戦をかけ、通常であれば行かないような地方の小さな町まで訪れるなど、徹底したキャンペーンを張ったと鈴木は証言する[174]。, 2001年7月10日、帝国ホテルで完成披露会見。同日、日比谷スカラ座で完成披露試写会。宮崎は前作の公開時に続いて、またしても長編引退をほのめかした。試写の反応は絶賛一色だった。しかし、作品の完成は公開日の2週間前で[99]、試写にかけられる時間がわずかしかなかったことから、『もののけ姫』ほどの大ヒットにはならないだろうという観測が多勢を占めていた[119]。この日の試写会には千尋のモデルとなった奥田誠治の娘、奥田千晶も現れた[175]。宮崎は鈴木とともに千晶を出迎え、「この映画はおじさんと千晶の勝負だ」と言った[176]。上映後の千晶の反応は上々であり、宮崎と鈴木は喜んだ[28][81]。「おわり」のカットで描いた不鮮明なイラストについて宮崎が尋ねると、千晶はそれが自分の落とした靴の絵であることを正しく言い当てた[80]。, 2001年7月20日公開[119]。すぐさま爆発的なヒットになり、週末映画ランキングでは公開以来26週連続トップ10にランクインした。さらに、公開32週目には前週の18位から一気に4位に浮上した。11月11日までの4か月間で、興行収入262億円、観客動員数2023万人を記録。『タイタニック』が保持していた日本の映画興行記録を塗り替えた。1年以上のロングラン興行になり、最終的には304億円の興行収入を叩き出した(再上映分の収入を含まず)[* 2]。宮崎の個人的な友人である千晶を喜ばせたいという動機でスタートしたこの映画は、実にのべ2350万人[177]もの日本人の足を劇場に運ぶに至った。, 空前のヒットの興行的な要因としては、まず宮崎の前作『もののけ姫』が1420万人[178]を動員し、新規顧客を開拓したことが挙げられる[179]。また、『もののけ姫』から『千と千尋の神隠し』に至るまでの期間に、シネマコンプレックスが全国的に普及し、人気作品を映画館の複数スクリーンで集中的に上映する体制が整っていたこともある[179]。公開と同時に、他の作品を上映する予定だったスクリーンが『千と千尋の神隠し』に回され、シネコンでの上映を占拠していった[180]。一方、こうした類のない大ヒットは、他の上映作品の興行に悪影響を及ぼした[181]。2001年12月に行われた「大ヒット御礼パーティ」の席上では、興行関係者が困惑を露わにした。興行収入300億という数字は、1年間に公開される邦画のすべてを合わせた量に相当したからである[177]。, 本作で行われた大宣伝とは対照的に、次回作『ハウルの動く城』では「宣伝をしない」宣伝方針が取られた。公開前の内容の露出は極端に抑えられることになり、宮崎もメディアから姿を消した[182]。これに関して、鈴木は千と千尋の神隠しがヒットしすぎたことにより、本来ならある程度数字を挙げることができた様々な作品がヒットせず、多方面に迷惑をかけてしまったため、千と千尋がヒットした後に関係者が集まり、二度と千と千尋のような作品を出さないよう、ある程度棲み分けることにしたと語っている[183]。, 2016年、スタジオジブリ総選挙で本作が1位に輝き、同年9月10日から16日の7日間、全国5か所の映画館にて再上映された。この再上映による興行収入は4.0億円で、累計興行収入は308.0億円となった[3]。, また2020年、新型コロナウイルスの流行によって新作映画の供給が困難になったことを受け、同年6月26日から8月まで全国の映画館で本作の再上映を行った[4]。この再上映による興行収入は8.8億円にのぼり、同年12月15日にこれまでの興行収入(308.0億円)に加算され[* 26]、本作の正式な興行収入が316.8億円となった[185][186]。, 英語吹替版はピクサー社のジョン・ラセターがエグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮)を担当。配給の優先権を持っていたのはディズニーだったが[193]、2001年8月にディズニーで行われた上映会では、当時CEOだったマイケル・アイズナーの反応は芳しくなかった[194][195]。宮崎は米国での公開に積極的ではなかったが[194]、鈴木は検討を重ねた末、宮崎の熱烈なファンであるラセターに協力を依頼することにした[193]。1982年、宮崎はアニメ映画『リトル・ニモ』の企画で渡米し、このときにラセターと面識を得ていた。当時まだディズニーに在籍し、不遇の時にあったラセターは、『ルパン三世 カリオストロの城』を鑑賞して衝撃を受け、以来宮崎の熱心なファンとなる。1987年には『となりのトトロ』制作時のジブリを訪れてもいる。その後、ピクサーが創立されるとラセターは移籍し、1995年の『トイ・ストーリー』を皮切りに、ヒット作を送り出していた[196]。