中国大使館さん、中国人が選ぶ三国志武将武力ランキングを発表 1位呂布 2位趙雲 3位典韋 140コメント ... 趙雲は日本だけ人気って話だったのにな 最近は逆輸入でむこうでも人気出たって事なのか . 三国志には多くの武将や英雄が登場し、しかも様々なエピソードが盛り込まれています。日本人はその物語そのものを楽しんでいるのですが、中国人はその物語から処世術へと転じているのです。例えば、「権力者はどのように人を従えているのか?」「組織の中で生き残るためにはどう動くべきか」などを学んでいるとのことです。つまり、中国人は三国志を楽しむというよりも、学んでいると言うべきでしょう。日本でも、三国志を題材にしたビジネス書などが数多く販売されていますが、これは中国人の三国志の捉え方に近いのかもしれません。, 日本人と中国人では、三国志に登場する武将・英雄の好みも違っています。もちろん、個人個人で三国志の好みの武将・英雄を選んでいけば様々な人物が選ばれるでしょう。しかし、全体的に日本人は、諸葛亮や劉備(玄徳)、関羽などを好む傾向があります。その一方で、中国人は比較的に曹操の人気が高いとされているのです。 つまり、『三国志演義』の主要な趙雲描写は史書に基づいているというわけです。 趙雲の武勇と性格上の魅力 では、趙雲人気の秘密は『三国志演義』に見られるような武勇にあるのでしょうか。確かに武勇も趙雲人気を支える要素の一つでしょう。 書籍やゲームなど様々な媒体から知識を得ることが多い三国志。1800年経った今もなお残されている痕跡からは、当時の英雄たちの足跡を辿ることができます。開発が進み当時の面影はなくなっていますが、三国志ファンの方にはたまらない建築物が多く残されています。 呂布は中国後漢末期の武将です。名を奉先と言い、呂布奉先と呼ぶ事もあります。項羽と並び三国志では人気があり、最強の武将の一人と言われています。今回は呂布の生涯、名言、偉業について説明していきます。 呂布 中国大使館さん、中国人が選ぶ三国志武将武力ランキングを発表 1位呂布 2位趙雲 3位典韋 231コメント ... お前ら呂布は中国人に人気ないって言ってたじゃん . 中国の三国志研究家が日本の書物を参考にする事もあるみたいだし 26: 2018/11/22(木) 08:41:49.13 ID:cwZm/1/Y0 > 日本の文化には強い者を崇拝する習慣があり、 三国志の日本での人気は圧倒的で、世代を超えて愛され続けています。一方、中国でも映画『レッドクリフ』が公開されてからは三国志が大ブーム! 三国志をテーマとした旅行が注目されています。今まさに、三国志遺跡の巡り時。書籍を手に、武将たちの軌跡をたどってみてはいかが? このカテゴリには 1,245 ページが含まれており、そのうち以下の 200 ページを表示しています。 (前のページ) (次のページ) Amazonで田中 芳樹の中国武将列伝〈上〉 (中公文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。田中 芳樹作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また中国武将列伝〈上〉 (中公文庫)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。 時は十二世紀。宋(北宋)は北方の強国・金に国土の半分を奪われ最大の危機を迎えていた。先帝と皇帝が揃って金へ連行された”靖康の変”を機に、江南へ追われた皇帝の弟・高宗が即位し南宋を興す。だが戦局は好転せず領民は家を、家族を、生きる望みを失っていく・・・。そんな人々を守り、金に奪われた故郷を取り戻したい一心で、百戦錬磨の智将・岳飛が立ち上がる。 