なぜ専業主婦で2児のママだった私が、ビジネスと投資の世界で稼ぐ決意を固めたのでしょうか?
かつての私は、笑うことを忘れてしまっていました。「なんて私は無能で、価値の無い人間なのだろう」と考え、毎日泣いていたのです。
悲しい気持ちを思い出さないように、感情を捨て、表情もドンドン無くなりました。
心が何も感じなくなったのです。いつの間にか笑わない自分の姿にさえ、気づいていませんでした。これがあの頃の私の日常でした。私は、夫のことを強い人だと思っていつも怯えていました。夫から毎日、激しい感情をぶつけられて、私は心身共に疲弊したいたのです。
探しモノが見つからないだけで、夫の機嫌はたちまち悪くなり、一日中イライラが始まります。お片付けができないことを怒られ、夫の主張する「ココは片付けさえ出来ない!」という正論を受け入れ、ただ反省している毎日だったのです。
夫が勤務している会社の転勤について行ったこともあり、近所には知り合いが誰もいない状況でした。相談する人もいなければ、気を紛らわす会話を交わせる友達もいませんでした。
転勤についていく前は「私にはあなたしかいない、だから仲良く協力しあって行こうね!」と話あっていました。ずっとそういう夫婦の関係であり続けたかった。
私は贅沢がしたかったわけじゃなく、ただお互いに笑顔でいられれば、それで良かったのです。理想の夫婦に、理想の家族でいたかった。
だからこそ、とにかく夫から怒られないように、一日をムダにしないように。
「どうしたら夫が怒らないでいられるのか?」
そればっかり考えていました。
けれども、転勤後の夫の私に対する態度は日に日に悪化して行きました。それでも、夫に怒られないように、転勤先の慣れない地で子育てと家事を必死になってやっていたのですが。人間無理をしていると限界が来るようで、私の身体はすっかり弱くなってしまい、人生で初めて肺炎を患いました。
はじめの内は、咳がなかなか治らず長引いていたのですが、病院へ行ってもたいした治療はされず、単に薬をもらって終わりなら、行かなくてもいいと思っていました。そうこうしている内に、私の身体は動かなくなっていきました。
出張に行った旦那さんを迎えに空港まで行くと、それだけで息切れをして寝込むくらい体力が落ちて、体重もドンドンと減ってきました。
ある日、夜中に呼吸をすると、胸がズキンズキンと痛くなりました。直感で「これはさすがに朝までもたなそうだな」と感じ、救急病院へ駆け込みました。
病院の先生が問診をして発した言葉「レントゲンを撮る前ですが、肺炎で間違いないと思います。」かなり重症な状態だったようです。夫が病院へ到着しました。
けれども、私に優しい言葉をかけるどころか、着いた時から怒っています。私の病室が奥だったので、私がいる場所が分からず、イライラしていたようです。先生が夫に病状を説明するも、夫は先生に目も合わせません。
先生:「(レントゲンを見せながら)かなり大きな肺炎になっています。今すぐ入院が必要ですね。」
と言いました。
けれども夫が発した一言に、私は「肺炎」という病状を聴かされた以上に大きなショックを受けました。
夫:「オレ、仕事休めないけど・・・」
言われた瞬間は、思考が停止してしまいましたが、理解しはじめた時、「私の病状」を聴いて、最初に出てくる言葉がそれかと思うと、とてもとても悲しくなりました。
結婚式で「病める時も健やかなる時も・・・」 と誓った時の神父さんの説教が頭の中に流れてきます。
「病める時っていまだよね。それですら怒られる私の存在は一体なんなのかな・・・」
「私たちの関係はいつからこうなってしまったのだろう・・・」
心の中で何度も繰り返し自問自答していました。夫の言い分は「病院に行くように言っていたのに行かなかったココが悪い!」ということでした。
結局、イライラしている夫を見て、私が入院している間、夫が子供たちに当たるのではないかと怖くて入院も断りました。
家の中の事が出来なければ怒られ、病気をしては怒られ、夫が怒らないように振る舞うことが、もはやどういうことなのかも分からない。どうして理想の夫婦でいることがこんなにも難しいのか、どうやったら良いのか分からなくなりました。
きっと恋人同士ならすぐにでも別れていたことでしょう。でも、夫と私の間には既に2人の子供たちがいます。かつてのようにフルタイムのOLに戻ることもできません。
私の住んでいる地域では、子持ちの主婦が、子育てをしながら、まともに生活費を稼げるような、アルバイトやパートなどの働き口もそう簡単に見つかりません。これからの生活の事を考えても、お金、生活費・・・現実が重くのしかかってきます。
夫に無一文で家を締め出され、私自身のプライドなど、ズタボロになった時も、家には子供たちが居ますので、夫に頭を下げて家に帰りました。
私の中では「自由になりたい」という気持ちが芽生え始めましたが、私だけ家を飛び出すということも、子供たちと一緒に家を飛び出すということも、どちらの選択をすることもできません。お金の事、生活の事、それを全て一人で背負うことを考えると、しょんぼりと小さくなってしまうのです。
両親からも、「子供のために頑張れ」と言われましたが、これは私自身の幸せを、自由に生きる権利を、否定されたようにしか聞こえません。
子供のために頑張れなかったとしたら・・・私はきっと「悪い母親」。私自身の幸せ、子供たちの幸せ、将来の夢と希望を持てなくなりました。
あの時の私にとって、夫だけが世界の全てで、笑顔で過ごす日常が、私にとって一番遠く手の届かないもので、その小さな「シアワセ」をどうやって手に入れたら良いのかさえ、分からずにいました。
「子供たちのために我慢すること」
自分の「シアワセ」を考えることに罪悪感を覚え、子供のために・・・という大義名分の前には、全てを甘んじて受け入れるべきだと、自分に言い聞かせ続けます。
私がOLとして働いていた時は、対等だったはずの夫との関係。
結婚して子供たちが生まれ、経済的な自由が無くなった今、いつの間にか私は旦那さんの顔色を伺ってばかりの毎日を送るようになっていて、経済的な自由がないことが、私の弱みになっていたのです。
笑顔で暮らせる日々を「シアワセ」として叶えようとしていましたが。頑張っても、もがいても、叶えられないと気づいた時、今の環境から這い上がるために、女性だって一人でもやれるだけの力を身につけよう。それまでは絶対に諦めない。 私はそう誓ったのです。
OLに戻ったり、アルバイト・パートタイムをする以外の方法で、経済的自由を手に入れよう!それまでは絶対に諦めない。そう心に誓い、「投資」でお金を稼ぐことに目をむけたのですが、結果は見事に惨敗。OL時代の退職金を含む貯金を全て失ってしまっただけでした。
夫からの愛も無い、通帳の中のお金も無い。そんなドン底の状態で巡り合ったのが「北のセオリー」だったのです。

あなたは借金が怖いですか?
私は死ぬまでに<1,000兆円>の借金をすることが夢なのですが…