, ラセターが説得した結果、ディズニーが北米での配給権を取得。ラセターは『美女と野獣』の監督、カーク・ワイズ(英語版)を英語版監督に、『アラジン』のプロデューサー、ドナルド・W・エルンスト(英語版)を英語版プロデューサーに指名した[197]。英題は Spirited Away に決まった。吹替版は原作に忠実に制作された[194]。, 2002年9月5日から10日間、宮崎・鈴木らはプロモーションのために米国へ渡った。ラセターは、ピクサー社を案内したり、複葉機による遊覧飛行を用意したりと、ジブリの一行を手厚くもてなした[194]。このときの様子を収めた映像は、DVD『ラセターさん、ありがとう』(ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント、2003年)として発売されている。, 9月20日、北米10都市で公開。以後約1年間に渡って小規模ながら興行が続いた。同年12月からは全米で次々と映画賞を受賞した[194]。最終的には約1000万ドルの興行収入を記録した[198]。, 日本公開から18年の歳月を経て、2019年6月21日より[199]、[200]およそ9000か所の映画館で初公開された[201][202][203][204]。, 2003年1月24日には日本テレビ系列の『金曜ロードショー』でテレビ初放送され、46.9%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)という視聴率を記録した。過去にテレビ放送された劇場映画の最高視聴率である[205][206][207]。ビデオリサーチ・関西地区調べでも46.1%の視聴率を記録[205]。日本だけでなく、2004年12月29日にはイギリスで、2006年にはアメリカ合衆国で、2007年9月30日にはカナダでもテレビ放送された(オーストラリアでもテレビ放送実績あり)。, VHS・DVDは2002年7月に発売された。日本国内におけるVHSの出荷本数は250万本、DVDの枚数は300万枚だった。合計550万本の出荷は、やはり新記録だった[208]。, 2002年7月に日本で発売された『千と千尋の神隠し』のDVDや、ビデオカセット(VHS)に収録されている本編映像が、劇場公開版や予告編・TVスポットなどと比べて赤みが強いとして、スタジオジブリと発売元のブエナビスタ、消費者センター[209]などに苦情が寄せられた[210][207]。, 両社は、DVD制作時に用意されたマスターの色調には、意図的な調整を施しているためであり、「このクオリティが最高のものと認識しております」と説明した[* 27]。映画上映時のTVCMや上映用プリントやDVDに収録された予告編、TVスポットなどにはこの調整は施されていないため、両者の色調が異なっているが、あくまで本編の色調が正しいとした。, 2002年11月、この問題で一部ユーザーは、販売元のブエナビスタを相手取り京都地方裁判所に提訴し、正しい色調のDVDとの交換と慰謝料などを請求した。本係争は2004年9月に「ディズニー・ジャパンは購入者に誤解や混乱が生じたことに遺憾の意を表明する」「今後DVD販売に際しデータを調整した時は明記する」「原告らは請求を放棄する」など全5項目の和解が成立し決着した[208]。, その後、北米、ヨーロッパ、韓国では、日本で発売されたものよりも、赤みの強くない映像が収録されたDVDが販売された。, 日本テレビでの2003年1月24日の『金曜ロードショー』(開局50周年記念番組)での放送には、DVDと同様のマスターが使用され、以後も使用されるようになった。, 2011年1月7日、日本テレビの『金曜ロードショー』で、初めてハイビジョンマスターにより放送。赤みが大幅に軽減され、北米版DVDに近い赤みの強くない映像で放送された。, 2014年4月1日、本作のBlu-ray Disc化が正式発表された[212]。発売予定日は2014年7月16日[160]。Blu-ray版ではDVD版のような赤みは無くなり、劇場版と同等の色調で収録された[213]。同時に発売されたデジタルリマスター版DVDも同一の映像マスターを基にしているため、画面の赤みはない。, 2002年2月6日、第52回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品。同映画祭コンペ部門の長編アニメーション映画の出品は初。2月17日、最優秀作品賞である金熊賞を受賞した。ポール・グリーングラス監督『ブラディ・サンデー』と同時受賞だった。世界三大映画祭で長編アニメーションが最高賞を獲得するのは史上初だった[216]。, 2003年2月12日、第75回アカデミー賞長編アニメーション部門へのノミネートが決定。