背中に刻まれた”尽忠報国”の精神で、義兄弟と無敵の岳家軍を率いた岳飛は金軍を次々と圧倒し、領民に勇気と希望をもたらす。だが、宋と金の双方に通じる奸臣・秦檜(しんかい)は、邪魔者の岳飛を陥れようとする。人を思い、国に報い、困難に立ち向かい続けた岳飛は、なぜ”最後の英雄”と呼ばれるのか?幾世紀を超えて中国全土が今も涙する、岳飛に降りかかったあまりに哀しい運命とは?, 【関連記事】 日本で三国志を描いた映画「新解釈・三國志」の撮影がクランクアップし、2020年に全国で公開されることとなった。 中国メディアの今日頭条は17日、「日本人はなぜこれほどまでに三国志を愛しているのか」と問いかける記事を掲載した。 カテゴリ「三国志の登場人物」にあるページ. 日本人が選んだ「中国史上No.1の英雄」に中国ネットが反応. 1103年、岳飛は河南省湯陰県の農家に生まれました。幼い頃に父を亡くした岳飛は母と2人で貧しい暮らしを余儀なくされますが、亡き父の「国に殉じて義の為に死ぬ」と言う教えを胸に、若くして「孫子」等の書物を読み、様々な武芸を身に着け、左右いずれでも強弓を扱える文武両道の青年に育ちます。 この頃の中国は宋(北宋)の時代で、奸臣の横行による政治腐敗、そして北方の異民族国家・金をはじめとした近隣諸国から … 三国志の好きな武将・英雄の違いも、三国志の捉え方の違いからだと言えるでしょう。日本人は三国志の物語が好きであり、感情移入するため、諸葛亮や劉備(玄徳)など結果的に報われないけど魅力的な武将・英雄を好みます。その一方で、中国人は三国志から処世術を学ぼうとしているため、三国志の英雄の中で優れた統治能力を持っていた曹操を好む傾向があるのです。このように、三国志の好きな武将・英雄からも、日本人と中国人の三国志に対する見方や考え方の違いがあることがわかります。 三国志好きの日本人は数多くいます。日本の歴史より、三国志の方が好きな人もいることでしょう。もちろん、本場である中国でも三国志は親しまれています。しかし、実は日本と中国では三国志の見方や考え方が違うのです。そこで今回は、日本と中国の三国志の見方・考え方の違いについて紹介していきます。, 日本人と中国人の三国志に対する見方の違いとしては、まず楽しみ方の違いが挙げられます。日本人が三国志を楽しむ場合、基本的には物語そのものを楽しむことが多いです。もしくは、好きな武将や英雄に感情移入して楽しむ傾向があります。しかし、中国人は少し違った楽しみ方をしています。実は中国人は、三国志は「処世術を学ぶ」ために読む人が多くいるのです。 勇猛無双の武将たちが 登場するエピソードは日本でも人気が高く、人生の手引き書として愛読している人もいるようです。 「あなたが憧れる『三国志』に登場する武将ランキング」で最も人気が高かったのは《諸葛亮 (孔明)》。 概要 「三国志」とは、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争覇した、三国時代の歴史を述べた歴史書である。 撰者は西晋の陳寿(233年 - 297年)(詳しくは『三国志 (歴史書)』を参照)。. また、呂布で言えば好き嫌いについても日本人と中国人で分かれます。日本人は比較的に呂布を好きな三国志ファンが多いです。しかし、中国では呂布を嫌う人が多い傾向があります。呂布は2度も主君を裏切っているだけに、中国では嫌われているのです。日本人が呂布のことが好きな理由は、判官贔屓によるものだと考えられます。確かに呂布は2度も主君を裏切った裏切り者ですが、最後は悲壮な結末を迎えています。このことから、日本人は呂布を可哀想に感じ、好意的な印象を持っているのではないでしょうか。, 日本と中国の三国志に対する考え方の違いとしては、歴史の重要度の違いにも表れています。三国志好きの日本人にとって、『中国の歴史』=『三国志の歴史』くらい重要に感じていることでしょう。しかし、中国人にとっては、三国志は数ある中国の歴史の中のイチ時代でしかありません。つまり、中国人にとっては、日本人ほど三国志を重要視していないのです。 三国志に何百人という人物が登場してきます。その中で有名な武将&人物を選んでもまた何十人もいます。 複雑な人間関係・歴史を理解することでより深い三国志の世界を満喫しましょう! 日本の戦国時代にも負けない武将の魅力をお伝えします。 実際に、中国人の中には日本人があまりにも「三国志に詳しくて驚いた」というケースがよくあります。中国人としては「なぜ三国志だけ?」と思うようです。確かに、もし知り合った中国人からピンポイントに鎌倉時代のことを話されても「なぜ?」と思うでしょう。いずれにしても、日本人と中国人では、歴史的な重要度が大きく異なっているのです。, 今回は、日本と中国との三国志の見方や考え方の違いについて紹介してきました。三国志の楽しみ方や好みの武将や英雄、登場人物のイメージなど、日本人と中国人とでは様々な違いがあります。日本と中国の三国志の捉え方の違いを見ていくとなかなか面白いものであり、「そんな見方や考え方があったんだ!」と思えてきます。 ちなみに、三国志演義と正史三国志の違いは、「小説」なのか「歴史書」なのかという違いがあります。三国志演義は「小説」であり、創作されたものとなっています。その一方で、正史三国志の方は「歴史書」であり、基本的には歴史に忠実に描かれているのです。三国志演義は正史三国志をベースに作られているのですが、大衆受けするようにエピソードが加えられたり、変更されていたりと全くの別物となっています。日本人の三国志ファンで正史三国志を知らない方は、ぜひ正史三国志の世界にも触れてみてください。意外と正史三国志も面白いものです。, 日本と中国では、三国志に登場する武将のイメージも全然違うケースがあるようです。なかでもわかりやすいのが呂布となっています。日本人のイメージで呂布と言えば、脳筋枠でありパワー押しのタイプをイメージするのではないでしょうか。しかし、中国で呂布と言えば、美形枠としての扱いであり、頭の切れる悪役としてのイメージになるとのことです。日本人としては、あまり考えられない扱い方ではないでしょうか。このように、武将のイメージも大きく異なっているのです。 三国志で中国ではどんな武将が人気なのですか? - 日本では. All Rights Reserved 提供:NBCユニバーサル・エンターテイメント/BSジャパン, 中国の青島(チンタオ)にて、関羽と岳飛に出会う!【哲舟の歴史よもやま取材ルポ16】. なんと、第3位には3人の人気武将が並びました。 まずは、「乱世の姦雄」曹操。悪役のイメージが強い曹操ですが、「反乱と腐敗で混乱した時代に再び秩序を取り戻そうとした姿は、英雄と呼ぶにふさわしいと思います」(20代、女性)や、優れた軍人・政治家、そして文人であった点が高く評価されました。 続いて、「主君、劉備の為に命を顧みずに、劉備の子を助け戦場を駆け抜ける勇ましい男」(40代、男性)などの票が集まった、蜀の「五虎大将」の一人、趙雲。 最後は、演義の中心的人物である … 【キングダムから三国志まで】いっきに学ぶ中国の歴史 中国最強の武将は!?怪我すらしたことない人も! | おやおや. 中国人もびっくり! 日本人はなぜかくも「三国志」が好きなの. 中国の青島(チンタオ)にて、関羽と岳飛に出会う!【哲舟の歴史よもやま取材ルポ16】 すべての三国志ファンと歴史好き必見!三国志の人気ゲームアプリを徹底比較した、おすすめランキングを紹介します。三國無双などの不朽の名作をはじめ、8月にリリースされたばかりの新作アプリも一気にまとめました。今すぐ三国アプリで中華統一を目指しましょう! 1.武将が女性化した作品許せる? no 14票 / yes 9票 2.