3月23日の授賞式で受賞が発表された[* 3]。2020年現在に至るまで、同部門を受賞した日本のアニメーションは本作のみである。また手描きのアニメーションとしても唯一の受賞作である。授賞式には宮崎の代理で鈴木敏夫が出席する予定だったが、3月20日に米軍を中心とする有志連合がイラク進攻を開始し、事態が緊迫化したため、断念した[217]。宮崎の受賞コメントは次のようなものになっている。, アカデミー賞を受賞したことが示すように、本作は英語圏でも広範な評価を得ている。レビュー集積サイトのRotten Tomatoesでは、178本のレビューが掲載されており、うち97%が肯定的に評価している。平均レートは8.6/10で、掲載されているコンセンサスは次の通り。「『千と千尋の神隠し』は、見事に描き出されたおとぎ話であり、眩惑的、魅惑的だ。この作品を見た観客は、自分たちの住んでいる世界がいつもより少しだけ興味深く、魅力的なものに感じられるだろう」[219]。Metacriticでは41本のレビューをもとに96/100のスコアがついている[220]。シカゴ・サンタイムズのロジャー・イーバートは満点の四つ星をつけ、作品と宮崎の演出を称賛している。また、本作を「今年のベスト映画」のひとつとしている[221]。ニューヨーク・タイムズのエルヴィス・ミッチェルは肯定的なレビューを書き、アニメーションシーケンスを評価している。また、ルイス・キャロルの鏡の国のアリスと好意的な文脈で引き比べており、この映画が「気分としての気まぐれさ (moodiness as mood)」についての作品であり、キャラクターが作品の緊張感を高めていると評している[222]。バラエティ誌のデレク・エリーは、「若者と大人が同じように楽しめる」とし、アニメートと音楽を評価している[223] 。ロサンゼルス・タイムズのケネス・タランは吹き替えを評価しており、「荒々しく大胆不敵な想像力の産物であり、こうした創作物はいままでに見たどのような作品にも似ない」としている。また、宮崎の演出も評価している[224]。オーランド・センチネル紙のジェイ・ボイヤーもやはり宮崎の演出を評価し、「引っ越しを終えた子供にとっては最適」の映画だとしている[225]。, 2009年2月にオリコンがインターネット調査した「日本アカデミー賞 歴代最優秀作品の中で、もう一度観たいと思う作品」で1位に選ばれた[226]。, 2016年7月、アメリカの映画サイト・The Playlistが、21世紀に入ってから2016年までに公開されたアニメのベスト50を発表し、本作が第1位に選ばれた[227]。, 2016年8月、英BBC企画「21世紀の偉大な映画ベスト100」で第4位に選ばれた[228]。, 2016年に実施された「スタジオジブリ総選挙」で第1位に選ばれ、2016年9月10日から16日までTOHOシネマズ5スクリーンで再上映された[229]。, 2017年4月、映画批評サイト「TSPDT」が発表した「21世紀に公開された映画ベスト1000」にて、第8位に選ばれた[230]。, 2017年6月、ニューヨークタイムズ紙が発表した「21世紀のベスト映画25本」で、第2位に選ばれた[231]。, 2017年6月、英エンパイア誌が読者投票による「史上最高の映画100本」を発表し、80位にランクインした[232]。, 2018年8月、ワシントンポスト紙が発表した「2000年代のベスト映画23本」に選出された[233]。, 2018年10月、英BBCが企画・集計した、「非英語映画100選(英語圏にとっての外国語映画100選)」にて、37位に選ばれた[234]。, 2019年6月、中国の映画情報サイト「時光網」が発表した、「日本アニメ映画のトップ100」で、第1位に選ばれた[235]。, 2019年9月、英インディペンデント紙(デジタル版)が選ぶ、「死ぬ前に観るべき42本の映画」に選出された[236]。, 2020年1月、英エンパイア誌が発表した「今世紀最高の映画100選」にて、日本映画で唯一選出された(15位)[237]。, 1回目の放送はこの年の紅白歌合戦の視聴率(45.9%)を1.0ポイント上回り、2003年の年間視聴率1位を記録した(日本テレビの年間視聴率1位は史上初)。, 2021年2月26日、東宝創立90周年記念作品として、本作を原作とした舞台化が発表された。公演は、2022年2月・3月に帝国劇場、4月に大阪、5月に福岡、6月に札幌、6月・7月に名古屋で上演予定[291][292]。, 宮さんは僕の話を聞きながら、すっと立ち上がり、壁に貼ってあったイメージボードを一枚一枚はがし始めました。そして、全部まとめて、僕の目の前でゴミ箱の中にバサッと捨てたんです。あの光景はいまでも忘れられません。