三国ゲーム、文官も戦うの許せる? yes 18票 / no 5票 3.三国人物皆イケメンと美女許せる? no 13票 / yes 10票 4.三国志のifもの作品って許せる? yes 23票 / no 0票 5.三国志の書籍。 ※UR武将+専用至宝を並べられる以外の方には盾3+方円陣が人気があります。 ※拝将台(v2.8)を経て、馬超利用者も増加しています。今後、拝将台対象武将が増加するに従い人気武将も変わりそうです。 3大三国志でこいつ再評価しとけば通ぶれる武将「于禁」「曹丕」あとひとりは? 1: 2019/05/21(火) 22:29:56.25 ID:zso0pxJq ... 【三国志】袁紹本初(天の時A,地の利A,人の和A)←こいつが中国で天下を獲れなかった理由 日本で三国志がこんなに人気がある事も知らなかったし、その学生は三国志の武将をまったく知らなかった また別の中国人留学生に珍しい名前で三国志の武将と一緒だったから、一緒ですねというと大笑いしていたから彼は知っていたのだろう ちなみに、アメリカでも三国志は好かれているとのことです。そして、アメリカ人が好む三国志の武将・英雄は曹操と言われています。このことから、中国人とアメリカ人では似たような三国志の捉え方をしているのかもしれません。, 日本人と中国人では、三国志演義と正史三国志で取り扱い方が違います。日本人は、基本的に三国志演義がベースとなっています。三国志ファンの日本人なら、三国志正史も知っている方が多いです。しかし、あまり三国志に詳しくない日本人は、三国志演義のことを「三国志」だと思っています。一方、中国人は三国志演義・正史三国志のどちらにも触れる機会があるため、どちらについても知っているケースが多いのです。三国志演義のみの日本人と三国志演義・正史三国志のどちらも知っている中国人では、三国志の見方や考え方に違いがあるのも納得できるのではないでしょうか。 三国志好きの日本人は数多くいます。日本の歴史より、三国志の方が好きな人もいることでしょう。もちろん、本場である中国でも三国志は親しまれています。しかし、実は日本と中国では三国志の見方や考え方が違うのです。そこで今回は、日本と中国の三国志の見方・考え方の違いについ … <愚直 だからこそ美しい>「男気伝説」三選!己の信念を貫いた武将たち, 画像:『岳飛伝-THE LAST HERO-』© The Patriot Yue Fei (C) 2012 China International TV Corporation. 史上最強、という言葉には惹かれるものがあります。 中国史だと日本人で馴染みが深いのは三国志や楚漢戦争ですが、実際にはそれ以外にも武勇に優れた武将が山のように存在します。 今回は私の独断と偏見で、中国史で強い武将のランキングを作成してみました。 もちろん、どちらの三国志に対する見方や考え方、捉え方が正しいなどはありません。あえて言えば、どちらの見方や考え方も正解と言えるのではないでしょうか。そのため、自分が思うように三国志の世界を楽しめばいいのです。自分の中で三国志の世界を捉え、ぜひ自分らしく三国志の世界を楽しんでいきましょう。そして、三国志をより深く理解して、もっと興味を持ってみてください。, 三国志の有名な場面に虎牢関の戦いがあります。董卓軍と反董卓連合軍が激突するシーンです。しかしここにはかなりの脚色が施されているのです。, 後漢末期の三国志最強の武将といえば、呂布(奉先)が真っ先に挙がることでしょう。史実や演義でも無類の武力を誇り、曹操(孟徳)や劉備(玄徳)といった他陣営から恐れられていました。一方、史記に登場する項羽も呂布と並んで最強武将として君臨しています。この両者、どちらが最強なのでしょうか。, 「もしあの人がこんな人生を歩んでいたら」。三国志が好きな方なら、違った展開を考えることがあるでしょう。三国志といえば「魏・呉・蜀」ですが、呂布や張角ら他軍のif人生について想像してみました。史実や演義での活躍も少し紹介しています。, 三国志最強の「呂布」の独立に手を貸した陳留郡太守「張邈」と呂布を最後まで支え続けた軍師「陳宮」。この3人の関係はどのようなものだったのでしょうか。宿敵「曹操」を交えてお伝えしていきます。, 元々は呂布奉先の持ち物で、関羽雲長が魏に理由あって下ったときに曹操孟徳から贈られたものがいくつかありますが、その中で関羽雲長が最も喜んだのが赤兎馬でした。しかし、赤兎馬って普通の馬とどう違うのでしょうか?気になったのでそのあたりについて迫ってみました。, 曹操の後を継ぎ、魏の初代皇帝となったのが曹丕です。実は、曹丕は魏滅亡の戦犯と言われることが多く人物となっています。そんな曹丕はどんな人物だったのでしょうか。そこで今回は、曹丕がどんな人物であり、なぜ戦犯とまで言われているのかについて紹介していきます。, 「曹洪(子廉)将軍は蜀軍を恐れている」と大口を叩いて蜀軍に対峙した張郃(儁乂)が大敗して戻ります。曹洪(子廉)は激怒して張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、他の将軍たちに諫められ、再び張郃(儁乂)にチャンスを与えます。しかし「日の出の勢い」の蜀。再び魏軍を打ち破ったのは老将軍でした。, 世間的に三国志といえば「三国志演義」が愛されているといえます。一騎討ちや神業ともいえる智謀の数々、妖術など、人間離れした活躍を見せてくれます。もちろん、フィクションの世界ですが、ある意味正史よりも有名である三国志演義について、人気武将である劉備(玄徳)・曹操・呂布・趙雲らの見どころをここで解説していきます。, 「三国志で最も嫌われている人物は?」と聞かれたら董卓(仲穎)が真っ先に上がるのではないでしょうか。高貴な位をいいことに暴政の限りを尽くし最終的には身内である呂布(奉先)に殺されました。もしかしたら曹操(孟徳)や呂布(奉先)を挙げる人もいるかもしれません。しかし彼らは嫌われるようなことをした反面カリスマ性があり「嫌いではない」と答える人も多いでしょう。ここでは嫌われていて且つ救いどころも少ない劉禅(公嗣)について紹介したいと思います。, 三国志という時代の流れを決定づける重要な戦いの1つが官渡の戦いです。この戦いで、曹操が袁紹に勝利したことで、曹操勢力の拡大につながっています。官渡の戦いでは、曹操軍は袁紹の大軍を相手に勝利を収めたわけですが、注目すべきはなぜ曹操が勝てたのかです。そこで今回は、官渡の戦いで大軍相手に曹操が勝利できた理由にスポットライトを当てていきます。. 中国と言えば『三国志』や『水滸伝すいこでん』など、世界的にも有名な文学が今でも読まれ続けています。その中で、物語に欠かせない存在なのが屈強な戦国武将たちです。最近では、中国の歴史漫画、原泰久さんの『キングダム』が大流行してますよね? 三国志の日本での人気は圧倒的で、世代を超えて愛され続けています。一方、中国でも映画『レッドクリフ』が公開されてからは三国志が大ブーム! 三国志をテーマとした旅行が注目されています。今まさに、三国志遺跡の巡り時。書籍を手に、武将たちの軌跡をたどってみてはいかが? 中国および四国地方で選ばれた人気武将ナンバーワンは「織田信長」となりました。今回対象であるほとんどの県でトップ5入りを果たし、第2位の「毛利元就」にわずか1票差に迫られながらもトップになりました。このほか、「真田幸村」と「真田 昌幸」の真田親子や、毛利家を支えた「小早川隆景」も … 恐らく多くの方が『三国志』の関羽を挙げるのではないかと思います。劉備・張飛と義兄弟の契りを結び、乱世を終わらせるために戦った義の武人。現在も商業の神様として、多くの人々に信仰されています。, しかし、中国にはそんな関羽と並び称されるほど有名な武将が他にもいることをご存知でしょうか?その名は“岳飛(がくひ)”。今回は彼がどんな人物なのかを紹介していきましょう。, 1103年、岳飛は河南省湯陰県の農家に生まれました。幼い頃に父を亡くした岳飛は母と2人で貧しい暮らしを余儀なくされますが、亡き父の「国に殉じて義の為に死ぬ」と言う教えを胸に、若くして「孫子」等の書物を読み、様々な武芸を身に着け、左右いずれでも強弓を扱える文武両道の青年に育ちます。, この頃の中国は宋(北宋)の時代で、奸臣の横行による政治腐敗、そして北方の異民族国家・金をはじめとした近隣諸国からの侵攻により、建国以来最大の危機を迎えていました。そんな中、21歳になった岳飛は、官軍が募集していた義勇軍に参加。金との戦いなどで軍功を挙げ、次第にその頭角を現していきます。, しかし、宋の8代皇帝・徽宗(きそう)とその息子・欽宗(きんそう)が金に拉致される靖康の変により宋(北宋)は滅亡。その後、南方に逃げ延びた欽宗の弟・高宋(こうそう)が江南に南宋を興します。, 祖国が大ピンチを迎える中、岳飛は義兄弟たちと“岳家軍”という義勇軍を率いて金軍に立ち向かいます。金との戦いでは全戦全勝。武力だけでなく、少ない軍勢で大軍の敵陣を打ち負かすなど、岳飛は戦術に長けた軍師でもありました。, こうした岳飛の活躍は、戦乱に巻き込まれ、虐げられていた宋の人々にとって、大きな希望となっていきます。, 岳飛の背には、“尽忠報国”という文字が母の手によって刻まれていました。”尽忠報国”とは、”忠義を尽くし、国の恩に報いる”ことを意味しています。その言葉の通り岳飛は、宋という国のために戦いますが、その精神は国以上に、彼の家族や、国に生きる人々に向けられていました。, 金との戦いで快進撃を続け、軍の要職・節度使にまで上り詰めた岳飛でしたが、当時は官軍でさえも当たり前のように行なっていた略奪行為を自軍の兵には一切禁じていました。, こうした行動はさらに民衆からの支持を集め、皇帝からも「精忠岳飛」と記された軍旗を授かるなど、岳飛の名声はますます高まっていきます。, そんな岳飛の人気を脅威と感じていたのが、秦檜(しんかい)という宋の宰相でした。密かに金との和議を進めていた秦檜は、主戦派の筆頭であった岳飛を排除するため、謀反を企んでいるという無実の罪を着せて岳飛を投獄してしまいます。, この時、宋の武将・韓世忠が謀反の証拠があるのかと問いただしましたが、秦檜は「莫須有(あったかもしれない)」と答え、韓世忠が「そのような理由で天下を納得させる事が出来るものか」と非難したというエピソードが残されています。(現在「莫須有」は”でっちあげ”を意味する慣用句になっているそうです), 「天日昭昭(天は全て知っている)」と書に記し、決して拷問に屈しなかった岳飛でしたが、最後は秦檜の指示で処刑され、39歳でその生涯を閉じました。, 反逆者の汚名を着せられていた岳飛でしたが、後に冤罪である事が証明され、民衆により「岳王廟」が建立されています。「岳王廟」には秦檜夫婦らが縛られて正座させられている像があり、現在は禁止されていますが、参拝者が像に唾を吐きかけたりするなどの風習があったのだとか。中国の「死後も罪が許されない」という宗教観と、岳飛の人気がよくわかる話ですね。, 幕末、新撰組初代筆頭局長・芹沢鴨は”盡忠報國ノ士 芹澤鴨”と刻まれた鉄扇を常に手にしていました。また、明治時代には、西郷隆盛が征韓論を唱えて下野した際、自らの心情を岳飛に例えて詠んだ詩も残されています。, 祖国に忠義を尽くして戦い続け、志半ばで悲劇的な最期を迎えた英雄・岳飛。その精神は国を憂い戦った日本の志士たちにも受け継がれていたのですね。, 放送日:2016年9月4日(日)スタート 日曜 午前9:00~ 2話連続